こないだ新聞社のおじさんがやってきてぼくに宿題をしているかと聞きました。ぼくの顔さえみたらそう聞くのです。おじさんは若いけれどまるまる太っています。銀座のネズミみたいだというとおこります。
またテレビをみてるんだろうというので、テレビもみてるけど宿題もしてら、こないだはちがいだなにもたれて一晩に六枚もワークをつけたんだぞといいました。すごい、すごい、それじゃあ、うんこをみにいこうとおじさんはいいだしました。
先生が学校でつめこんだのを家へかえってからだすのが宿題で、給食とおなじことだ。健は給食を学校でたべて家へかえってからトイレに入るだろう。それなら宿題をするみたいにだしたものがどうなるのか、みとどけなければいかんじゃないか、というのです。おかあさんに聞いたら、新聞記者のおじさんは足で書くからいい勉強になる、いってきなさいといいました。
いきましたのは神田三崎町の投入場と大手町のポンプ場と山王下の下水見学場と砂町の処理場と小台の処理場と月島にあるうんこを海へすてる舟の事務所です。とちゅうで元気がなくなったので二日かかりました。これでうんこのことならたいていわかったから健は�べんつう�になったのだとおじさんはいいました。せんにぼくがマンガばかりよんでいるのでマンつうだといったこともあります。ぼくはマンつうでべんつうだそうで、ゆうべん大会にでたらきっと勝つぞとおじさんはいいました。
三崎町の投入場はにぎやかな町のまんなかです。神田川が流れています。倉庫みたいですが、天じょうは高くて、ガラスばりで、鉄骨で、ちょっと体育かんみたいです。床はコンクリです。ところどころ穴があいています。バキューマーが何台も何台もひっきりなしにやってきては穴のなかに太いゴム管をつっこむのです。そうやってうんこをすてます。
コンクリの床のしたはコンクリのすごく大きなタンクになっているということです。穴をのぞいてみたら黄土いろの水がすごいいきおいで流れていて、すごいにおいでした。うんこはおもいからほっておくとよどんでしまう。かるくしなければいけない。そこで神田川からポンプで水を一日に何十キロリットルとくみあげてうすめるのだと所長のおじさんが説めいしてくれました。あんなに速くうごくのは水でうすめられたときのはずみがついているからです。わかった、わかった、ハイボールにしてるんだとぼくがいうと、おじさんは、毎晩おれはのんでるんだぞといいました。
ベルトコンベアがタンクのなかからいろいろなものをひっかけてあがってきます。ゴムぐつをはいたおじさんたちがそのモロモロをまんが(筆者注・馬鍬《まぐわ》のことか)でコンベアからかきおとします。まるで壁土をねっているみたいでした。すごいにおい。目がちかちかしてきて鼻がつんとなってしまいました。天じょうのへんでシュウシュウと白いけむりが吹きだしていて、所長のおじさんが、あれはにおい消しのエヤーウィックだといいました。ぼくの家のトイレにもあります。ボタンをおしたらスカッーとでるやつです。水洗にするよりこのほうが安いからといっておかあさんが買います。おかあさんはけちんぼだからお金があっても安いものを買います。もし足が一本しかない人が死んだらこんなかんおけをつくるとおもいます。
(挿絵省略)
ここで大きなじゃまものをすくいとってからうんこはほかの下水管からきたのといっしょになって芝浦の処理場へいき、きれいにされて太平洋へいくのだそうです。けれど、東京は台地がたくさんあるから、土地の高い区からきたぶんは芝浦へいきおいよく急行でいきますが、土地のひくい区からきたぶんはよどんでしまう。元気がなくなって下水管のなかでどんよりしてしまう。そこでどこかですくいあげ、エイヤッといきおいをつけてやらなければならない。ドッといきおいをつけて芝浦へとばしてやらなければいけない。そうしないと下水管がうんこの池みたいになっちまう。大手町にあるポンプ場がこれをするのだ。
大手町にはガラスと鉄でできた新しいビルがたくさんあって、外国からえらい音楽家がくるとおかあさんはぼくをつれていきます。道はでこぼこではありません。土や木はどこにもありません。ピカピカ光るホテルや銀行ばかりなのです。みんなきれいな服を着てあるいています。ひげもそってるしくつもきれいです。シャツもぴんとして、光っています。外国人か日本人かわからないような人がたくさんあるいています。そういう町のまんなかにうんこのポンプ場があるというのでぼくはすっかりたまげてしまった。
