宋の大明年間のことである。浙江(せつこう)の武康(ぶこう)に徐という人がいた。瘧(おこり)にかかり、いろいろと治療をしたが、どうしても根治しない。
と、ある人が、
「なおる方法がありますよ。やってごらんなさい」
とすすめた。
「握り飯を持って道端へ出、負傷して死んだ人の名を呼んで、こういうのです。握り飯をあげますから瘧をとめてください! そして握り飯を投げて、あとをふり向かずに帰るのです。そうすればなおります」
徐は半信半疑ながら、やってみることにした。ところで、誰の名を呼んだらよかろうと考えていると、ふと、晋の車騎将軍沈充(しんじゆう)のことが思いうかんだ。そこで、その名を呼び、教えられたとおりにして帰った。
しばらくすると、供の者を従えて馬に乗った人がやってきて、徐に、
「おまえだな、旦那様の名を呼んだのは。不埒(ふらち)なやつだ」
と言い、なわで縛って引きたてて行った。
徐の家族の者は、みんなでさがしまわったが、徐の行くえはわからなかった。何日かたったとき、墓地のそばの棘(いばら)の茂みの中で倒れている徐を家族の者が見つけた。徐のからだはなわで縛られていたが、瘧はそれきりなおってしまった。
六朝『述異記』(祖冲之)