梁(りよう)のときである。青州の商人(あきんど)たち十数人の乗った船が海上で暴風に遇(あ)い、幾日も流されたすえ、どこともわからない国へ漂着したことがあった。
船の上から見ると、山があり、川も流れ、遠くには壮麗な城が一つ見えて、普通の島のようではない。
「いったいどこだろう」
と商人たちは口々に言った。船頭も、
「わたしたちにもわかりません」
と言い、
「この商売をはじめてから、暴風に遇って流されたことは何度もありますが、こっちの方へきたのははじめてです。なんでもこっちの方角には鬼国(きこく)という国があるとか聞いたことがありますが、もしかしたらそれかもしれません」
とにかく、あの城の方へ行ってみよう、ということになって、一同は岸へあがった。
あがって見ると、ずいぶんたくさんの人々が住んでいる島だった。家のつくりや田畑のありさまは格別に変ったところはなかったが、途中で出会う人々は、会釈(えしやく)をしても、声をかけても、みな知らない顔をして行きすぎてしまうのである。どうやら、この島の人々の姿はこちらには見えても、こちらの姿はこの島の人々には見えず、言うこともきこえないようであった。
村を通り、町を通って、やがて城門の前まで行った。門には番人がいかめしい姿で立っていた。そばへ行って会釈をしたが、やはり知らない顔をして立っている。そこで、かまわずに城内へはいって行ったが、一同がぞろぞろとはいって行っても、城内の人はだれもとがめようとはしない。宏大(こうだい)な城であった。奥深くまではいっていくと、王宮らしい建物があった。あがって行ってみると、王が饗宴(きようえん)をしているところだった。多くの重臣らしい者、賓客(ひんきやく)らしい者が座についていて、楽しげに酒を飲んだり料理を食べたりしている。王以下の者の服装も机の上の器具も、楽師たちが演奏している音楽も、みな格別変ったところはなく、見なれ聞きなれているものだった。
だれもとがめる者がないのをさいわい、玉座のそばまで行って様子をうかがうと、王はにわかに病気になったらしく、侍臣たちが大さわぎをしだした。しばらくすると巫女(み こ)らしい女が呼ばれてきて、占(うらな)いをはじめた。ていねいに占ってから巫女は言った。巫女のその言葉だけは一同にはっきりきこえた。
「わかりました。これは陽地(ようち)の者のせいです。陽地の者がきましたので、王はその陽気に触れてにわかに発病なさったのでございます。しかし案じることはありません。陽地の者もたまたまここへきただけのことで、別にたたりをなすというわけではありませんから、食べ物や乗り物をあたえて帰らせてやれば、王のご病気はすぐ全快いたします」
王の侍臣たちはそれをきくと、さっそく別室に酒や料理を用意した。そこで一同は、はじめて自分たちの飢えていたことを思いだし、別室へ行って飲んだり食べたりした。巫女と侍臣たちはそのあいだずっと、一同のまわりにひざまずいて、しきりに何か祈っているようであった。
一同が満腹すると、馬の用意ができて、中庭にずらりと十数頭の馬が並んだ。馬の数はぴったりと一同の数に合っていた。それに乗ると、馬はひとりでにもとの岸の方へ進んだが、はじめからおわりまで、むこうの人たちにはこちらの姿は見えなかったようであった。
これはつくりばなしではない。青州節度使の賀徳倹、魏博節度使の楊厚などが、その商人たちから直接にきいた話である。
宋『稽神録』