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ずばり東京16

时间: 2019-07-26    进入日语论坛
核心提示:    財界の奥の院 工業倶楽部 先週は東京の下のギリギリのところまでおちこんだので、今週は上へあがってみようと思った。
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     財界の奥の院 工業倶楽部
 
 
 先週は東京の下のギリギリのところまでおちこんだので、今週は上へあがってみようと思った。上にもいろいろあるがどれにしようかと考えたあげく、丸の内の日本工業倶楽部にしようということとなった。先週はゴム長にアノラックという恰好だったが、しばらくぶりでネクタイをしめ、背広を着た。
 聞くところによると、工業倶楽部は財界の�奥の院�で、資本主義の�最後の牙城《がじよう》�なのだそうだ。倶楽部員の名簿をもらって見るといずれも高名な名が目白押しにならんでいる。新聞や雑誌の人物評でいつも実力者だとか、怪物だとか、平凡な非凡人だとか、非凡な平凡人だとか、庶民のパンに涙の塩をつけることを知っている御曹司《おんぞうし》だとか、人情を忘れない鬼だとか、頭に毛が生えているのは不屈の闘志の象徴であるとか、近頃とみに円熟して卵頭がいぶし銀のように底光りしてきたように思われるなどといったぐあいに紹介されている人びとである。
 どういう仕掛けになっているのかこの人びとはなにをしてもぜったい悪口を書かれるということがない。多年ふしぎに思い、かつ、うらやましいことに思っている。たまにひねくれて、おれは悪人なんだぞといってみても、ダメなのである。『……最後の怪童、いよいよ老熟。非情多感。なにをいってもゆるされる年になった。八十三歳。至嘱《ししよく》、至嘱』となる。乗取り、買占め、強奪、贈賄、なにをしても悪口を書かれない。ボヤのうちにたたき消してしまうということもあるが、いつのまにか世間は感づいて派手な異名で呼ぶようになる。それが派手になればなるほど、ほめられかたも派手になるのである。モームは名句の天才であるが、その一つに、『文学は身持ちのわるい女に似ている。年をとるほど尊敬されるようになる』というのがある。
 東西いずれも事情はおなじかと思わせられるが文学界だけではなさそうである。
 工業倶楽部はそこらあたりのクラブとちがって、ひどくおごそかであるという。談話室や食堂には会員専用のがあって、会員以外には誰も入れないようになっているというのである。各社の新聞記者のたまり場である記者室は一階にあるが、専用室には新聞記者も入れてもらえない。光輪を浮べていない卵頭の神様や怪物たちがいったいそこでなにを話しあっているものかさっぱりわからないということである。樫《かし》のドアがしまるとそれっきりなのである。記者たちはそのあいだおとなしくアミダをして遊んでいる。まるで�不可触|賎民《せんみん》�ではないか。ほめ言葉しか書かれないときまっているのに拒むとはよほどの事情があるのかしらと猜疑《さいぎ》心の深い小説家は考えたくなる。かくされたら覗きたくなるというのが人情である。
 東京駅前がまだペンペン草の草ッ原だった大正六年に工業倶楽部は建てられ、いまの建物はそのときのままである。当時としては白堊《はくあ》の殿堂だったのだろう。いまはあたりのビル群に蔽《おお》われてかくれてしまっている。正面玄関の真上に紡績女工と炭坑夫の像がたっている。当時の日本の二大産業を象徴したわけである。山根銀一常務理事が屋上までわざわざつれていって、「わるかないでしょう」と見せてくださいましたが、「ハァ」というよりほかないつまらないしろものでした。
 当時は日経連も経団連もなく、労働問題、経営問題、すべてのことをこの工業倶楽部で神様たちは相談しあった。どうして政府にわたりをつけ、警察を抱きこみ、どういうふうに銀行から金を借りてくるかというようなこと、なにもかもここで相談した。�資本主義の悪の総本山�とののしられ、たびたびデモがかけられた。風雲急な頃だったのである。そこで、白堊の殿堂ができあがると、設立式の日に大倉喜八郎がうらうらとうたいあげた。
 
  穏健に
  育つて自他を
  益《えき》すらむ
  工業倶楽部
  ここに生れて
 
 実業家でもその頃は三十一文字《みそひともじ》をひねる風習が広くあったと思われるのにこれはまたなんとも下手くそ、ぶざま、役場の町長さんの色紙のほうがよほど気がきいているかと思われる。前後の事情を考えて心静かによくよく読めば、おのずからオヘソのあたりから赤いとも黒いとも知れぬ笑いがたちあがってくる。この名歌のつくられた翌年、早くも例の米騒動が起って血の雨が降った。神託はあっけなくメッキの皮が剥《は》げた。
