飛竜が海面下に没したのは、六日午前六時と推定される。被災後十六時間である。
そのころ、米機動部隊の動向を探るため、東方海面を索敵中の巡洋艦筑摩の水偵が、漂流中の米空母を発見して、GF長官に報告した。
「敵ヨークタウン型一隻大破、左ニ傾キツツ漂流シツツアリ、地点トスヲ一八」
トスヲ十八は、ミッドウェー島の北北東百五十マイル(二百八十キロ)である。
山本五十六は、先遣部隊である第六艦隊の司令長官小松輝久中将あてに、午前六時四十五分、次の命令を打電した。
「伊号百六十八潜ヲシテ地点トスヲ一八ニ漂流中ノ敵空母ヲ撃沈セシムベシ」
ミッドウェー砲撃後、周辺を警戒していた伊号百六十八潜の田辺弥八艦長にこの電報が届くのはかなり遅れた。
六日日没後、四時半、浮上した伊号百六十八潜は、左の通り、返電を打った。
「本日終始敵哨戒艇ノ制圧ヲ受ケシ為、受信遅レタリ、直《ただ》チニ指定地点ニ向ウ、七日〇一〇〇(午前一時)着ノ予定」
ミッドウェー周辺の警戒は、上陸を予想して、まだ厳重をきわめていた。
海の百五十マイルは、飛行機では一時間の距離であるが、十ノットで海面航走をする潜水艦には十時間の行程である。
六月七日、午前一時すぎ、指定地点に到達した田辺艦長は、
「潜望鏡上げ!」
を令した。
恐る恐るという感じがあった。航海長の航法が正確すぎて、ヨークタウンの真横に出たらどうしようか、という懸念があった。しかし、それは杞憂であり、周辺に急には敵影は認められなかった。空はようやく白みはじめていた。東方に朝やけを背景にして、黒点が一つ視野に入った。ピントを合わせると、これが、目ざす空母であることがわかった。なれると、近くの駆逐艦も眼に入った。——こりゃあ、大ごとだぞ——咄嗟に田辺が考えたのは、これであった。輸送船と違って、空母は護衛がきびしい。少なくとも五隻、多ければ十隻は駆逐艦がいるであろう。傷ついた空母であれば、当然、猟犬のように周囲をかぎまわって、潜水艦に備えているに違いない。これはうかつには近よれない。
一旦、潜望鏡をおろした田辺は、まず、おのれに向かって、決して猪突《ちよとつ》をしないことを戒めた。このさい、慎重に行動することは、決して、卑怯な振舞いではない。急げば、敵を屠《ほふ》る前に自分が海底に沈むおそれがある。そして、それは誰にも知られることがないのである。
田辺を知る男は、誰でも、地味な男だという。目立たぬ行動をする男である。しかし、慎重すぎるほど、堅実に事を運ぶ男であり、その性格は、この場合、メリットとなって現われて来た。
最初、田辺は、夜まで待とうと思った。しかし、日没は午後三時半である。一年で一番日の長い季節に入っているのである。二回ほどの測定で、目ざす空母は、徐々に東の方に曳航されているらしいことがわかった。日没までは待てない。田辺は発射の時点を固定せず、時機を得次第、撃沈することに決した。
探信儀が海中におろされ、電波が送られた。電波は異物体に当たるとはね返って来る。受信機には、駆逐艦が発する探信音が入っていた。各方面の駆逐艦が水中探信のため発する音波が、探信員の耳には、パ、プーン、パ、プーンというように聞こえていた。
慎重な探信によって、伊号百六十八潜は、ゆっくり目標に接近した。ヨークタウン型空母は、左に六度ほど傾き、右舷には駆逐艦が横附けしていることがわかった。田辺は左舷からの攻撃を考えたが、さらに接近してみると、駆逐艦は左舷の方に数が多いことがわかった。
田辺は、空母の右舷に回ることにした。
「両舷前進微速……」
低い声である。
機械が回り始めると、すぐ、
「両舷停止!」
を下令する。
あとは、惰性で進むのである。出来得る限り、スクリューの回転を抑えて、敵の探信を避けねばならない。そのような忍耐の繰り返しの結果、午前九時三十七分、もうそろそろよかろう、というので、
「潜望鏡上げ!」
を令した田辺は、直ちに潜望鏡を下げなければならなかった。確かに、伊号百六十八潜は、空母の右舷に出ていたが、あまりにも近すぎた。ヨークタウン型は、目前にあり、舷側で作業している水兵の姿が、ありありと視認された。距離は五百メートルそこそこである。発射された魚雷は、一旦下方に沈み、やがて深度調定が働き出し、魚雷は与えられた深度で目標に向かう。所要の深度にセットするには、七百メートルは欲しかった。
