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私の西域紀行22

时间: 2019-05-23    进入日语论坛
核心提示:二十二  崑崙の川、パミールの川 八月十四日、ヤルカンド県委員会招待所の一室で、八時に目覚める。朝食後、ジープでヤルカン
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 二十二  崑崙の川、パミールの川
 
 八月十四日、ヤルカンド県委員会招待所の一室で、八時に目覚める。朝食後、ジープでヤルカンド河を見に行く。ポプラ竝木の道を通って、郊外に向う。午前中のヤルカンド(莎車鎮)の町は人が少く、静かで、いやに清潔である。昨日のあの夕闇の中に人が渦巻いていた同じ町とは思えない。
 ヤルカンド河大橋の橋畔で下車。川幅は一キロ、濁流が幾つもの川洲を抱えて、かなりのスピードで流れている。上流も下流も、水域が広くなっていて、川筋が幾つかに分れているように見えるが、はっきりしたことは判らない。天涯から流れ来たり、天涯へ流れ去っているとでも言う他ない。言うまでもなくホータン河と竝んで、崑崙山脈から発している代表的な川であるが、茫洋《ぼうよう》たる川筋と言い、黄濁した流れと言い、タクラマカン沙漠の川としての貫禄は充分である。
 川の両岸にはゴビ(戈壁)と田圃が拡がっているが、そうした地帯にも川の水が溢れて、川の一部のように見えているところもある。上流にも、下流にもそういうところが見えているので、川筋というものをはっきりと掴みにくいのである。しかし、八月の今は水の多い時期ではない。昨夜、山地が豪雨に見舞われ、そのために多少、水嵩が増しているという。最も水量の多いのは六、七月頃で、その時期は流れが橋桁いっぱいになり、橋の上から覗くと、ただ怖いだけだという。さもあるであろうと思う。
 ヤルカンド河も初めから黄濁しているわけではない。崑崙から流れ出す時は澄んできれいな川であるが、流れ下るにつれて土砂が入って黄濁した流れになってしまうという。だから流れの水をコップですくうと、砂は底に溜って、水はきれいになる。しかもウイグル人に言わせると、たいへんうまい水だそうである。
 再び町に戻る。僅かな時間の間に、町は本来の西域南道の集落としての面目を取り戻している。着ぶくれた男女の町であり、驢馬の町であり、二頭曳き、三頭曳きの荷車の町であり、みごとなポプラの町である。真夏だというのに、軽装の男女は見掛けない。ただ男たちは夏用の白いウズベク帽をかむっている。
 新市街と旧市街は隣り合っている。新市街の方は多少明るく近代化されかかっているが、オールド・タウンの方は、全くの砂埃りの町であり、町のたたずまいはホータン(和田)に似ている。
 アチラース織の工場を参観したあと、招待所に帰る。招待所の庭も細かい粒子の白砂に覆われており、一歩踏み出すと靴は砂をかぶって白くなる。こういうところもホータンと同じである。そのホータンまでは三二〇キロ。強行すれば一日の行程である。ホータンには五十二年に空から入っているが、半ゴビ、半沙漠に取り巻かれているこの集落には、南道伝いに入るに越したことはない。しかし、こんどの旅では日程の関係で諦める以外仕方がない。
 
 十一時四十五分、ヤルカンドの町を発ってカシュガル(喀什)に向う。昨日ドライブした同じ道をカシュガルに引き返すわけである。
 キジル・ゴビに入るまでのヤルカンド・オアシスのドライブは、昨日と同じように快適である。トウモロコシ畑、ひまわり畑、綿畑、その間に水田が挟まっている。胡麻畑もある。胡麻畑は小さい薄紫の花が美しい。
 昨日素通りした沙棗の竝木で停車、みごとな沙棗の大樹をカメラに収める。沙棗の木は方々で見掛けるが、これだけ大きいのは初めて、しかもそれが道の両側に竝んでいる。三、四十本はあろうか。ヤルカンドから四〇キロの地点、そろそろヤルカンドのオアシスと別れて、キジル・ゴビに入ろうとする地帯である。時計を覗くと十二時半。
 この辺りから昨夜の雨のための水溜りがちらばり始め、大きな池があちこちにできている。ジープは到るところで渡河を敢行、荒いドライブが始まる。
 十二時五十分、ゴビに入り、四、五十分続く単調なゴビのドライブが始まる。しかし、今日は道がひどく荒れていて、単調どころではない。まるで洗濯板の上のドライブである。昨夜の雨で、乾河道という乾河道には赤い水が流れており、そこを直接渡河したり、遠廻りして渡れそうなところを探したりしなければならぬ。赤い流れのただ中に身動きとれなくなっているトラックもある。