 山根氏の説明によると、いまの工業倶楽部は�ヘソ�にすぎないそうだ。半生をここですごしてきた人がそういう。昔は機能を果したがいまは痕跡であるにすぎないということである。労働問題は日経連でやり、経営問題は経団連でやるというぐあいに機能がわかれていったので、それらの生みの親である工業倶楽部はすることがなくなって、純然たる社交クラブになったのだという。会員は現在、千五百名ほどであるが、毎年四十人ほど死んでゆくので補充する。会員になりたくてなりたくて足踏みしている人が四百名ほどもいる。よくよくこのオヘソには魅力があるらしい。ふられてもふられても立候補する人もある。
 誰を新会員にするか。誰をオヘソのゴマにして誰をしないか。この資格審査をするのが専務理事の人たちである。
  石坂 泰三君(理事長)
  足立 正 君
  石川 一郎君
  菅 礼之助君
  向井 忠晴君
  小島 新一君
  中島 慶次君
  諸井 貫一君
  安川第五郎君
 事務室でもらった紙にはそう印刷してあった。なぜかわからないがここでは神様を君づけで呼ぶことになっている。そういう習慣なのだそうだ。この親密さと不可触選民ぶりとが楯の裏表として奇妙な対照である。
 オヘソのなかへ入れてもらうにはどういう資格があればよろしいのかといろいろ聞いてみたが、これは専務理事たちの話しあいできまることであるという。新会員希望者を点検し、情報を交換しあい、その会社の成績や資本などを眺め、旧会員とのつながりぐあいを指折りかぞえて決定するのであろう。
「いや、資本金の多少はあまり問題にしないようです。むしろその人の人格、教養、識見などが問題になるんで、この点はきびしいんですよ」
「どういう人がおとされるんですか?」
「たとえば、人をだましたとか、借金を踏みたおしたとか、前科のある人だとか、そういうのはいかんようですなあ」
「けれど、強盗ナニガシという仇名《あだな》をつけられた人がいましたけれど、これも会員だったのでしょう?」
「彼は会員になってからあとで強盗ナニガシになったんです」
「会員になってから除名されるということはないんですか?」
「いままでのところその例はないようですね」
 山根氏はにこやかに笑ってそういった。
 氏によれば、ここの会員はみんなきびしくおごそかで狭い門を突破した人たちで、人格、識見、教養、閲歴などの点で終身名誉をあたえられた英国風紳士ばかりのように聞えた。けれど、氏は、また、しばらくお茶を飲んで話をしているうちに、いまの日本の財界人というものは、�哲学なし、信念なし、道義なし、ものを読んで考える能力もなければ、時間もなく、意見はすべて秘書に書かせ、聞きかじりの耳学問、してることといえばやたら人と会っていそがしがっているだけです�といいだした。朝から晩まで人と会って話をし、夜になれば一晩に三つも四つも赤坂で宴会をまわり、日曜日になればゴルフをするか常磐津《ときわず》をうなるか、せいぜい下手な茶碗を焼くぐらいが道楽で、そのゴルフも宴会もすべて会社の金、お邸も会社の物、ほんとに自分の金で自動車と運転手を抱えてるのは何人もいない。哀れきわまるといえば哀れきわまるが、なんといってもしゃべって走りまわっているばかりで本を読まないからそのお脳の薄いことときたらお話にならない。つくづく日本の前途が思いやられる。
 ボロくそ。ミソくそ。いまのいままでの�人格�と�識見�の英国風紳士方はどこへ消えたか影も形もなくなった。いったい誰がそんなふうながらんどうなのか、氏はコテンパンに�一般的風潮�をたたき嘆くばかりで人名をちっともいわないからこちらにはさっぱりわかりかねた。
 �マスコミ�がいかん、�マスコミ�がいかんという批判に似たところがある。だから、私としては、ここの会員もがらんどうのヘソのゴマばかりなのかとも思い、いやいやここだけは別なのであろうとも思うよりほかないのである。
「……私は自由主義者ですからな。なんでもいいますよ。おこられたって平気です。どうお書きになっても結構です」
 氏のいうままに私は書きとっている。�一般的風潮�を書きとっている。嘘や想像はまじえていない。しかし読みかえしてみると、言葉は痛烈だがなにかよくわからないところもあるようだ。誰もこれを読んで痛がらないだろうと思う。氏の自由主義は聞いていると奔放で愉快になってくるが、ウイスキーぬきのハイボールというようなところがあるようだ。