田辺は、唇をかみしめながら、距離を千メートルまでひらくことにした。
ヨークタウンの艦上では、バックマスター艦長が、ややくつろいでいた。日本の飛行機が近づいたという報があったが、爆撃もなく、潜水艦の魚雷も見えない。彼はヨークタウンに残留した作業員を督促して、重量物の海中投棄を行っていた。機銃、高角砲、通信機など不要物の投棄であるが、それもどうにか終わり、この分ならば、五ノットで、ハワイまで無事曳航出来そうであった。
バックマスターは、右舷に横附けしている駆逐艦ハマンの方を見おろした。ハマンの消火作業のおかげで、ヨークタウンの火はほとんど消えたのであった。
——これで、珊瑚海同様、傷つきはしたが、無事母港に帰れる。今度こそは、乗組員にゆっくり、ワイキキでサーフィンでも楽しませてやらなくちゃなるまい。日本の空母も、四隻が爆弾をくらい、三隻が沈んだというから、当分は出て来れまい——。
バックマスターは、昼食のサンドイッチを食うため、タラップの方に近よった。時計の針は午後一時半(現地時間。日本時間は午前十時半)に近づきつつあった。
田辺が再度潜望鏡をあげたのは、七日午前十時五分であった。空母までの距離は約九百メートルである。これならば、好適である。
「発射用意!」
田辺は四基の発射管に、用意を命じた。魚雷はすでに装填ずみであった。
午前十時半、田辺は決然と、
「打て!!」
と下令した。
シューッ、シューッ、魚雷は、艦体に軽い震動を残して、伊号百六十八潜をあとにした。普通、四本の魚雷は、間隔を二度とするのであるが、目標に集中する意味で、田辺は一度間隔に設定しておいた。
時速六十ノット(秒速三十メートル)で直進した魚雷は、三十秒後に、第一撃の命中音を伊号百六十八潜の聴音器に響かせた。続いて、二発、三発、四発まで、田辺はコーン、コーンという命中の爆発音を聴いた。
「やった! 四発命中したぞ!」
田辺の声を聞いた先任将校や航海長、探信儀員たちは、万歳を叫んだ。
しかし、戦いはまだ続いていた。
ヨークタウン艦上のバックマスターは、
「ありゃ、魚雷じゃねえかね」
とハマンの作業員が指さす先を見たとき、体が沈むような気がした。右舷前方を走って来る四本の魚雷は、明らかにこちらを向いていた。ポート(面舵)と彼は口のなかで唱えた。しかし、ヨークタウンは停止していたし、舵取機械も動いてはいなかった。
魚雷はそのまま前進し、二本は横附けしていたハマンに命中し、あとの二本は、ハマンの艦底をくぐって、ヨークタウンの右舷に命中し、いずれも故障なく爆発した。ハマンは、二つに折れ、五分以内に艦体でV字形を示しながら沈没した。
左舷に傾斜していたヨークタウンは、二本の魚雷を右舷に受けたため、一時は傾斜が復原したように見えた。
「こりやあ、水平になって、曳航がしやすくなったかな」
バックマスターは、そう考えて、自分を引き立たせようとしたが、ヨークタウンの吃水《きつすい》は徐々に深くなりつつあった。
新しく近づいた駆逐艦の艦長が、盛んにバックマスターの名を呼んだ。
「いま横附けするから、早く乗り移って下さい。ヨークタウンが沈むときの渦が危険なので、長くは横附け出来ませんから」
それを聞いたバックマスターは、怒って見せた。
「ヨークタウンが沈むって!!」
彼は、拳《こぶし》をふり上げて、宙を叩く真似をしてみせた。しかし、海面が徐々にせり上がりつつあった。彼はついに二度目の「総員退去」を下令し、自分も駆逐艦に乗り移った。
田辺は、海中で喘《あえ》いでいた。爆雷攻撃が続いていた。折角、守っていたヨークタウンを、出し抜いて雷撃されたための怒りもこめて、五隻の駆逐艦は、ありったけの爆雷を周辺の海中に投下した。そのたびに、伊号百六十八潜は震動した。時に身悶えするようであり、時には咆哮するような音を発した。艦内の電気は消え、リベットのゆるんだ隔壁からは、漏水が始まっていた。
爆雷の数は六十発に及び、六十一発目は至近弾であり、このため、二次電池がこわれ、硫酸と海水の混合によって、亜硫酸ガスが発生した。
「艦長! 浮上しましょう。圧搾空気があと四十キロしかありません。遅れると、メーンタンクをブロー出来なくなります」
先任将校がそう告げた。
「よし、浮上して、砲戦でもやるか」
