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日本史の叛逆者01

时间: 2019-05-24    进入日语论坛
核心提示:     1 天正《てんしよう》十(一五八二)年六月二日|早暁《そうぎよう》。 明智光秀《あけちみつひで》率いる一万三千
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 天正《てんしよう》十(一五八二)年六月二日|早暁《そうぎよう》。
 明智光秀《あけちみつひで》率いる一万三千の軍勢は丹波亀山《たんばかめやま》(京都府亀岡市)を出て東へ向かい、老《おい》の坂《さか》を越えていた。
 ここから沓掛《くつかけ》を経て京までは、あと二里、指呼《しこ》の間《かん》である。
(おかしい、なぜ京へ向かうのだ)
 光秀の臣で母衣衆《ほろしゆう》(伝令将校)の一人|高柳左近《たかやなぎさこん》は不審を抱いた。
 明智軍団の出陣は西国《さいごく》で毛利《もうり》軍と戦っている羽柴秀吉《はしばひでよし》への応援のためのはずだ。
 ならば東ではなく西へ向かわねばならない。
 それなのに全軍は明らかに京をめざしている。
 左近だけが不審を抱いているのではない。
 兵たちの表情にも動揺が見える。
 ただ、行軍中の私語は禁じられている。
 明智軍団にかぎらず、織田《おだ》家に属するすべての軍団はそうだ。
 敵味方の強弱を論ずること、恐怖をまぎらわすために歌うこと、もちろん喧嘩《けんか》口論もいっさい禁じられている。
 軍事行動中に喧嘩をすれば、事の理非を問わず目付《めつけ》に処断される。
 場合によっては斬られることすらある。
 だから、だれも口を開かないが不安は全員の胸の内にある。
 その不安を解消させるためか、沓掛に着いたころに全軍に通達があった。
「中国出陣に際し、上様に軍備を見ていただく、そのために京に入る」
 上様——信長《のぶなが》のことである。
 殿でもない、御屋形《おやかた》様でもない。
 上様である。
 天下を統《す》べる人への敬称と言っていい。
 信長はいま信長でしかない。
 つい先日までは右大臣だった。
 だがいまはその職も返上している。
 将軍でもなく公卿《くぎよう》でもなく、ましてや天皇でもない。
 あえて言うなら日本国王ともいうべき存在である。
 その信長が京にいる。
 左近は初めてそのことを知った。
 信長は忙しい。
 本拠は近江《おうみ》の安土《あづち》城だが、西に東に、今日は軍事、明日は外交と飛びまわっている。
 織田家に属する者でも、その所在をつかむことは難しい。
 その信長が京にいて、光秀は軍備を見せるという。
 閲兵しようということか。
(だが、それはおかしい)
 左近はなおも不審に思った。
 たしかに信長は閲兵をするのは嫌いではない。
 少し前に信長は京において、「馬揃《うまぞろ》え」という空前絶後の閲兵式を行っている。
 しかし、それは天下制覇の戦いが小康状態に入ったときのことだ。
 いまは違う。
 毛利という西国の大敵と交戦中である。
 毛利がなかなか手強《てごわ》いからこそ、明智軍団が応援に駆けつけるのである。
 悠長《ゆうちよう》なことは言ってられないはずだ。
 つねに敏速を愛する信長が、こんなときにわざわざ閲兵を希望するだろうか。
「きゅうそくー」
 間延びした号令が、先頭から伝わってきた。
 先頭が沓掛に着いたらしい。
 細い道を大軍が進行すれば、どうしても先頭と後尾の距離が開く。
 それゆえ号令は前のほうから、ゆっくりとした大声でつぎつぎに伝えられていくことになる。
 左近は母衣衆であるから、先頭にかなり近い。
 馬廻《うままわり》(近衛将校)の天野源《あまのげん》右衛門《えもん》が本陣に呼ばれた。
 そしてすぐに二十騎ほどと足軽五十名を連れて、先発した。
「あれは何だ?」
 左近は小声で同僚の小野田数馬《おのだかずま》に言った。
 休息中は私語は許されている。
「何って、天野殿だろう」
 数馬は軽くあくびをして答えた。
 亀山城を出たのが昨日の夜遅く、それから夜通し行軍して、ここまで来たのである。
 しかし、夜明けまでには、まだ少し間がある。
「天野殿はわかっている。なぜ天野殿が先発するのだ?」
「物見ではないのか。それとも京の信長様への使いかな」
 数馬はたいして気にもとめていないようだ。
「使いなら、我ら母衣衆の役目ではないか」
「では、物見だろう」
 物見とは軍事偵察を意味する。
 数馬は面倒くさそうに答えた。
「物見なら、なおさら、我らの役目ではないか」
 左近の心の内に、初めて疑惑が浮かび上がった。
(ひょっとして殿は、京の信長公を襲うつもりでは)
 まさか、と思った。
 しかし、考えられないことではない。
 いま信長の軍団はすべて遠征に出ている。
 関東に滝川一益《たきがわかずます》、北陸に柴田勝家《しばたかついえ》、中国に羽柴秀吉《はしばひでよし》、そして大坂に丹羽長秀《にわながひで》。長秀は信長三男の神戸信孝《かんべのぶたか》を総大将に四国征伐に出陣することになっている。
 その丹羽軍団がいちばん近いが、それでも少し離れている。
 おそらく信長とともにあるのは、一千に満たない人数である。
 そこをこのまま一万三千の明智軍団が襲撃したら、いったいどういうことになるか。
(まさか——、もし殿がその気になられても、御家老衆がおとどめになるだろう)
 たしかに信長を討つことは、さして難しくはない。
 しかし、その後どうするのか?
