世説新語(捷悟篇)
曹娥(そうが)は後漢のときの会稽(かいけい)の孝女で、父の水死を悲しんで江に身を投げた。県令の度尚(どしよう)がこれをあわれんで曹娥の碑を立てた。
魏の武帝があるとき、その曹娥の碑を見た。碑の裏には「黄絹幼婦外孫臼(せいきゆう)」という八字の評語が刻んであったが、その意味がわからない。
「この意味がわかるか」
供(とも)をしている楊脩にたずねると、楊脩は、
「わかります」
と答えた。
「そうか。まだ言ってはならんぞ。わたしがわかるまで待て」
三十里ほど行ったとき、武帝は、
「わかった」
といった。
「黄絹とは色のついた糸で、文字にすれば『絶』。幼婦とは少女で、文字にすれば『妙』。外孫とは女(むすめ)が嫁して生んだ子で、文字にすれば『好』。臼とは辛(からし)をいれたあえものを入れる器で、文字にすれば『〓(じ)』(辞)。つまり、絶妙好辞(絶妙の名文)という意味だ」
武帝がそういってから、楊脩が書いた解答に眼を通すと、やはりそのとおりであった。
楊脩がほめると武帝はいった。
「わたしの才はそなたに及ばないこと三十里であることが、やっとわかったぞ」