自動車は流れる密室である。
いろいろなふうに使われる。これは鉄とガラスでできた応接室であり、書斎である。茶の間であり、取引のお座敷であり、しばしば寝室でもあるし、ときには便所ですらあるようだ。
いずれにしても密室である。みんなホッと息をついてくつろぐ。朝から晩までのべつに追いたてられ、はたらかされ、他人のために生きているこの狂気の都の住人たちは、自動車にのったときだけ、自分の時間をとりもどすのである。ほかにそういう場所がないのである。そこで沈思にふける人もあれば、短い忘我の旅をする人もある。とりわけ深夜となると、誰にも見られていないと思うものだから、奇想天外の行動にでる人もあるようだ。思いだして、ニヤリとなさる人がある。そう。つぎの短篇小説の登場人物たちは、みんな、�あなたに似た人�びとである。
あちらこちらのタクシーの運転手さんたちのたまり場になっている食堂へでかけて、つぎからつぎへと来ては去る運転手さんをつかまえて話を聞いた。彼らの観察と記憶は奇抜な偶然性にみたされていて、意表をつくものばかりだった。西鶴と『デカメロン』をごちゃまぜにして読むような気がした。覚悟はしていたものの、呆《あき》れてうならされることが多かった。話上手な人ばかりなので私は眉《まゆ》にツバして聞いたのだけれど、ほんとかねと聞くと、たいていの運転手が、私の無知と想像力の不足をあわれみ笑って、いまの東京はそういうところなのだと力説した。なにしろ切れた足が窓を蹴やぶってとびこんできて、電車の乗客がたおされるというようなことも起る土地柄である。すべてが可能なのである。どんなことだって起るのである。いちいちおどろいていた日にはお脳がもちませんよ。おどろくなどということは、ここじゃあ、なにか一種異様な、石器時代の感情ですよ。
ある運転手が話した。
東雲橋《しののめばし》(江東区)のあたりで、ある夜ひろった客は、二十二、三歳の娘さんだった。身なりはきちんとしていて、すわったところを見ると、膝《ひざ》を正しくあわせ、小さな両手をおだやかにかさねていた。行先をたずねると、静かな声で、私これから死ぬの、といった。何度たずねても、それだけしかいわなかった。ひっそりとした声で、何度でも、私これから死ぬのとくりかえした。
本気でそういった。死ぬのなら隅田川の上流へいったほうがいい。いくらか水がきれいだから。そういったら、娘は膝に手をおいたまま、小首をかしげ、じゃ、そうするわ。そこへつれていってくださいな。と答えた。気味わるくなって車をとばし警察署でとめた。係の警官がやってくると、娘はあわてずさわがず車をおりていった。警官にも彼女は、私これから死ぬのといった。翌日、気になったので署へいってみると、娘の身元がわかって、親がひきとりにやってきたあとだった。精神病の娘が家出してさまよっていたのだとわかった。
ある運転手が話した。
新橋の烏森でひろった客をロング(遠出)で八王子まで送ったあと甲州街道をもどってくると、ひどい雨になった。川底を走っているのかと思うほどひどい雨であった。ワイパーがいくらやっきになってうごいても視界には泡《あわ》だつ水しか見えなかった。用心して速度をおとし、のろのろと甲州街道を走っていると、とちゅうで街道のまんなかに一人の女がうつぶせになってたおれていた。豪雨にうたれるまま両手をのばしてたおれている。よけて通ろうと思ったが、深夜でほかに車もないようなので、車をとめた。目も口もあけていられないほどの雨なので、そのまま助手席に女をかつぎこんだ。女は全身びしょぬれになってぐったりと崩れ、東京までつれていって、といったきり、眼を閉じてしまった。新宿の灯が見えるあたりまで来たとき、それまでだまりこくって眠りこけているようだった女が、とつぜん眼をパチリとあけて起きなおった。そして、こんなにおそくなってはどうしようもないから、どこかの旅館へつれていってほしいというような意味のことをいった。千駄ヶ谷で一軒の旅館があいていたので、女をつれていってやった。部屋に入ると彼女は運転手に感謝し、優しくおそいかかった。朝まで寝かせてもらえなかった。翌朝十一時ごろになってようやく眼をさますと、女は消えてなくなっていた。床のカーペットには雨のしみだけがのこっていた。ハッとしてべッドからとびだし三点セットの椅子の背にかけたジャンパーのポケットをさぐってみたら、五エン玉一つのこっていなかった。