二階だてのへんな小さい役所のなかに家ぐらいもある大ポンプが何台となくあっていっせいにぶううううううんとうなっていた。ああ、これがうんこを直球でとばしてるんだな、とぼくはおもった。一歩入ったら、また目がちかちかしてきた。奈良づけかくさやの工場へ入ったみたいです。おじさんはあたりをクンクンかいで、ローマのチーズ屋にそっくりだとつぶやきました。家へかえっておかあさんにそういったら、キャアッ、いっぺん外国へいってみたいなあとためいきをつきました。
所長さんがでてきていろいろと話を聞かせてくれました。ここでもやっぱりにおいに困っているらしい。電話ちょうをみて香水会社をよび、くずの香水をドラムかんで持ってきてもらったこともあるそうです。それをまいたところがにおい消しにならないで、あべこべによけいすごいにおいができて大さわぎになったことがあるそうです。アメリカ製のでやってみたこともあるがどうも日本のうんこはうまくいかないようだといいます。いまにここに地下だけで五階もある三菱のビルができてすっぽりとポンプ場をかくしてくれるそうですが、そのビルは東洋一だといいます。おじさんはよろこんで、また東洋一が一つふえますかといって所長さんと話をしていました。でもそのビルができても地下でうんこをとばすことだけはやめないそうです。なにしろ、もう、古くからあるんで、いまさらあれで、どうしようもないんだ、と所長さんはいいました。
暗い地下室へおりると二つの大きなうんこのプールがあります。さきの三崎町でハイボールになったのがここへくるのです。プールのはしに大きな鉄のくしがあってじゃまものをくいとめ、ろかします。ひっかかったものをトロッコではこびだします。スコップでつみこむのです。泥もあります。ゴムぐつをはいたおじさんがやっていました。りゅう酸のかめをかいだみたいなすごいにおいがギリギリと胸からおなかいっぱいにつまり、たちまちぼくは鼻つんになってしまいました。これは下水道局の下うけの会社の人がやるのですが、一日に千五百エンの日給だそうです。夏の日なんかはどんなに体をあらってもにおいがしみついてどうしようもなくなるそうです。
機械をうごかすのは下水道局の人ですが、これだって一日たったの百エンのちがいがつくだけだそうです。おじさんは青い顔をして生きるってたいへんなことなんだといいました。三崎町で二十年か三十年つとめた人がいるそうですが、その人はフロに入ったり、汗をかいたり、お酒をのんだりすると肌からにおいがたったといいます。三十年もやると体のシンまでしみこんでしまうのだとおもいます。かんがえればかんがえるほどぼくは胸が気持わるくなってきてどうしてよいのかわからなくなりました。
いろんなものが流れてくる。なんでも流れてくる。人間のさわったものならなんでも流れてくる。人間の体のなかをとおったものもとおらなかったものも、イカのゲソでも赤ン坊でも、ハンドバッグでもえろしゃしんでも流れてくると所長さんはいいました。一分間に七十二コもゴム長が流れてくるといいました。一分間に七十二コですかとおじさんが聞くと、ええ、そう、一分間に七十二コ、朝の十時ごろがいちばん多いようですなと所長さんがこたえました。二人はわらっていますが、いったい朝の十時ごろになんだってゴム長をそんなにたくさんトイレにすてるのか、ぼくにはさっぱりわかりません。庭の土にうめたらモグラがかぶってでるからなあといっておじさんはまたわらいました。
東京の下水道は二割とちょっとぐらいしかないそうです。トイレを水洗にしてる家は少ないのです。だからバキューマーでくみとりをしなければいけません。そのくみとったぶんも六割ほどが海へすてられて、科学的にきれいにされるぶんはわずかなのです。だから砂町でも小台でも広いところにプールやタンクや工場がたくさんあってすごく科学的なのでぼくはとてもイカスとおもったのですが、新聞社のおじさんは腹をたてて、こんなことはなんの自慢にもならないといいました。はじめにちゃんと下水をつくってから東京をつくらなければいけないのに、目さきのことに追われたり戦争なんかしたりしてお金をムダ使いしたから、こんなものをつくらなければならなくなったんだといいました。
