「色気がないねぇ——」
打ち合わせをしながら、担当者のMさんがいった。手には私がいろいろ小見出しをメモしたノートを持っている。
「この本、もっとセックスのことを書きましょうよ、ネッ」
「セックス!」
私はゴクリとコーヒーを飲み込んだ。この言葉を男性の前ではっきりと発言するのは、わが人生これで六回目ぐらいのものである。
「かんにんしてくださいよォー、本が出ればうちの親なんかも見るんすよォー。うちには結婚前の弟もいるし、親族縁者も多い家系なんですよ——」
「甘い、甘い」
M氏は急に厳しい顔つきになって身をのりだしてきた。
「この頃のこのテの本っていうのは、セックスの要素がないと絶対に売れないの」
「他にそんな本はいっぱいあるんじゃないすか。ほら、朝比奈紀子さんとか、『ANOANO』のおネエちゃんたち……。あ、そうそう、最近すごい美人のモデルさんが本を書いたんですって。そういう人たちで、そっちの需要はもう十分まにあってるんじゃないすか」
「でもそういう若くてきれいな女の子ばかりじゃなくて、君の目から見たセックス観つうのもほしいのよね」
聞きようによってはずいぶん失礼なことをいいながら、
「まさか処女ってわけでもない、ですね」
とM氏は急にねっとりした目つきで、私のからだをなめまわすように見た。
キャッ、いやらしい。でも少女マンガ家はみんな担当者と結婚したりしているし、担当者と著者というのはできるだけ親密にならなければいけないのが、出版社の慣例かもしれないわ。Mさんってそうまあ、私の嫌いなタイプでもないし、奥さんがいる方があとくされがなくていいかもしれない。
で、私決心したんです。
「でも——、そういうもの書くのには、私ちょっと経験不足かもしれませんワ」
今度は私がちょっと上目づかいのねっとりした目つきでMさんを見た。
するとMさん、なにか感じたのか、
「ま、本屋でそういう本探して勉強してよ」
とすばやく立ち上がってしまったんです。
私なんだか腹が立って、
「本のお金、そっちの必要経費で落としてくれるんでしょうね!」
と、ついどなってしまったんです。
とにかくこんなわけで私は本屋に出かけた。まぁあるわ、あるわ、「なーんも知らない親」「女ごころの奪いかた」。女向けだか男向けだか全くわからないオカマ本が、ところせましと本棚に並んでいる。
で、私は買いましたよ、五冊も。どの本も活字が大きいから、一晩ですべて読むことができた。
最後の一冊を読み終る夜明け頃に、猛烈な怒りが私をおそった。
「他の女性たちは、みんなこんなにいいことをしている」
それは、
「つくづく考えるだに、本当に私はモテなかったんだ」
という静かな悲しみにいつか変わっていった。
それらの本によると、
「女子大生ということだけで、男は寄ってくる」
ことになっているし、
「キャリアウーマンというのはそれだけで世の男性の興味の対象です」
ともある。
私は昔女子大生だったこともあるし、現在はキャリアウーマンと他人はよんでくれるけれども、この本に書かれたようなことは一度もなかったぞ!
