自分のことは全く棚にあげて、
「マスコミで働きたい」
という女は大嫌いである。
もし私に従妹《いとこ》がいてこんなことをいいだしたら、二、三コ頬《ほお》でもひっぱたいてやるところだ。
ラクしたい。
華やかなことしたい。
お給料いっぱいほしい。
みなに自慢したい。
有名人と知り合いたい。
「生きがいのある仕事をしたいんです」
「女性でも一線で仕事ができるから」
とかいう言葉でうわべをかざっても、本音はこんなところだろう。
なぜこんなことをいえるかって。
私がそうだったから。
学生時代私が憧《あこが》れていたのは、「女性自身」の記者だった。あえて「女性自身」と名ざしてあげたあたりの心理はよくわからないのだが、たぶん芸能人といっぱいおつきあいがありそうだけど、「週刊明星」ほど野暮ったくない程度のことだろう。
女性記者になって絶対ショルダーバッグを下げるのだと決心していた。そして黒いハイヒールもはいちゃう。
こういう時の私の連想は全くとめどなくてショルダーバッグ→黒いハイヒール→有名作家とのおつきあい→ゴールデン街→有名作家とのスキャンダル、とまで行きつくのだ。
ついに五木寛之さんとの、一流ホテルでのつかのまの情事まで話はすすむ。本屋で彼の名前を見るたびに、頬を赤らめたりしていたのだから困ったものである。
私が学校を卒業する頃《ころ》、いままで以上にマスコミは難関であった。一流大学を出た、一流女性たちがひしめきあっていた。
いくら夢みがちの私でも、自分の実力というか、限界というものがよくわかってくる頃がやってきた。
ショルダーバッグや五木寛之さんとの情事は、あきらめなくてはいけないと心にいいきかせた。
ところがどうしたことであろうか。マスコミが向こうから手をさしのべてきたのである。
そしてその時にわかったのだが、マスコミつうのは、なにも光文社とか主婦の友社ばかりではなく、市井にいくらでもころがっているものなのであった。
「コマーシャル関係の業界紙なんだがね、キミ、ちょっと行ってみる気ない」
担任の教授から、ある日突然いわれた時の嬉《うれ》しさと驚き。
業界紙といえども新聞である。
しかもコマーシャルというのがこれまたカッコいい。
好物のアイスクリームに、こってりチョコレートをかけてサンデーにしてもらったようなものである。
私は喜びました。故郷の両親にも手紙を書きました。
「わたくしがいかに優秀な女子大生であったかの、ひとつの証でありましょう」
だが私はひとつ認識不足だった。
マスコミはマスコミでも、市井のマスコミである。
神田《かんだ》の貸しビルの七階にそれはあった。スリッパがあった。畳の上に六つのスチール机があって、社長と三人の記者、経理のおじいさん、タイピストの女の子が私を待ちうけていた。
それになんと玄関の横には、炊事道具いっさいが揃《そろ》ったステンレスの流しがあって、私はそれが後に悲劇の元凶となるとも知らず、もの珍しく眺めたのである。
何度でもしつこくいうようだが、市井のマスコミであった。月に二度発行するタブロイド判の業界紙を発行する時は、会社中総出で印刷から配送までやっちゃうのである。
タイピストの女の子がうったばかりの原紙を、みんなは「それ!」とばかり印刷機にかける。そのあいだに例のステンレスの流しの横に机を並べ、「製本」の用意をするのだ。
記者のベテランは製本のベテランでもあって、親指にゴムのサックをつけ、ものすごいすばやさでページを重ねていく。
新人の私はその横で軽石みたいなので、折りをつけ、四ページの新聞のできあがり。
これをタイピストと社長は封筒に入れ、のりづけをする。その後、私とタイピストはできあがった四百ぐらいの封筒を、東京中央郵便局までもっていく、という手順だ。
非常に家内手工業に徹したマスコミであった。ささやかな、ささやかな、町なかのマスコミであった。
けれども、「ささやか」とか「地味」とかいう言葉は、私といちばん肌があわない分野である。
五木寛之との情事を夢みていた私が、ステンレスの流しの横で行われるこれら一連の作業に、果して喜びを見つけられるタイプであろうか。答えは�否�である。
ものすごくブータレてたんだから!