 いったん京を制圧しても、信長の仇《あだ》を討とうと全国から軍団が戻ってくる。
 それに対抗することはきわめて難しい。
 ほとんど絶望と言ってもいいのではないか。
 だから、きっと家老の斎藤《さいとう》内蔵助《くらのすけ》らが、光秀の無謀な企みをとどめてくれるにちがいない。
 そこまで考えて、左近ははっとした。
 斎藤内蔵助——この光秀の一番家老を務める男の妹が、信長の養女となって四国の長宗我部《ちようそかべ》家の若殿|信親《のぶちか》に嫁《とつ》いでいる。
 しかし、いま大坂に集結している丹羽軍団は、その長宗我部を滅亡させるための軍団なのである。
 内蔵助は妹かわいさに、光秀が信長を討つことに賛成するのではあるまいか。
 主君と一番家老の意見が一致すれば、何事も行われるとみなければならない。
 左近は決心した。
 これは出世の大きな機会かもしれない。
「おい、おれは、抜けるぞ」
 左近は数馬に小声で言った。
「抜ける?」
 数馬は呆気《あつけ》にとられ、急いであたりを見回した。
「——どういうことだ」
「話している暇はない。とにかくここを抜ける」
「逃げるのか、それは——」
 数馬は大声を出しそうになり、慌てて口をつぐんだ。
 敵前逃亡は死に値する大罪である。
 どこに目付の目が光っているかわからない。
「おれを信じろ。おれはな、京の信長様のところへ行くのだ」
「信長様?」
「いずれわかる。もし、困ったら、おれを訪ねて来い、いいな」
 左近は立ち上がって、馬に馬銜《はみ》を噛《か》ませた。いななきをあげさせないための用心である。
 あたりは鼻をつままれてもわからない闇《やみ》の中だが、左近はこっそりと道をはずれて山の中に入った。
 数馬は密告したりするような男ではない。
 それでも左近は背後に気を配り、山の中を進んだ。
 かろうじて見える星だけが頼りだ。
 山を迂回《うかい》して先頭集団の前に出て、そのまま京まで一気に駆け抜けるつもりだった。問題は天野勢である。
 天野勢はどんな待ち伏せをしているか。
 そう、待ち伏せである。
 天野源右衛門の使命は、先行して京の入り口を見張り、信長への注進を防ぐためにちがいない。
 見晴らしのいいところに手勢を伏せて、街道を見張っているにちがいなかった。
 馬を降りれば、目立たない。
 しかし、それでは京へ着くのが遅れてしまう。
 まもなく出発するであろう明智軍団に追い抜かれては何にもならない。
 おそらく信長は、京で定宿にしている本能寺《ほんのうじ》にいるはずだ。
 その本能寺を襲うのは明朝日の出のころということは見当がついた。
 これはこの時代の軍事常識である。
「夜討ち」という言葉があるが、これは実際にはほとんどが「夜明け討ち」、つまり日の出を期しての急襲を意味している。
 なぜか。それはサーチライトも照明弾もないからだ。
 鼻をつままれてもわからないような闇夜に攻撃をかけても、下手をすれば同士討ちの危険もある。
 それに闇にまぎれて肝心の敵の大将を取り逃がすことさえある。
 だから太陽が上がったところで攻撃をかけるのだ。
 敵の館《やかた》を単に焼き討ちするのなら、文字どおりの「夜討ち」でもかまわない。
 味方が敵の館を包囲し、蟻《あり》の這《は》い出るすきまもなく固めてから、火矢を射ち込めばいい。
 光秀軍は一万三千、これに対して信長軍は一千に満たないはずだから、夜明けを待たなくても、「夜討ち」でいいという考え方もある。
 だが、それなら行軍の速度はもっと速いはずだ。
 これはやはり夜明けを想定しての行軍である。
(光秀の殿は、信長公の逃げ足の速さを恐れている)
 山道をたどりながら、左近はそう思った。