 赤い流れは無数に現れて来る。ゴビの中に、いかに乾河道というものが多いかに驚く。ジープの運転手君の話だと、現在の時刻では山からの水の全部はまだ到着していないそうである。夕方になると水量は増し、赤い流れは、赤いままで激流に変ると言う。
 途中、ゴビのただ中で休憩。全くの休憩である。小石の原の上に腰を降ろすと、崑崙が眼に入って来る。崑崙の遠望はすばらしい。低い丘の波立ちの向うに、長い稜線の山脈が幾重にも重なって見えている。
 二時五分、キジル・ゴビの島のようなひと握りほどの小さいオアシスに入る。キジル人民公社が闘いとったオアシスで、そこで休憩。キジル・ゴビのただ中の村である。昨日もここで休憩したが、昨日と同じように、今日もこの村ただ一本の往還には砂塵が舞い上がっている。子供が一〇人ほど集って来て、私たちを遠巻きにしている。みんな怜悧《れいり》そうな顔をし、眼を輝かしているが、殆どが跣《はだし》である。いかなる血を持っている子供たちであろうか。ここの古い地名はチャメロン。
 出発、小さい村を出て、再びゴビの中へ入って行く。インギシャ(英吉沙)まで二〇キロ、一時間のドライブ。この地帯もまた新しくできた赤い流れのために、道は大きく抉りとられて、昨日と同じ道とは思われぬ。まさに難行苦行である。
 四時、インギシャの町に入り、県の招待所で遅い昼食。五時十分、出発。カシュガルまで二時間半のドライブ。
 カシュガルの町へ入る竝木道は素晴しい。アカシヤを内側にポプラを外側にした二重竝木のところもあれば、片側アカシヤ、片側ポプラのところもある。そうした長い竝木道によって、カシュガルの町へ導かれて行く。
 招待所に入り、八時、夕食。食欲全くなし。食後、明日の打合せ。明日は五時起床、六時にカシュガルの南一〇〇キロの地点にあるサンガイズ(上蓋孜)に向けて出発、日帰りの予定である。サンガイズはパミール高原に入って行くその途中にある集落で、古いキャラバン・サラエ(隊商宿)があるというので、それを見るのが目的である。
 古い記録によると、旅行者はカシュガルからサンガイズまで徒歩で八日、サンガイズからパキスタン国境に近いタシュクルガン(塔什庫爾干)まで十二日を要している。カシュガル─タシュクルガンは二八〇キロ、タシュクルガンから国境までは一五〇キロ。そして明日ドライブするカシュガル─サンガイズの道は、パミール山中で、中国とパキスタンを結ぶカラコルム・ハイウェイに繋がっている。
 こんどの私たちの新疆地区の旅行では、このサンガイズ行きは最も重要なスケジュウルの一つになっている。ただ問題は、この二、三日、パミールが豪雨に見舞われ、途中の道が荒れていることで、果してサンガイズまで行き着けるかどうか。しかし、折角計画をたてたので行けるところまで行ってみることにする。万一の場合を考えて一泊どまりの用意もしなければならぬし、寒さや、雨に対する用意も必要である。
 部屋に引き揚げて、明日の用意にかかるが、私の場合、この頃から自分で何をしているか判らなくなる。が、ともかく荷造りして寝台に入る。
 
 八月十五日、目覚時計で目覚めるが、全身が痛くて、寝台の上に起き上がることもできない。サンガイズ行きは諦める以外仕方がない。そのことを中国側の人たちに報せて、そのまま眠る。そして夕方目覚めるまで、眠りづめに眠る。夜もまた眠る。その間に点滴や注射の治療を受けていたのであるが、殆ど記憶はない。三十九度以上の熱に浮かされていたのである。佐藤純子さん、解莉莉さんのお二人には、付きっきりで看病して貰ったらしいが、何も知らない。
 八月十六日、一夜明けると、すっかり気分はよくなり、熱も平熱、血圧、脈搏共に正常。カシュガル第一人民病院の内科医長さん、女医さんの二人が昨夜から泊り込んでいて下さるという。恐縮の他はない。サンガイズ行きは私のために取りやめになり、これまた同行の諸氏に対して申し訳ないと思う。先月、今月と二度中国旅行が続き、しかもその間に休息期間がなかったので、結局旅の疲労が重なっていて、それが突発的な発熱という形で現れたのであろう。しかし、このお蔭で思いがけず贅沢な休養がとれて、すっかり元気になる。
 八月十七日、半日休養、午後四時半に外出、香妃墓というのを参観に出掛ける。戸外は三十一度。秋が立ってすでに何日か経っているので、暑さの峠は越した感じである。時刻は四時半であるが、まだ陽は高い。北京とは時差三時間、ウルムチ(烏魯木斉)とは二時間。日本とでは四時間。従って日の出は七時、暗くなるのは十時頃。
 ポプラと、驢馬と、土塀の町を歩く。発熱休養のお蔭で、のびやかな散歩に恵まれている恰好である。