ある運転手が話した。
後楽園の競輪にいくという客を池袋からのせた。五十がらみの男で、くたびれた鳥打帽をかぶり、地下足袋《じかたび》をはいていた。大工の棟梁《とうりよう》か、土方の頭《かしら》かと思えるような客だった。後楽園の競輪場へ遊びにゆくところだという。車を走らせつつ世間話をしているうちに、客は運転手に、あんたは競輪をしないのかと聞いた。してもいいけれど暇がないのです、と答えると、暇があったらやるかと聞く。暇があっても稼がなければならないからと答えたら、暇と金があったらやるかねと客が聞いた。いつになったらそんな身分になれることでしょうと答えた。すると客は革ジャンパーのポケットから札束をとりだして運転手の手におしつけた。ここに五万エンある。今日はこれだけ遊ぼうと思って持ってきたのだが、あんたにあげる。勝っても負けてもいいから一文のこらず使ってみろ。勝てばあんたがとればよい。負けてもともとだ。ただし一文のこらず賭けろ。つまり、五万エンで一時間か二時間おれがあんたの体を買うわけだ。
後楽園についたら、運転手は五万エン持って競輪の券売場へいき、客はヤキトリの屋台に入った。競輪をするのははじめてだったので、運転手は五万エンをたちまちスッてしまった。しょげてヤキトリの屋台で待っている客のところにもどると、客は床几《しようぎ》に腰をおろしてコップ酒を飲んでいた。負けて申しわけありませんとあやまると、客は怒り、なにもあやまることはないだろう、おれが好き勝手にしたことだ、もう仕事にもどれといった。いわれるままに運転手は紙|屑《くず》と砂|埃《ぼこり》と屋台の煙のなかを歩いて自動車にもどった。客はそのままコップ酒を飲みつづけた。姓名、年齢、職業、住所、なにひとつとしてわからないままに別れた。あまり裕福な身分でないことはコップに入っているのが焼酎《しようちゆう》だと匂いでわかったので、のみこめたが、それ以外のことはなにひとつとしてわからなかった。その日の夜、会社にもどったら、水揚料が少ないのでこっぴどく叱られた。こういう客があったのだといって説明してみたが、誰も本気に聞いてくれなかった。
ある運転手が話した。
犬が歩いてくるのを見た。買物にやらされたあとらしく、首に風呂敷包みをぶらさげていた。駅のそのあたりには踏切と陸橋があったが、会社帰りのサラリーマンや市場へ買いものにでかけるおかみさんでごった返していた。いつものたそがれの混乱があった。車道を歩く人。車のまえをかすめる人。赤信号なのに走る人。犬は人ごみのなかをやってきた。踏切にさしかかると、ちょうど遮断機がおりてきた。犬は遮断機がおりてくるのを首をあげて見た。走りぬけようと思えば走りぬけられるのに、また、そのことをよく知っているらしい気配でもあったが、そうしなかった。まわれ右をすると、いらいらして足踏みをする人ごみをぬけ、トコトコと静かに陸橋の階段をのぼっていった。
ある運転手が話した。
銀座あたりの客には見かけだおしが多いけれど、これもその一つである。夜ふけに有楽町で一人の紳士をひろったら、小岩のスラム街へいかされた。ひどいハモニカ長屋の、いまにも崩れそうな穴の一つに紳士は入っていった。前灯も尾灯も室内灯も、灯《あかり》という灯をみんな消して待っていてくれ、すぐでてくるからといった。いわれるままに灯を消して待っていると、紳士は家族をつれてでてきた。妻と子ども二人。上野へいってくれという。妻は車のなかでしくしく泣きつづけ、紳士がなにをいっても答えなかった。子どもたちはピクニック姿で水筒を肩からさげていたが、一人はすぐに眠ってしまった。もう一人の子は自動車とすれちがうたびにはしゃいだ。これから夜逃げするところなので、さっき灯を消してもらったのは家主に見つからないようにするためだと紳士が話をした。いまから上野へいっても汽車や電車はないはずだが、と運転手がいうと、じゃあ駅の待合室で夜を明かすさと紳士が答えた。それからどうするんです? さァね。山手線にでものって考えることとするか。そうだ。あれは三十エンで何周でもできる。上野駅につくと、紳士は二人の子どもの手をひき、泣きつづける妻をつれて、蒼白《あおじろ》い洞窟《どうくつ》のような駅のなかへ入っていった。タクシーの料金はきちんと払ってくれた。さいごの虚栄らしかった。着のみ着のままで夜逃げする人間がどうしてタクシーにのるのか、運転手にはのみこめなかった。