海へすてるのは大島あたりまでもっていくのだそうです。東京湾で一千トンくらいのオイルタンカーにだんぺい舟からつみかえてもっていきます。大島あたりには黒潮の本流が流れています。舟からすてるとしばらくのあいだは太平洋にもっくりと黄いろい島が一つできたみたいにただよっているが三十分もすると、すっかりなくなってしまうそうです。
舟の事務所のおじさんのいうところでは、すてたうんこを原生植物というのがたべ、それを動物プランクトンというのがたべ、それをイワシがたべ、それをカツオがたべ、それを人間がたべるのだそうです。黒潮は大島から金華山沖をまわってサンフランシスコヘいき、金門湾に入ってゆくそうです。家へかえっておかあさんにいうと、それがほんとの黄禍《おうか》だわねといいました。新聞社のおじさんは、この世のすべてのものは流れるけれどけっして消えることがないのだ、ただ形とにおいが変るだけなのだといいました。たしかにそうだとおもいます。ぼくは一つかしこくなりました。学校の先生ももとはプランクトンかカツオだったのかもしれんとおもいます。
砂町は五万つぼもある広い島ですが、夢の島とおなじで、ごみでできたものなのだそうです。ここでは下水とうんこの二つをきれいにします。うんこだけで三百万人ぶんをこなすそうです。下水はきれいにして水と泥にわけ、水は送りかえして工場用水に使います。泥は栄養分が多いのでミカン山へもっていくそうです。工場の敷地のあちらこちらに泥がすててあって、そのあたりの草は冬だというのに青あおしていました。うんこのかがくぶんかい(筆者注・化学分解のことか)メタンガスの熱をつかうので土があたたかいせいでもあると場長のおじさんがいいました。このメタンガスも三百万人のうんこからとれるのだそうです。すごくでっかい銀いろのガスタンクがあってピカピカ光っていました。してみると、うんこだとおもうからきたない気がするので、鉱山や油田だとおもえばいいのだなとぼくはかんがえました。東京は油田です。テキサスやサウジアラビアとおなじです。いくらとってもとりきれないガスの油田です。日本は天然資源がないといいますけれど、そんなことはないとぼくはおもいます。
場長のおじさんにつれられて工場をあちらこちらみてあるいていると、大きながらんどうの部屋がありました。すごく大きいのですが、そこだけがらんどうで、なにもないのです。場長に聞くと、これはダイナモをすえつけるためにとってあるのだといいます。ダイナモって発電機のことです。火力ですかと聞くと火力は火力だがガスでまわすのだといいます。なんのガスですかと聞くと、メタンガスだといいました。なぜいままわさないのですかと聞くと、いまはまだガスの分量がたりないからだめなのだ、日本人がもっとアメリカ人のようにいいものをたくさんたべるようになるとガスもよくでてダイナモがすえつけられるだろうと場長はこたえました。いつになったらそうなるのですかと聞くと、いつかはわからないがきっとそうなる、きっとそういう日がやってくるにちがいないとおじさんはいいました。家へかえっておかあさんにいうと、ほんとにダイナミックなこうそう(筆者注・構想のことか)だわ、夢とごうりしゅぎね、感心しちゃったといいました。
処理場からでてきた水は、びっくりするくらいきれいになるのです。のんでのめないことはないそうです。砂町の場長は大臣に聞かれたのでのんだことがあるそうです。小台の処理場のほうりゅうこう(筆者注・放流口のことか)のまわり二メートル四方ぐらいには魚が集ってきて住みついています。これは荒川に流れこんでいて、荒川は工場の汚水でシジミ一コ住めないくらいよごれ、インキみたいです。しかし、この二メートル四方にだけは魚がうようよ住んでいるのです。フナ、コイ、クチボソ、ドジョウ、ウナギなどです。タナゴやキンギョみたいによわい魚も住んでいます。冬になると管のなかにもぐりこみ、春になるとでてきます。潮がさしたりひいたりしても汚水はこの二メートル四方のうえとよこをとおっていくだけですから魚は平気なのです。つまり魚はガラスばりの部屋のなかでくらしてるようなものです。処理場の水は朝から晩まで流れてとぎれることがありませんから、この部屋はこわれないのです。魚たちは下水の栄ようたっぷりの水を吸ってるのでまるまる太り、餌で釣ろうとしてもみむきもしないそうです。ぼくがみにいったときは、インキのような荒川の水のなかでキンギョが一匹あそんでいました。ほかの魚は管のなかでひるねしているのでしょう。おじさんはすっかり感心し、ホッとするなあ、ホッとするなあといいました。