昨年のいま頃は本当に金を使った。
収入はいまとそう変わらなかったけれど、豪華マンションにも住んでいなかったし、アシスタントもいなかった。丸ごとずんと使えたもんね。
イッセイ、ワイズ、ヨーガンレール、有名デザイナーもんを片っぱしから買い、
「成金! あたいら、あんなもんバーゲンでしか買わないもんね」
とかいって、友人のスタイリスト、編集者たちにコケにされたのもこの頃だ。
靴なんかも行くたびに二足ずつ買い、海鮮料理やフランス料理に舌つづみをうち、春にはグアム、夏にはアフリカにサファリ旅行をしてきた。
そりゃー、気持ち悪いはずはない。
第一自信というものがついてくる。その頃から私の交際は非常に派手になってきていて、高級クラブやホテルのバーで待ち合わせ、とかいわれても、なにも臆《おく》することなく堂々と肩で風切って入っていけるようにもなったのである。スゴイ、スゴイ。
もう安井かずみさんになったつもりになっちゃって、銀座の老舗《しにせ》のバーでカクテルなんぞも飲みましたよ。いっぱい。
私の大学時代の友人にチホミというのがいた。これがスゴイ女。横断歩道を赤で渡りながら、
「こっちとら医者のひとり娘なんだからね、ひいたりしたら賠償金あんたら運ちゃん風情に払える額じゃないんだから。どいた、どいた」
とわめくのがいたけれど、その頃の私はまさにそんな心境。六本木の人込み歩きながら、
「そこのOLのネエちゃん、どいた、どいた。こっちとらこれからオークラのラウンジ行くんだからね。あんたらみたいに社用の伝票切る男にくっついて、スクエアあたり行くのとは違うんだからね。ほらじゃま、じゃま、三泊四日のサイパン旅行で買いあさったグッチのバッグがじゃまよ、どけてくんない」
とこんな感じでありました。
まあ当然、まわりのひとたちからヒンシュクをかう。
「田舎出の女が金を持つとあーなるのよ」
とかいってずいぶん陰口もいわれてたみたい。
広告やマスコミで働く女の中で、評判がいいのっていうと、私とは全然逆のタイプなのね。
「お仕事やっていればそれだけで楽しいんです」
「私はマイペースでじっくりと」
もちろん私も外交用語として、これらの言葉はしょっちゅう使わせていただいている。だけど聞いてる方もシラジラしちゃうらしくて、
「キミがいうと本当に芝居じみてるね」
とかいわれてさらに評判悪くなるばかり。
だけれども、物を書くことを生業としていて、
「地味でもいい、自分の好きな仕事さえできれば」
なんていうセリフ、真から本気ではけるものだろうか。
あらゆる動機は不純だというけれど、こういう世界に入ったこと自体、すでに不純極まりないことじゃない。「地味でもいい」っていうんなら、どっかの信用組合でソロバンでもはじいてたら。
最近コピーライターというのは、すごくいい職業のように思われているらしく、いろんな女の子が私のところにやってくる。
「書くことが好きなんです」
「広告という仕事に興味があって」
とかまあみんな一応のことをいうけれど、
「有名になりたい」
「華やかな世界に入りたい」
「お金ほしい」
まだ彼女たち自身も気づいていない、ホントの声があるはずだ。
私だってそうだったもの。
そうね、お金ってあると気持ちいいよー。狭い業界とはいえ、少しは名前が売れてくるのってチヤホヤされて最高よー。
そういうものがわずかずつでも手に入ってきはじめると、自分がどんなにそういうものに固執し、好きであるかよおくわかってくるよ。
この頃やっと結論をくだした。
私ってお金と名声が大好きな女なんだ。
これをいうのって、
「私はセックスが大好きな女なんです」
というぐらい勇気がいるよ。
セックスが好きな女っていうのは男たちに歓迎されるけれど、お金と名声が好きな女というのは、はっきりいってあんまり好かれない。そのふたつをすでに手に入れた女は、男たちは大好きなのにね。不思議ね。
けれども私がそれをのぞむのにはワケがある。いくら図々しい私だって、手に入れられないものはのぞまないよ。
いまの世の中、ものすごくイージーにこれらのものが手に入りそうじゃない。
私が子どもの頃は、このふたつを手に入れた女の人って傑出した人物が多かった。デビ夫人とか美空ひばり。いい悪いは別として、「さもありなん」とうなずける人ばっかり。手に入る女と、手に入らない女との間にかっきりと境界線が張られていたもんね。私なんか少女時代から妄想癖があって、中学卒業したら、絶対に赤坂の「コパカバナ」に勤めようと心にきめてはついにはあきらめた。
だけどいまはそうじゃない。お金と名声を手に入れる女というのは、CMにちょっと出てとか、男遍歴の本を書いてとか、小粒になったぶんだけものすごく簡単っぽいじゃない。だから私もつい野心を燃やしちゃうわけ。
たとえばスタイリストの原由美子さんっていますね。あの方とはパーティーですれ違うぐらいで、全然うらみつらみはないのだが、あの方の売れ方というのが、いまいったことのあまりにも典型的な例だから、ついつい気にしちゃうわけ。いろんなマスコミの意図によって、ひとりのスタイリストが全くの文化人になってしまうことに私はものすごく疑問がある。
「育ちのよさからくる、おっとりした人柄を愛するカメラマン」
「あまりの口下手を見るに見かねて、弁の立つ編集者がスポークスマンを買って出る」(向田邦子「私の原由美子論」より)
ひどいなー、これはないですよ、向田さん。ここには女性の売れ方の、ものすごい理想型があるけれど、こういうの私、大嫌い。私だってこういうことをいわれたい。誰だっていわれたい。けれども私なんかこういう賛辞とは全く別の、
「売り込みがうまい」とか、
「押し出しが強い女」とかいわれて毎日をおくっている。けれども私は一言も弁解しようとは思わない(そうでもないか)。私がお金とか名声を手に入れたいとのぞむなら、そういうことをいわれる恥や屈辱とひきかえに手に入るものだと思っているから。本当だよ。
亡くなった方に向かってなんだかんだいうのもナンですけれど、あなたの書いた「私の原由美子論」、他の著作にくらべて、歯ぎれも悪いし、ぜんぜんつまんないよ。多分平凡出版の義理で書いた何ページかが、死後単行本の一章になるなんて、あなた自身想像もしてなかったに違いない。
悪口いいついでに自分の弁解もしっかりすると、私はこんな強気をいうのとは反対の、「サラリーマンの妻」願望というのも非常にもっている女なのだ。
風間杜夫みたいな旦那《だんな》にかしずいて、帰ってきたら浴衣で抱きついて、ソーメンなんか食わせちゃう。
「おー、こわ。想像するだにおぞましい光景ね」
と友だち。
「だけどダメよ。あんたみたいなのが普通のサラリーマンなんかといっしょになれないわよ。なんにもできなくて、金使いは荒くて……」
「私ね、商社マンなんかいいなー」
「ホント、立派よ、ミーハーに徹してるのがあんたのいいとこよ」
「そいでさー、海外へ赴任するじゃない。そこでさー、私、『ニューヨークのキッチンから』とか、『ナイロビの風は熱く流れる』とかを書いちゃうわけ。それが大ベストセラーになって、大宅壮一賞なんかもらって……」
やっぱり私、心底お金と名声が好きみたい。