利明は市立中央病院へ車を乗り入れた。正面玄関の前に設置されているランプはすでに消えている。玄関の前まで車を走らせ中の様子を窺った。だがまったく人気がない。施錠されているのは明らかだった。扉には「本日の診察は終了致しました 急患の方は時間外通用口へお廻りください」という札が掲げられている。
時間外通用口? 利明は顔をしかめた。いったいどこにあるんだ。
利明は車を降り、玄関へ駆け寄った。どんどんと扉を叩いてみる。反応はなかった。どこかに通用口への地図が描かれていないかと中を見回したがそれらしきものは見当たらなかった。
埒《らち》があかない。利明はとりあえず建物に沿って右へと走った。一周すれば見つかるに違いない。
側面へと走ってゆくと、途端に視界が暗くなり闇《やみ》に呑まれていった。すこしでも注意を逸らすとすぐにロープや階段の存在を見失い蹟《つまず》いてしまう。敷地が広いので道路や住宅の光が届かないのだ。利明は用事で何度か夜の大学病院へ出向いたことがあるが、そこは夜の薬学部校舎とは比ベものにならないほどの闇が全体を覆っていた。もちろん照明は灯っていた。人気のない廊下にも弱いながら蛍光灯が光を投げかけていた。だがそれでもなお、敷地の中に入った瞬間から目的の医局へゆくまで、常に一種独特な暗闇が漂っていた。それはせいぜいラットやイヌしか扱わない薬学部には決して存在しない、人間が死んでゆく暗さ、人間が病を患っている暗さだとそのとき利明は思った。闇の重みが違っていた。
半周ほど回ったところで奥のほうからなにか言い争っている声が聞こえてきた。倉庫の陰になっていて見えないが、声の低さからいって男のようだ。利明は声のするほうへと足をはやめた。アスファルトがほの明るく照らされている。利明は角を曲がった。はたして通用口が黄色い光を放っている。
その中で背広を着た中年の男が肥満体型の年老いた警備員と口論していた。
あの入り口を抜ければ病棟へ行ける。人目にっかないように潜り込みたかったが、ふたりの口論は当分終わる気配がなかった。中年の男が必死で何かを訴えているが、警備員のほうが耳を貸さないらしい。だが具体的な話の内容まではわからなかった。利明はふたりの横を走り過ぎようと、一気に通用口へ駆け込んだ。
「ちょっと、あんた」
警備員が利明に気づき咎《とが》めるような声を上げた。だが利明は無視した。全速で走る。異常を察したのか、警備員は男から離れ利明の行く手を阻《はば》んできた。利明は体当たりしてそれを除けようとした。
だが警備員は思いのほか屈強だった。老人とは思えないほど腰がすわっていた。利明はもがいたが、腕をつかまれ捕らえられてしまった。
「ここに何の用だ、あんた急患なのか」
「大変なことになる」利明はもがきながらも訴えた。「患者を避難させてやってくれ。もうすぐここにやってくる。お願いだ、頼む」
「何をいってるんだ」
警備員は利明を頭から足の先まで睨めつけていった。
利明の格好は浮浪者と間違えられても文句をいえない状態だった。背広の袖《そで》や裾《すそ》は焦げ、シャツは開《はだ》け、ズボンには干《ひ》からびた肉片がこびりついている。警備員が警戒して腕に力を入れた。
「とにかくちょっと来てもらおうか。今夜はどうもおかしな奴《やつ》が多い」
「ここに十四歳の移植患者がいるはずだ」利明はわめいた。「女の子だ。七月に腎臓を移植している。その子が危ない。狙われてるんだ。なんとかしてくれ、手遅れになってしまうんだぞ!」
そのとき、
「麻理子を知っているのか!」
声がして、利明は振り返った。
背広の男が驚愕《きようがく》の表情を浮かべていた。