大きな振動とともにエレベーターが一階へ着いた。ドアの開く間がもどかしく、利明は「開」ボタンをがしゃがしゃと押した。
ようやくドアが開く。三人は一斉に飛び出した。
「こっちだ」
吉住が左を顎で示す。暗い廊下が続いていた。吉住を先頭にして走る。
「剖検室は第一病棟の地下だ。あそこの角を曲がった先の階段を下ろう」
死体を解剖する剖検室は通常地下にある。患者の目につきにくいようにするためだ。しかし遺体をすぐに葬儀車などへ積み込まねばならない都合上、建物の裏口付近につくられていることが多い。Eve1が外部から密かに侵入するには持って来いの場所だ。
利明たちは階段を落ちるようにして駆け降りていった。安斉がつまずき倒れそうになる。利明はそれを辛うじて抱きかかえ助けた。かんかんかんと三人の足音が階段に響く。
本当に自分とミトコンドリアの子供が生まれるのだろうか。利明は荒く息を吐き必死で足を動かしていた。脳の中がぐるぐると回り冷静に考えることができなかった。このままミトコンドリアの思うままになってしまうのか。そんなことがあるはずがない、なにか阻止する方法があるはずだ、ずっとそれを考えていたが、頭を働かせようとすると目の前でばちばちと火花が飛び思考が切断された。利明は叫び声を上げていた。この重要なときにショートしてしまった自分の脳髄を呪《のろ》った。なにかがあるはずだ、ミトコンドリアが見落としていることがなにかあるはずだ、その焦燥感だけが体中を駆け巡っていた。
踊り場を二つ過ぎ体の重心がふらふらになったところで利明たちは地下にたどり着いた。捻るようなボイラーの音が聞こえてくる。エレベーターの扉が見えた。
「そこだ」
吉住が叫んだ。
薄汚れた雰囲気とはそぐわないような電動式の扉があった。はめ込まれた磨りガラスから光が漏れている。だが内部から音は聞こえてこない。
吉住が利明たちに視線を送り同意を求めた。安斉が強く頷く。吉住は扉の横にある、赤くランプの点いた窪みに足を入れた。
ぶしゅっ、と空気の音がして扉が開いた。
「………」
一瞬、そこにあるものが何なのか利明たちにはわからなかった。
中央の解剖台になにかが乗っている。肌色をしており、そこから二本の脚がこちらへ伸びている。そのものの中央部分は大きく膨れあがり、今にも破裂しそうだった。山の部分が視界を遮っているため向こうに何があるのか見てとれない。
「……麻理子!」
突然、安斉が絶叫した。
はっとして利明は目を凝らした。俄《にわか》には信じられなかった。確かにそれは臨月を迎えた少女の肉体だった。蛙《かえる》のように腹部が膨張している。
安斉が喚きながらその台に駆け寄ろうとした。そのとき、
「無駄よ」
歪んだ声が聞こえた。
それに驚いたのか安斉が立ち止まった。利明は床に目を落とし、その声の主を見つけた。愕然として声を上げそうになる。
「無駄よ……、もうすぐ、生まれ………るわ」
床の上でそれが轟いていた。ぶよぶよとしたアメーバ状の肉の塊だった。だがそれはよくみると聖美の姿を留めていた。聖美の上半身が仰向けになり、頭を利明たちの方向にむけている。その肉体は波打ち粘液をじくじくと膿《うみ》のように吐き出している。聖美の胸が、腹が、汚らしく腐乱してゆく。床に散らばった髪が糸|蚯蚓《みみず》のように断末魔の動きを続けている。Eve1のなれの果てだった。
Eve1は笑っていた。だが口や気道が溶けているのかくぐもったような不明瞭《ふめいりよう》な音がするばかりだった。こぼり、こぼりと泡の破裂音が重なる。崩れそうになりながらも頭を反らし利明たちのほうに顔を向けてきた。
聖美の顔が流れてゆく。飴《あめ》のように溶けてゆく。急速に部屋の中を腐敗臭がたちこめ始めた。聖美はまだ笑っていた。ピンク色の汚泥が引き攣《つ》っているようでもあった。
「ほら……、も う すぐ………」
麻理子の腹が動いた。