 氏は中老の紳士であるが、三十歳の頃からここで番頭を勤め、一家は音楽家ばかりの芸術家一家である。実業家も本を読まないが芸術家がいちばん本を読まないと嘆く。このあいだの日曜日、トインビーを読んで、その史観に感動した。戦前、憲兵隊で吊しあげられたことがあり、戦後、GHQで吊しあげられたことがある。自分は自由主義者であるから、いいたいことはなんでもズケズケいうことにしている。のんきにここに勤めてるつもりだが眼底出血があったり、なにやかやと故障が起る。かるくビールを飲まないと食欲がでない。のんきなつもりでもキンタマが吊りあがってるのだろうと思う。部下は総勢百四十人ほどだが、組合はない。給与は商工会議所とおなじで丸の内界隈で最低だそうだ。経団連は財界のお膝元だが組合員は最先鋭で、ここにも労組をつくれと誘われたことがあるがことわった。組合をつくるならおれがやめるといった。伝統的な�人の和�の�なにものか�が失われることを恐れるのだそうである。ここの女子職員はお嫁の売れ口が早いという。人が来ないので職安にたのんだことがあるが、職安があまりの給与の安さにおどろいて三千エン、サバを読んで(筆者注・高くいったのである)希望者にいったため、まわしてもらってからこちらでことわった。資本主義のそもそもの本質は質実剛健、勤倹正直のピューリタニズムにあると近頃深く思うようになった。近代の経済学はいたずらに分析主義に走ってこの人格と道義を忘れたから、今後はこの面を大いに鼓吹したい。
(そういって氏は私に『新生活』というパンフレットをくれた。読んでみたが社長族のおきまりのお談義ばかりで、正しく美しく大きな言葉ばかりならぶので眠くなってしまった。いい秘書がいないのじゃないかと思う)。
 工業倶楽部、工業倶楽部というので屋上から一階までみんな覗いてみたが、とくにどうということもなかった。会員以外の方々の入室又は同伴は御遠慮|被下度《くだされたく》候という山根氏創案の候文《そうろうぶん》のある談話室に入ってみたが、つまらないカーペットが敷かれ、隅っこに小さな酒場があり、テレビがあり、パルプ週刊誌やパルプ総合雑誌をおいた棚があるだけだった。四、五人の老人たちがおごそかな顔つきで雑談をしたり、テレビを見たりしていた。ティファニーの大きな柱時計が広間の隅っこにあって、これは、時間、日、月、すべてが一目でみられる仕掛けなのだそうだが、山根氏はもちろん、ほかの誰も読みかたを知らないのだそうだ。
�時計バカリガコチコチト……�という次第である。
 社交クラブらしいところはどこにあるのだろうかとさがしてみたら、おや、おや、碁会所が二部屋だけあった。
(宮島清次郎以来の�質実剛健、勤倹正直�の�ピューリタニズム�の伝統なのである。私自身は、経済学に暗いのだけれど、ドイツ人の資本主義、アメリカ人の資本主義、フランス人の資本主義というものがあるだろうと考え�ピューリタニズム�がその唯一無二の本質であるとはかならずしも感じられないのである。すくなくとも日本風の人格美学で理解する�ピューリタニズム�と本来のそれとはたいへんちがうだろうと思うのである)
 財界のことをよく知っていて裏面に深く通じていると思われる一人の人物を紹介してもらい、いろいろと話を聞いてみたが、だいたいのところは山根氏の話とおなじであった。ただ、この人のいうところでは、山根氏とちがう点が一つあった。この人のいうところでは、たしかに工業倶楽部は、いまではヘソにすぎないかもしれないけれど、それを中心にして財界の神様たちが一つの�ハイ・ソサエティー�(高級社会)の雰囲気をなんとかしてつくりだしたいと考えているのではないかということだった。経団連や日経連は経営者なら誰でも自動的に加入できるが工業倶楽部はそうはいかない。お金ができれば名誉がほしいという自尊心の原則にしたがって倶楽部員たちは選ばれているようである。私がいった。サロンがないからこそ日本はここまでのびてこれたのではありませんか。それをどうしてとめるのです。その人が答えた。まったくそのとおりですが、いまや新しい貴族団をつくろうとしているのじゃないでしょうか。
 理事長の石坂泰三氏や諸井貫一氏に会ってとりわけ資格審査のことなど聞いてみたかったのだが、神様たちはいそがしすぎてとうとう会えなかった。�幽霊の正体見たり枯尾花�という気がするが、いっぽうやっぱり工業倶楽部は�謎�として私の内部にとどまるようでもあった。
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