田辺は、十サンチ砲の砲員に待機を命じた後、浮上を命じた。午後一時四十分である。現地時間は日没であり、夕陽を浴びた海面には、すでに空母の姿はなかった。駆逐艦は三隻いたが、こちらに向かって来る気配はなかった。
田辺は煙幕を展張しつつ、西に走り、GF長官あてに緊急電報を発信した。
「ワレ、魚雷四発発射、全弾命中、エンタープライズ型空母一隻ヲ撃沈」
横から電文をのぞきこんだ先任将校は、
「艦長、ドンガメ(潜水艦の通称)乗りになってよかったですね」
と言った。
「うむ……」
田辺は微笑しようとしたが、急には笑えなかった。後方では、駆逐艦の射撃音が続いていた。
田辺の電報を受けとった連合艦隊司令長官山本五十六は、大和の艦橋で、はじめて、明るい表情を見せた。
「一隻撃沈か。これで、戦果は、空母一隻撃沈、一隻大破ということになりますな」
かたわらで、宇垣参謀長が集計をとっていた。
(しかし、実際には、飛竜の艦爆隊も艦攻隊も同じヨークタウンを攻撃したので、日本軍の本当の戦果は撃沈、空母一、駆逐艦一、であった)
山本は、伊号百六十八潜の田辺という艦長は、どのような男か、一度会ってみたいものだ、と考えていた。
(米軍側の記録によれば、ヨークタウンは、八日朝まで水面すれすれで浮いており、午前二時、大きく傾斜し、沈没したとなっている)
山本は、日本への帰途を急ぐ、大和の艦橋で、ヨークタウンの撃沈をもって、ミッドウェー海戦は終わった、と考えていた。
しかし、海戦はまだ続いていた。
それは、空母の飛行甲板上でもなく、戦艦の艦橋においてでもなく、ミッドウェー西方の単なる洋上であった。
沈みつつある飛竜を脱出した相宗機関長以下、四十五名は、一隻のカッターに乗って、南に漕いでいた。彼らはマーシャル群島を目ざしていた。
梶島の計算では、千マイルあるマーシャルまで、三週間で到達する予定であった。
艇内には、ハービスが二箱と水樽に二本の水があった。
水樽一個をビール瓶二打《ダース》に等しいとみて、配給許容量は、一日にビール瓶二本と少し、ハービスは、一箱に五十包(五百枚)入っているので、二箱で千枚、一日五十枚の配給とすれば、一人一日一枚という勘定である。
「いいか、今から二十日間でマーシャルに着く予定だ。それまでの糧食は一日ハービス一人一枚、水は一日にビール瓶二本を総員で呑むことになる。非常に苦しいが、機関長も平等にやられるから、皆も辛抱しろ」
艇尾座(艇指揮のすわるところ)にいる梶島がそういうと、艇底で横になって重油を吐いていた相宗機関中佐は、びっくりしたような顔で梶島の顔を見上げた。彼はまだ梶島に指揮権を譲った覚えはなかったのである。しかし、衰弱が激しくて、指揮がとれそうにもなかった。
「分隊長! この位置で待ってはどうですか。味方の駆逐艦が助けに来ると思いますが……」
鬚の松岡機関兵曹がそう言った。
「何をいうか!」
言下に否定したのは、相宗だった。
「来るはずがない。デッキの奴らは、おれたちを、牛馬以下に思っていやがるんだ。助けに来る位なら、艦底に閉じこめたまま魚雷を射ったりするものか。使えるだけ使っておきやがって……。あいつらは、畜生だ。加来も山口も鬼みたいな野郎だ」
相宗は、まだ山口多聞と加来止男が、飛竜と運命を共にしたことを知らなかった。
「まったく、今度のMI作戦は、楽をして、金勲をもらえると言ったのは、どこのどいつだ」
そういうと、彼はまた、ゲェと重油を吐き、
「とに角、マーシャルへやってくれい。意地でも生き抜いてやるぞ」
と梶島に言った。
最後のところだけは、梶島も同感であった。
松岡の発案で、全員の上着をスパニヤン(麻紐)でつなぎ合わせると、大きな帆を作り、爪竿に結びつけて艇の中央に立てた。風は東から、五、六メートルの軟風であるが、オールで漕ぐ労力の助けにはなりそうであった。
艇内には負傷者が多かった。
大部分の者が、重油を呑んで胃をやられており、真水を欲しがった。
松岡兵曹の肩は艦底から脱出するとき打撲傷を受け、内出血でひどく腫れていた。栗山一等機関兵は、火傷で右掌の指が四本癒着していた。梶島は折りメス(大きなナイフ)で、その指を切りはなし、海水であらって、消毒の代わりとした。三日ほどで指は動くようになった。指を切り離すとき、栗山はひどく梶島を恨んだが、あとからは感謝するようになった。
漂流は十五日間続いた。
