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物理の風景106

时间: 2019-07-26    进入日语论坛
核心提示:物理屋・汽車・トポロジー 国鉄の主な幹線の駅名をことごとく記憶しておられるという、鉄道好きで有名なT大学物理教室のT先生
(单词翻译:双击或拖选)
 物理屋・汽車・トポロジー
 
 国鉄の主な幹線の駅名をことごとく記憶しておられるという、鉄道好きで有名なT大学物理教室のT先生を囲んで一席設けたときのことである。
 私も鉄道が好きなことでは人後におちないので、T先生と大いに意気投合して汽車の話に花を咲かせていたところ、同席の化学のO先生が見るに見かねて?、物理屋にはなぜこう汽車好きが多いのだろう、と慨嘆された。
 汽車好きというのはもともと、どこかが少しおかしい変わり者扱いされていたのが実情で、最近のSLブームのおかげでようやく市民権を得た?人種にすぎない。いわんや、謹厳にしてきまじめな方の多い物理屋の仲間で、鉄道が好きだ、などとうっかり言おうものなら、ずいぶん子供っぽいやつだなあ、とケイベツの眼差しで見られかねないのだが、高名なT教授が同好の士であることについ気をゆるして、タワイのないおしゃべりをしていたわけである。だからO先生の言にハッと我にかえったものの、物理屋に汽車好きが多いなどというのにはにわかには賛同できなかった。
 だがいささか落ち着いてふり返ってみると、O先生のいうこともまんざらでたらめというわけではなさそうだ。物理屋にはまじめ一方で、これもある化学の先生がひやかして、キマジメ、クソマジメ、バカマジメはマジメの一種じゃなくてバカの一種だよ、と大笑いされたのに大いに共鳴したくなるような御仁が多いことも事実である。しかし、私の身のまわりを見まわしても、落語の本と寄席には眼がないという粋人や、くろうとはだしのピアノの演奏家や、かつてアイスホッケーのホープとして全国に勇名をはせたというスポーツマンや、ひとたび筆をとればその風貌からはとても想像できない見事な風格をもつ文字が忽然と紙の上に流露するという書の大家など、五指を屈するのは容易だから、多彩な趣味、道楽、副業の持ち主が物理屋に多いこともまた事実のようである。従って物理屋の中の鉄道愛好家のパーセンテージが他の分野に比べて大きいとしても不思議ではないのかもしれない。だとすればもうちょっと胸を張って、オレは汽車が好きだ! と叫んでもよいのかもしれない。
 話が脱線してしまった。物理屋に汽車好きが多いのはなぜか、というのがO先生の問題提起だった。さあて、と私が腕をこまねいていたところ、T先生が、それは物理屋は一次元的につながっていって、途中で分岐したり合流したりするものが好きだからだよ、と大変明快な答えを出されたのである。
 なるほど、そういわれればそうかもしれない。たとえば物理屋が最も興味を持つのは、物質の状態の時間的変化である。時間というものはもともとが一次元的である上に、われわれが物事の時間的経過を見るさいには、一刻一刻と追いかけて見るほかはないから、当然といえば当然な話である。物理屋は時間的変化を考察する場合、とかく長い時間の間におこる変化全体をみわたすよりも先に、ある時刻における状態がすぐ次の瞬間にどう変化するかということを考え、それを次々とつないでゆきたがるのである。
 もっとも、時間と空間を対等にとり扱い、両者をいっしょにして、状態の時間的変化の問題を四次元の空間の中の幾何学的な曲線の問題に還元してしまう相対性理論や、無数の粒子が集まってできた複雑な構造をもつ物質の状態の時間的変化を、やはり抽象的な多次元空間の中の幾何学的な経路としてつかもうとする理論なども存在することはする。しかし、これらを駆使できるのは少数の専門家だけで、大多数の物理屋にはそういう考え方はどうもやはり苦手のようである。
 三次元的にひろがった物質の構造や、その状態の空間的な変化もまた物理屋の研究対象だが、この場合にはT先生の見解はちょっと眼にはあてはまらないように思える。しかしちょっと省みると、三次元的なものを扱うときも、一次元的なつながりが次々と積み重なってできたネットワークとしてそれを見るクセが物理屋にはあることに気がつく。