 香妃の墓は招待所からくるまで五分ほどのところにあった。町の東の端れに当っている。墓の建物は高さは二五メートル、左右三六メートル、全面タイルで覆われている。タイルは北京から持ってきたもの、この土地のもの、いろいろ混じっていて余り上等ではないそうであるが、建物の形はなかなか堂々としており、ドームのタイルで包まれた塔もいい。
 この建物の中に香妃と呼ばれている女性の一族、五代七二人の墓が収められている。香妃の墓もあれば、両親の墓もある。建物の中に七、八十センチの高さの広い壇があり、その上に七二人の墓石が竝べられてある。棺は墓石の下、床から二メートルのところに収められてあるという。薄暗い中を一巡する。まさに一族の墓であり、一族の墓も、これだけ集ると壮観である。
 香妃についての伝説はいろいろあり、どれが真実に近いものか、或いは全くの架空の物語か、よくは判らないそうである。
 とにかく香妃はこのカシュガルの地から召されて、乾隆帝の後宮に入った女性で、天成の美貌のほかに、体から芳香が漂っていたと言われている。伝説ではこういうことになっており、悲劇の主人公にされたり、幸運の女性にされたり、中国と少数民族の親善のために役立たされたり、いろいろな物語が香妃をめぐって生れている。
 それはともかくとして、香妃の体が持っていた芳香なるものが、いろいろと問題になってくる。伝説では沙棗の花の匂いを持っていたということになっているが、私たちも沙棗はこんどの旅行で多少馴染みになっているので、この物語を支持したいが、肝心の沙棗の匂いそのものについては、残念ながら発言権を持っていない。
 沙棗は四、五月頃木犀《もくせい》のような小さい黄色の花を持ち、その花のひと房を部屋に置いても、部屋中が匂うという。いかなる匂いであろうか。
 香妃の墓を辞して、町に引き返す。新市街の端れにエィティカール・モスクがあり、その背後一帯がオールド・タウンになっている。このモスクが最初に造られたのは四百四十九年前であるが、百五年前に建て直されているというから、さほど古いものではない。それはともかく、この地区では一番大きい生きたイスラム寺院である。朝七時半から夜の十一時半までの間に、五回の礼拝時間が設けられてあり、五、六千人の礼拝者が集るという。新疆地区で幾つかの回教寺院を見て来ているが、カシュガルに来て初めてイスラム教の本場に来たという感慨を持つ。
 エィティカール・モスクを出て、その傍の市場に入る。忽ちにして大勢の人に取り巻かれて動きがとれなくなり、這々《ほうほう》の体で引き揚げる。バザールもまた、ここが本場という思いを持つ。バザールを一巡できなかったことが残念である。
 この町の家は日乾《ひぼし》煉瓦を積み上げて造ってあり、それに赤い泥か白い石灰が塗られている。もともと土が赤いので、煉瓦そのものも赤い。町中を三本の川が流れているが、三本の川もまた赤い。
 八月十八日、女医さんの張可真女史から全快を申し渡される。それで明日は空路アクス(阿克蘇)に向うことにする。カシュガルの滞在が長くなったので、その間にカシュガルに関する話をいろいろな人から聞いている。話してくれた人はお医者さん、看護婦さん、通訳さん、コックさん、運転手さん、それから地区革命委員会の人たち。
 ──三月から五月までの間に、何回か大風が吹く。最初、沙漠から吹いて来る風のため遠くに黄塵が上がるのが見える。それから二時間ほどすると、町は黄塵のために視野全くなくなり、家の内部もまた暗くなる。
 ──雨は少い。たまに雨が降ると、道はすっかり荒れてしまう。冬は雪が降る。その雪を灌漑用水に使っているので、農作物のためには雨を必要としない。
 ──こちらで雨は降らなくても、パミールの方で雨が降ると、その水が流れて来る。そのために道は荒れてしまうのである。
 ──カシュガルには天山の西部から発するトマン・ダリヤ、クズル・ダリヤ(別名カシュガル・ダリヤ)の二本の川がある。町はこの二つの川に挟まれている。クズル・ダリヤはカシュガルでは最大の川で、川幅は五〇〇メートル。カシュガルからヤルカンドヘ行く途中を流れている。
 ──ヤルカンド、ホータンの二川は崑崙から発し、ガイズ・ダリヤ、クサン・ダリヤの二川はパミールから発する。ガイズ・ダリヤは黄色の川で、カシュガルとインギシャの間を流れているが、いつか消えてしまう。
 ──天山とパミール、パミールと崑崙は繋がっていて、繋がるところは必ずしも低くなっていず、特に境はない。
 ──天山の西端はカシュガルの真西に当っており、土地の人の中にはパミールと呼んでいる人もある。
 ──カシュガルからは天山も、崑崙も見えない。西端にパミールの雪山が見えるだけである。ムスタク峯、コンゴル峯である。崑崙はヤルカンドヘ行く途中から見えてくる。
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