「……お連れ様がおみえですよ」
同日の午後。
日の本寺の一室で、せっせと愛用のカメラの手入れをしていた鏑木浩一は、部屋を訪ねてきた住職夫人にそう告げられた。
「あ、そうですか」
鏑木は待ってましたとばかりに、愛機を置くと立ち上がった。
「あのぅ……三名様とは伺っておりましたが、随分体格のよろしい方がお一人混じっておられるようで……。一番安い部屋をということでお取りしましたお部屋は、あの方がたには少々狭苦しいのでは……」
住職夫人は控えめな口調で言った。
「なんでしたら、もう少し広いお部屋をご用意いたしましょうか?」
「いやあ、その必要はありませんよ」
鏑木は慌てて手を振った。
「どうせ都会の狭苦しいワンルームか何かで暮らしている連中ばかりですから、狭いとこには慣れてるはずです。あまり広い空間をあてがったら、かえって、落ち着かないと思いますよ」
「さようですか。それでは、『牡丹《ぼたん》の間』の方にお通ししておきましたから……」
住職夫人はそう言い残すと去っていた。
鏑木はさっそく部屋を出て、高野たちが通されたという「牡丹の間」を訪ねた。
「おう。よく来たな」
中に入ると、書院作りの申し分なく狭い和室に、まるで寒風に晒《さら》された三匹の野猿が互いにくっつき合うような格好で、三人の男たちが身を縮ませて寄り添っていた。
中の一人は、なるほど小山のような巨体の持ち主で、この男一人で部屋半分のスペースを完全に使い切っている。
後の二人は座るというより、大男に殆《ほとん》どしがみつくようにしていた。三人が持ってきた荷物をいれると、それこそ、鏑木の座る隙もないくらいだった。
「先輩。ここ、狭いっすよ……」
高野洋平が開口一番うらめしそうに言った。
「ここで三人一緒に寝ろっていうんですかぁ」
「我慢しろ。ここしか空いてないんだから」
「えー。でも、泊まり客って、俺たちだけみたいですよ?」
「つべこべ言うな。寝るときは、誰か一人、廊下で寝ればいい」
「そんな殺生な」
「布団部屋にしなかっただけでも有り難く思え」
「……」
高野は不満そうな顔をしていたが、すぐに気を取り直したように言った。
「一応、紹介します。こっちのでかいのが丸山で、小さい方が中西です」
「ドスコイの丸山君に空手の中西君か」
鏑木がそう確認すると、二人は、東京からここまで高野の運転するワゴンで来たらしく、ドライブ疲れからか、「はぁ」と恐ろしく覇気のない声で答えた。
「丸山君は実にみごとな体格してるな。典型的なアンコ型だね。学生横綱だったんだって?」
鏑木は、品評会の豚でも見るような目付きで、丸山のたっぷりと脂肪のついた二の腕のあたりをぴしゃぴしゃと平手で叩きながら聞いた。
「はぁ。まあ、横綱っつうか、チャンピオンになったことはあります。中学んときのことですが」
丸山が満月のような顔を綻《ほころ》ばせて答えた。
「チャンピオン? 中学のとき?」
鏑木はけげんそうに聞き返した。
「大学で相撲やってたんじゃないのか?」
「いいえ。大学は茶道部に入ってまして。実家が静岡でお茶作って売ってるもんで」
「さどうぶ……?」
「それとですね。相撲といっても、あの相撲のことじゃなくて、指相撲のことなんですが」
「ゆびずもう……」
「中学のときに、町内で指相撲大会というのがありまして、それでチャンピオンになったことがあるんです」
「……普通の相撲はやったことないの? はっけよいの方は?」
「ないです」
丸山は二重あごをぷるぷる震わせてにこにこしながら答えた。
「ぜんぜん?」
「ぜんぜん」
「全く?」
「全く」
「しこ踏んだこともない?」
「ないです」
「……」
「ぼく、あんまり身体使うの得意じゃなくて。動き鈍いし。スポーツ系はちょっと……。だから、悪循環でこんなにぶくぶく太っちゃって。でも、自慢じゃないですけど、手の指とかは意外に素早く動いて器用なんです。指相撲だけじゃなくて、編み物とか綾《あや》とりとか折り紙とかも得意なんです」
「……高野。ちょっと来いや」
険悪な表情になった鏑木は、後輩の高野の胸倉をつかむと、そのまま、外に引きずり出した。
「な、何するんですか」
「話が違うじゃないか。誰が綾とりできるデブ連れて来いって言った? 腕っ節の強い猛者《もさ》連れて来いって言ったはずだぞ。あれのどこが猛者なんだ」
胸倉をつかんだままそう言うと、
「お、俺も知らなかったんですゥ。まさか、指相撲のことだったなんて。なんかスポーツやったことあるかって聞いたら、『××相撲を少々』って言うから。あの体格で、『相撲』って聞けば、普通、あの相撲の方だと思うでしょ? そのあと、『学生のときにチャンピオン』ってくれば、当然、『ああ、学生横綱だったのか』って連想するでしょうが?」
高野も口をとがらせて言い訳した。
「それにあいつ、ちょっと口の中で籠《こ》もったような喋《しやべ》り方するでしょ。モゴモゴって。だから、『指相撲』の『指』の部分がよく聞き取れなかったんですよゥ」
「指相撲のどこがスポーツなんだよ?」
「俺に言われても。あいつが勝手にスポーツと考えてるんだから。しかし、あれですね、町ぐるみで指相撲大会なんてする所があるんですねえ、静岡には」
「何、感心してるんだよ」
「感心してるわけじゃないですが。へー、そんな町があるんだなぁと思って。町長が指相撲マニアなんですかね」
「空手の方は大丈夫だろうな?」
「あっちは大丈夫ですよ。あいつが瓦《かわら》何枚か重ねて叩《たた》き割るの、じかに見たことありますから」
「本物の瓦なのか……?」
鏑木は疑わしそうに聞いた。
「だと思うけど」
「だと思うけど……? 瓦せんべいとかいうんじゃないだろうな」
「瓦ですよ、普通の」
「空手の方は使えるか」
「ねえ、一体、あいつら何に使うつもりなんですか。なんか、電話では、『シンカン』とか『ラントウ』とか聞こえてきたけど……」
高野は胸倉つかまれたまま、不安そうに聞いた。
「よし。じゃ、今から、おまえらのやること話してやる。俺の部屋に来い」
鏑木はそう言って、高野の胸倉をつかんだまま、廊下を歩き出した。
「ちょ、ちょっと放してくださいよゥ。あいつらも呼ばなくていいんですか」
「あいつらには後でおまえから適当に話してやれよ」
「て、適当に?」
「直接話すと逃げられるおそれがあるからな……」