つねづね私は、モテるということはかなり偉大なことだと思っていた。
それは一種の総合芸術だと高くかっていた。
けれどもこんなにたやすくモテるんだったら、芸術などという言葉を使う必要もなかったのだ。
私だって六本木とか青山あたりをフラフラしていれば、
「街別、通り別、オトコ研究」
とかいう一冊をものにできそうなぐらいモテそうな気がしてきた。
私は開眼した。
二十八年目にして、新しい光を見たような気がした。
あれほど憧れていた「モテる」という事実がいま目の前にぶらさがっているのだ。
しかし、ふと私は思った。
男たちも同じことを考えたらどうしよう。
これらの本によると、女という女は、街で知り合ったばかりの男にもなんともたやすく身をまかすことになっている。「その時のムードしだい」ということになっている。
これを読んで発奮する男というのは、私と同じように多分モテないつらい日々をおくっていることであろう。
この本を読んで新たな決意をした女と男が、夜の巷《ちまた》で遭遇する場面は、どう考えてもあまり見よいものではない。
私が青山かどっかのスナックのカウンターで飲んでいる。なんせ私は「キャリアウーマン」だし、「自立している女」なのであるから、絶対にモテるという確信に満ち満ちているのである。そこへ男がやってくる。彼も現代の男のモテる条件である「ミドル・エイジ」というやつであるから、自信に満ちているはずである。全く根拠のない自信と自信の視線がかちあう。
「たいした女じゃないな」
「ヘン、オジン。こんなとこまで進出してくるんじゃないわよ」
ふたりが目的としていた�若き青年実業家�とか�女子大生�とかは、このふたつの自信を置きざりにしてキャキャッはしゃぎまわっている。
それを横目で眺めながら、ふたつの自信は最後まで歩み寄ることはないのである。
「あそこまで落としたくない」
と、ふたりとも思う。なんせ本で十分自信をつけてきたので、妥協ということを考えもしなくなってくるのである。そして私はひとり分のジンフィズの代金をそそくさと払いながら、淋《さび》しく家路につくのである。
ところで、こういう女の下半身打ち明け話っぽいものが本になりはじめたのは、いったいいつ頃からだっただろうか。
私が思うに、小池真理子さんの「知的悪女のすすめ」なんかが先鞭《せんべん》をつけたと思う。いまの女子大生作家の、なりふりかまわないエゲツなさにくらべると、まだまだおとなしいものだが、最初にあの本を読んだ時、
「へえー、こんな卒論のできそこないみたいなものが本になるわけ——」
と当時の私はかなりふんがいしたものである。彼女の美人ぶるのと、悪女ぶるのも、私には気にいらなかった。おまけに私の友人に、彼女と同じ成蹊《せいけい》大出身の子がいて、
「ちょっと、ちょっと、小池真理子って誰かわかったわよ。仲間みんなで、あんなバカ女がうちの大学にいたっけ、とか話したのね。そしたらひとりがあれ、っておしえてくれてわかったんだけど、二年上にものすごいツッパッてる嫌な女がいるのを思い出したわよぉー」
とか聞いていたのも、小池真理子さんにとってはわざわいしていた。成功した有名女性の悪口をいうのは、彼女と私の共通の趣味なので、それから二時間以上も電話でエンエンと彼女の悪口をいってしまったのだ。
「だいたいねぇー、自分にちょっとバカな男が何人か寄ってくるからって、それにどうのこうの意味をもたせたり、カッコつけんの間違ってるわよ」
「それにさ、女同士でやるようなナイショ話を、本にするって根性セコイわね」
「よくいたじゃん、小学校の時、みなの話を聞くだけ聞いて、あとでひとりで先生にいいつけに行くコ」
「いた、いた、そういうコにかぎってわりと可愛いから、先生にかわいがられたりして」
「あらっ、小池真理子って可愛い?」
「よくいるタイプ、タイプ、赤坂のスナックなんかで塩コンブをつまんでほこりかぶってる……」
「あなたのほうがゼーンゼンいい女よん」
「ま、ありがと。色気だったらマリコ(私の方の真理子)の方があるわね」
小池さん、ごめんなさい。市井の女たちというのは、こんなひどいことばっかりいってるものなんです。
しかし、あのテの本を書く女性たちが、女たちから嫌われているのは事実ですね。女の手の内を、ああいうふうに男たちにさらすというのは、やはりひとつの裏切り行為にもひとしいのだ。それで自分だけ印税をもらって、ひとり有名になってモテて、六本木あたりで男に囲まれて飲んでいるのは、やはり絶対にズルイのだ。民主女性連盟にでも寄付しなさい。