ある運転手が話した。
深夜の東京駅や上野駅には家出した少年少女がいるが、それを狩り集めるやくざもいる。言葉たくみに持ちかけて狩り集めるのだ。八重洲口あたりにトラックや自動車を待たせておく。少年たちはトラックに積みこみ、少女たちは自動車につめこむ。そして、どこへともなく消えるのである。顔を見おぼえるくらい何度もそのやくざたちを見たから、彼らはしじゅう人狩りに来ているのではないだろうか。
ある運転手が話した。
これは友人の経験だけれど、熊谷《くまがや》あたりまで遠出して田んぼのまんなかで刺身庖丁《さしみぼうちよう》をつきつけられたことがある。人を見る目がなかったのだと反省して金をくれてやった。ところがあたりにはタクシーもなければ電車もなく、人家の灯《ともしび》も見えない。若者は途方に暮れて、佇《たたず》んでいる。おれも男だ。金を返せとはいわない。あんたは東京だろ。一人のるのも二人のるのもガソリン代はおなじだ。のりなよ。声をかけたら、若者はのこのことのりこんできた。そこで、どんどん、どんどん、もと来た道をひき返し、東京の入口のところで街道にポリ・ボックスがあったので、そのままズーッと横づけしてやった。おっさん、ずるいと若者は叫んだ。
ある運転手が話した。
何年たっても首に麻縄の赤い跡が消えないでいる運転手がいる。また、酒も飲まないのにいつも右の眼だけまっ赤になっている運転手もいる。客にしめられたときにあがった血がそのままおりないでいるのじゃないかと思う。
ある運転手が話した。
中野からのせた、いい家の奥さんらしい中年女性に、ひっそりしたところへいってくださいといわれたので石神井《しやくじい》公園へつれていったら、体を貸してちょうだいといわれた。
ある運転手が話した。
かあちゃんにたのまれて浅草の特売店へ買物にいったら、外人が二人の子供をつれてたっていた。子供は二人とも日本語で話しあっていた。外人は息子たちの日本語が理解できないらしく困ったように笑って首をよこにふっていた。クツも背広もくたびれ、ネクタイもしめていなかった。電柱のかげにかくれるようにしてたっていた。弱い外人もいるのだと思った。
ある運転手が話した。
上野公園のルンペンは、捨てられた競輪場の券を集め、一枚一枚、日光浴をしながらアタリとカスを調べる。月に二、三万円の収入になるそうだ。ズックのカバンにぎっしりと土にまみれた車券がつまっていた。
ある運転手が話した。
新宿二丁目でのせた客は、夜ふけなのに、ゆくあてもないらしく、新宿御苑あたりへいってくれといった。新宿御苑につくと、青山墓地あたりへいってくれといった。青山墓地につくと、助手席にのりこんできた。そして、とつぜん、切迫した、熱い、ひくい声で、告白した。戦争中にスマトラのうえにあるなんとかいう島で暮したが、男ばかりであった。そのときから、女に感ずることができなくなった。成城の家には妻も息子もいるが、女にはなにも感ずることができない。さっきから後ろ姿を見ていると、耳から顎《あご》へかけて、あなたは昔の兵隊仲間の恋人にそっくりだ。そう思うとがまんができなくなった。これこのとおりだ。客はそういって運転手の手をとった。さわってみると雁《かり》がくわっとひらけてこわいような怒脹ぶりだった。
あたりは静かな墓地である。運転手はうろうろしつつ、介錯《かいしやく》だけ手伝ってやった。客はポケットから白絹のハンカチを走らせた。なにかの花のいい香りがした。
渋谷へぬけて、成城へいく。
客は厚い木立ちのある、りっぱな一軒の邸へ、通用門から消えていった。屋敷町にはひっそりとした青い匂いのする空気がただよい、霧が流れている。かぞえてみると、客のくれた料金には五千エン札が一枚よけいにまじっていた。自動車からおりしなに、爽《さわ》やかないい香りを襟《えり》からたてるその客は、恥じた低い低い声で、つぶやいた。
「……私は戦争犠牲者だ」
自動車からおりると、手もふらず、ふりかえることもなく、そのまままっすぐに歩いて、大谷石を切った通用門に消えていった。