 たとえば、原子が規則正しく並んだ結晶を考えるとき、物理屋の頭に浮かぶイメージは、三次元的なモノのひろがりというよりも、むしろ原子が次々とつながって行った結果出来たネットワークというおもむきが強いのではあるまいか。一つ一つの原子がとなりの原子とどういう風につながっているか、つまり一つの原子の近傍がどんな様子になっているかが物理屋の興味をひくのであって、つながって行った結果出来上がったものが何次元的にひろがるかは大した意味をもたないようである。論より証拠、一つの原子とその上下にある原子との結びつきが左右前後にある原子との結びつきに比べてひどく小さいと、物理屋は上下の結びつきを無視してしまって、前後左右の結びつきだけを考えてしまう。この結びつきによってでき上がるものは二次元の結晶である。そんなときに物理屋の意識に上っているのは、現実にあるものが厳として三次元的なモノであるにもかかわらず、原子の二次元的なネットワークなのである。
 さらにいえば、一つの原子の近傍におけるそれと他の原子とのつながり方、つまり局所的な環境がもっぱら物質の性質をきめていて、次々とつながって行った結果全体がどんな恰好のものになるかは本質的でない場合がかなりある。そんなとき物理屋は、そのモノの性質をいちじるしく変えない限りにおいて、モノ全体の形を自由にねじ曲げることをよくやる。結晶のある種の性質を論じるさいに、結晶の上の面と下の面、右の面と左の面、前の面と後の面とが同一の原子からできていると考えて計算したりするのはその一例である。たとえば二次元の結晶ならば、上の縁と下の縁を張り合わせ、右の縁と左の縁とを張り合わせて、ドーナツ型の結晶にしてしまうわけである。こうしてみると、一見現実のモノにきびしくしばられているように見えながら、物理屋の頭は存外やわらかい、といえそうだ。
 理論物理屋が考えるモデルになると、この融通性はさらに大きくなる。問題としているモノの本質的な性格を変えない限りで、思い切った単純化や、人工的な変形を行って、一見実物とは似ても似つかぬ、しかしそのものの本性をよく説明してみせるモデルを考えるのが、理論物理屋の仕事だといってもよい位なものである。
 物理屋の頭の中にある物質像は、出っぱって邪魔な半島をひっこませ、直角に曲がっている陸地をムリヤリにまっすぐ引き伸ばして、日本列島を細長い絵巻物の中に押しこめる鉄道地図と似たところがある。そんな変形を加えても、鉄道線路のつながり方のネットワークが間違っていない限り立派に役に立つと同様に、一寸見には極めて人工的な原子のネットワークがモノの本質を見事に浮きぼりにすることがあるのである。
 しかし物理屋がいくら融通性に富んでいるといっても、数学者の、とくにトポロジストの自由奔放さに比べると、残念ながら顔色がない。球体のあちこちから細長いツノを引っぱり出し、それを無限にからみ合わせて、蟹のバケモノのような薄気味の悪い怪異な空間を作ってみたり、玄関も裏口もなく、煙突からしか出入りのできない奇妙な家のような空間を考えてみたりする想像力と勇気をもつことのできる数学者がうらやましい。
 とにかく、微分方程式によって記述される、局所的な場の性質から全体の場のふるまいがきまってしまうという性格の物理法則が多いせいか、物理屋は大域的な考え方が苦手なようである。トポロジーの大域的な定理が物理に応用された例もないではないが、物理屋にとってはあまりにも漠然とした結論しかひき出せないために、あまり大きな関心はもたれずに終わっている。下北半島を細長く引き伸ばして渡島半島のまわりに無限にからませた鉄道地図が存在しないように、しょせん物理屋にはあまりにも現実ばなれのしたイメージは描けないのかもしれないが、たまには奔放なトポロジストのマネをしてみたいものだ、という夢が、物理の思索にゆきづまって、ちょっと一休みするたびに、私をおそうのである。
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