いま考えるに、みんないい人ばかりであった。全く世間知らずの女の子によくしてくれた。
けれども私のふくれっつらはここにいた三か月のあいだ全く直らず、地顔のようになってしまったのである。
ふくれっつらになったひとつの大きな原因は、あのステンレスの流しだった。私の予感は的中した。ここで私はいろいろな義務をしょわされるようになったのである。
小さな会社であるから、遅くなった時、みんなの夜食にも出前なんか絶対にとらない。いつもカップヌードルが一個ずつ支給された。
カップヌードルなら大好き。ここにはみんな平等の思想がある。みんながいっせいにお湯をそそいで、「ごちそうさま!」と空のカップを捨てればいい。
私の入社当時はカップヌードルだった夜食が、いつかインスタントラーメン、万世のラーメンというふうにエスカレートしていったのは、やはり「女がひとり増えた」という男たちの喜びと甘えだっただろう。
しかし自分の部屋の食器も次の日曜日までほったらかしておく女に、甘えようーつうのは甘かった!
インスタントラーメンまではまだがまんできた。お湯を沸かしてつっ込みゃいい。しかし、万世のラーメンというと話は別だ。
万世のラーメンについて解説しなければならないが、これはいま流行の高級ラーメンのハシリ、麺《めん》とスープを別々に煮るやつだ。カップヌードルのように、微笑みながら「ごちそうさま」というわけにはいかない。
ここまで私は耐えに耐えた。
しかしラーメン闘争はエスカレートするばかりである。男性の記者たちは実にマメな人たちが多く、
「ラーメンの中に入れるとうまいと思って」
とかいって、近くの八百屋でキャベツやモヤシを買ってくるのである。
みな、この夜のラーメンタイムに、それぞれ主張をはじめたのだ。最悪の事態である。
そりゃ、私のオトコだったら、ラーメンどころか酢豚や八宝菜だって嬉々《きき》としてつくってやろうじゃない。だけどヒトのダンナたちのために、なんで私が毎晩ネギきざんで、麺をかきまわさなきゃいけないのよ——。
このラーメンタイムの自己主張を昼休みにまでもち込むヒトがいた。
誰《だれ》あろう、他ならぬ社長その人である。
ある日の昼休み、出かけようとする私に彼はひとつのタッパーをわたした。
「あ、これでみそ汁つくって」
弁当だけではあきたらなかったのだろうか。中にはきれいに切った三つ葉と、みそが入っていた。
私しゃつくりましたよ。貴重な昼休み時間に、マスコミをやってる私が、会社でみそ汁をつくりましたよ。
悲しくって涙がポロッとこぼれた。
ショルダーバッグに黒いハイヒール。有名作家の先生方に可愛がられて、ゴールデン街とか、銀座八丁目のバーにも連れていってもらう。中でも五木寛之先生のおんおぼえめでたく、昼の一流ホテルでの情事……。
それがお玉かきまわしてみそ汁だもんねー。みじめさでボーッとしてて、みそなんかぜんぶほうり込んでしまった。
「こんなからいの飲めると思う! ホントになにやっても気がきかない。嫁さんに行ったら三日で追い出されるから……」
と社長のどなり声をあびながら、私はこの市井のマスコミからの脱出を考えはじめた。
私がそこをやめたのはそれから一か月後だ。
その後マスコミどころか、職を求めて放浪する運命にあろうとは、さすがの甘ちゃんの私も気づかなかった。
とにかくその時の私は、あのラーメンとみそ汁の世界から逃れたかったのだ。