 信長の逃げ足の速さには定評がある。
 有名なのは元亀《げんき》元(一五七〇)年四月、越前《えちぜん》の朝倉《あさくら》氏攻めの折、突然義弟|浅井長政《あさいながまさ》の裏切りにあったときの逃げっぷりだ。
 信長は形勢不利と知るや、わずか十騎程度の供廻《ともまわり》とともに越前を出て、近江の朽木谷《くちぎだに》を通って京へ逃げ帰った。
 闇夜の中で本能寺を攻めたら、脱出される危険もあるのではないか。
 光秀はそう危惧《きぐ》したにちがいない。
 また、真夜中に京へ到着することになれば、兵のだれもが光秀の説明を疑うことにもなる。
 閲兵のために京に入るのなら、夜が明けてからでなくてはおかしい。
 真夜中では閲兵などできないからだ。
 山道をたどって、左近はようやく先回りした形で街道に出た。
 問題はこの先だ。天野源右衛門の手勢が待ち受けている。
 そこをどうやって突破すればいいのか。
 おそらく死の危険があるにちがいない。
(ええい、どうにでもなれ)
 左近はいちかばちか強行突破をすることにした。
 鉄砲で狙《ねら》われたとしても、弾が当たるとはかぎらない。
 まして、幸いなことに、ずっと闇夜が続いている。
 左近は愛馬にまたがると、息を大きく吸い込んで、馬銜《はみ》をはずして一鞭《ひとむち》くれた。
 馬は、それまでがまんしていたのか、大きないななきとともに、突っ走った。
 左近は身をできるだけ伏せていた。
 姿勢を高くすれば、弓鉄砲の的になる。
 どれぐらい走ったろうか、左近はふと全身に悪寒《おかん》を覚えた。歴戦の強者《つわもの》にはよくあることだ。
 生命の危険が迫ったときに、いやな予感がする。その予感に従って行動すると命が助かる。
 なまじ理屈をこねてはいけないのだ。そういうことをすると、かならず悪い結果を招く。
 戦場では判断より直感がいい。
 そして、そういう直感に恵まれた者だけが、歴戦の強者として生き残るのである。
 左近は思いきって馬を捨てた。
 それも止めて降りたのではない。
 鞍《くら》からぶら下がるようにして体をそらし、そのまま手を放したのである。
 衝撃があった。左近はしたたかに大地に体を打ちつけ、馬は速度をゆるめずに直進した。
 その直後、数発の銃声が轟《とどろ》いた。
 馬は悲鳴をあげて、竿立《さおだ》ちとなった。そして、そのままどうと倒れた。
「逃がすな、首を討て」
 聞き覚えのある源右衛門の声がした。
 左近は痛む体をさするゆとりもなく、転がるようにして道わきの木立の中に身を潜めた。
 その左近と馬の距離が離れていたため、馬のほうへ殺到した足軽は、木立の中までには注意がまわらなかった。
(しめた)
 左近はそのまま街道わきの木立の中を進み、先へと進んだ。
 馬の倒れた付近に、天野勢の注意は集中している。
(どこかに馬があるはずだ)
 源右衛門もここまで歩いてきたのではない。
 かならずどこかに馬がつないであるはずだ。
 闇の中で、かすかに馬のいななきが聞こえた。
 左近は手探りでそこへ行くと、馬の熱い息が手に触れた。
「しめた」
 左近はあたりをうかがうと、木につないであった馬の手綱《たづな》を切り落とした。
 そして、すばやく馬にまたがった。
 道に出るまではゆっくりと、そして道に出てからは、思いきり強く馬の尻《しり》を叩《たた》いた。
 悲鳴とともに馬は走りだした。
「あちらだ」
「逃がすな」
「追え」
 慌てた叫びがあちこちであがったが、もうどうすることもできなかった。
 左近は闇の中、一路京へ向かって突進した。
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