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「ああ、もう……お雪とこうしていると、おれはもう、お役目なぞどうでもよくなってしまう。ああもう、たまらない。お前と片時もはなれてはいられないのだよ」
などと他愛《たあい》のないことを口走りつつ、忠吾はお雪のえりもとを押しひらき、南天《なんてん》の実《み》のような、紅くいじらしい乳首を吸いはじめる。
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[#地付き]「お雪《ゆき》の乳房《ちぶさ》」
「兎忠《うさちゆう》」こと木村|忠吾《ちゆうご》は女にモテた。
なぜか。
容姿容貌が目を見張るほどよかったからか。ちがう。
男ぶりがすこぶるよかったからか。ちがう。
あり余るカネがあったからか。ちがう。
しかししかししかし、忠吾は女にモテた。
ずばり、それは女を褒《ほ》めるのに巧みであったからだ。これこそが女の気を惹《ひ》く、安易にしてもっとも有効な手段なのである。
木村忠吾は、女を褒めることに何ら躊躇《ちゆうちよ》はしない。ふつうの男ならまず口にできないようなくどき文句を、ふとさりげなく、いともやすやす、真顔でいってのけるのだ。
聞くところによると、女は、どんな女であっても、鏡を見てはどこかに取り柄を見つけてまんざらでもないと思っているらしい。女性を洞察して定評のあった吉行淳之介は次のように述べている。
「女性は、自分の容貌のどこかに特長を見つけて、ひそかに自負しているものだ。だから、女性をクドくには、その自負していそうな点を発見して、そこをやたらに褒めるにかぎる。もしも発見できない場合は、耳を褒めるがよい。耳というものは一種盲点に入っていて、最も美の基準があいまいなものだから」
さすが助平な御仁、なかなかにいやらしい。ちなみに五味康祐の見立てによれば、女性の耳というのは�女性自身�である。
男が目で恋をするとしたら、女は耳で恋に落ちる。男は夢想家であるがゆえに目が鍛えられておらず、女は現実家ゆえに目に見えないものに騙《だま》されるのだ。
小生の見るに、女は、それがどのような女であれ、ひと皮むけば「耳で夢見る乙女」であり、その大半が耳がとろけることで恋に落ちる。女はだいたいにおいて、くどく男にメロメロとなるのだ。
つまり、女は男に言葉でうっとりと酔わせてもらいたいと思い、その願望を満たすことができる男こそが、モテる男ということになる。
「きみのお母さん、さぞかし美人だろうね。だって、きみがとびぬけて美人だから」
「あなたは地上に降りてきた最後の天使だ」
「きみとこうして歩いていると、胸に赤いバラをさして歩いているみたいだ」
男性諸君、こんなセリフが吐けますか。
「そんな歯の浮くようなこと、いえるか」
「死んでも、よういわん」
と、たいていの男はいうであろう。
だから、たいていの男はモテないのである。