一日一枚のハービスを、彼らはいろいろな食い方をした。もらうとすぐに食ってしまい、他人の食うのを、じっとみつめている者、太陽の傾き具合を見ながら、少しずつ二十日鼠のようにかじる者、半分を食って、半分を耳の上に挟んでおく者、辛抱強く、次の一枚が配給されるのを待って、やっと先の一枚を食う兵士もいた。
水の配給は技術的に困難であった。
ビール瓶一本を二十人以上の人間が呑むのであるが、生憎コップがなかった。ビール瓶を二十本ばかりのスパニヤンでくくって、目盛りをつけた。一人分一回の量は一センチそこそこである。
「苦しいが、二十日間これで頑張るんだ。他人の分まで呑むな。余分に呑んだものは、翌日の分をなしにするからな」
この命令は、初めは守られた。梶島は、皆が回し呑みをした一番最後の分を呑むことにした。さまざまな人間の感情を混合したしるしとして、ビール瓶は、白く濁った泡を底の方に溜めて戻って来た。それは水とは言えなかった。しばらく、ほっておいても、泡は水とはならなかった。初め、梶島はその泡を敬遠していた。しかし、三日目からは呑むようになった。
艇尾座で、仰向いてビール瓶の泡をなめながら、彼は雲を見ていた。高度三百ほどのところに、断雲があった。梶島はスコールを待っていた。しかし、断雲が降下して来る気配はなかった。彼は、自分が機関科を志望したことをあらためて悔んだ。——今度なるなら、デッキ・オフィサーになろう——そう考えたが、その機会はなく、死は確実に近づきつつあった。
五日目に騒動が起きた。相宗が夜中に、水樽の栓をあけ、竹の筒を突っこんで水を吸ったのである。発見したのは、栗山であった。
「もう機関長の言うことは聞けん」
と兵士は言い、下士官はなだめ役に回った。
梶島が困惑していたとき、松岡兵曹が、
「あ、あそこにスコールが来てる」
と言った。
スコールのある部分は、雲の下が暗く、海面に接着していた。艇員たちはオールをとりあげて、漕ぎ始めた。このときの「バッチャン、バッチャン」というオールの音を梶島は忘れることが出来ない。
八日目ごろから人が死に始めた。肩を痛めた松岡兵曹は、折りメスで自分の鬚を切り落とし、親友の兵曹に渡し、「無事に内地に帰れたら、この鬚を女房に渡してくれい。再婚は自由じゃが、子供は機関兵にはするな、というてくれい」と遺言して死んだ。
漂流十三日目、米軍の飛行艇は、このカッターを発見した。そして、漂流十五日目、水上機母艦バラードが接近した。そのカッターが、飛竜のカッターに近づいたとき、あまりの静けさに、米兵たちは驚いた。四十五人のうち、十二人が死に、残りの三十三人は、艇底に折り重なって、ただ呼吸を続けていた。六月二十日であった。ミッドウェー海戦はここに終わりを告げたといえる。
連合艦隊が柱島《はしらじま》に帰投したのは、六月十四日である。一航艦の航空参謀源田実中佐は、一足早く、水偵で内地に帰り、航空部隊の再建にかかっていた。
六月二十日、梶島たちが、バラードの艦上にひきあげられたとき、彼らは破れ汚れた褌一本で、鬚を長く生やしていた。
「分隊長、捕虜になる前に死なんでもいいんですか」
と栗山が真剣な眼色で問うた。
梶島は黙っていたが、顎が横に振られていた。(この後、彼らは米本土ウィスコンシン州の収容所に送られ、筆者はそこで彼らと会い、くわしい漂流談を聞いた)
同じ日、柱島にある大和の艦上では、草鹿竜之介が主催して、空母改良研究会が催されていた。GFの宇垣参謀長は、五日前、東京の自宅で飼っていたシェパードの死を聞いていた。彼は、その後、髪を刈り、丸坊主となってしまった。昼食の時、山本五十六は、宇垣の頭を見て、
「参謀長、頭の様子が変わったね」
と言った。
「はあ、愛犬に死なれましてね」
と宇垣は答えた。その犬が何を意味しているか、山本にはわかっていた。
同じ頃、肩の傷が癒えかけたジョン・フォードは、ミッドウェーから、ハワイに飛ぶ輸送機のなかにいた。彼はフィルムを整理し、こわれた撮影機を修理しながら考えていた。
——この四月、ホーネットが東京空襲に行くときも乗って行ったが、あのときは、B25の発艦をとったきりで、サマにならなかった。今度は、少しはましなフィルムになっているだろう。それに、おれも負傷したしな。これで、一人前の海軍将校になれたというわけか——。