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ルンルンを買っておうちに帰ろう17

时间: 2019-07-30    进入日语论坛
核心提示:感性という名の錬金術「コピーライターっていうのはもうかるんだって」 よくこのテの質問がくる。「そうすね、銀座のホステスっ
(单词翻译:双击或拖选)
 感性という名の錬金術
 
「コピーライターっていうのはもうかるんだって」
 よくこのテの質問がくる。
「そうすね、銀座のホステスっていうわけにはいきませんけど、新宿の裏通りのホステスぐらいいけるんじゃないすか」
 ととぼけることにしている。
 フリーのコピーライターになって、ポスターの仕事を一本した。ギャラがそれまで働いていた会社のほぼ一か月分だった。
 ほんとにチビリそうになるくらい興奮した。
 絶対になにかの間違いだから、この金をもって姿をくらまそうと何回も思った。
 この気持ちはいまでもつづいている。
 たいして才能をもっているわけでもない二十代の女の子が、普通のOLの数倍の金をかせぐという事実。
「間違っている」
 と確かに思うけれど、このマチガイはラクで私にとって都合がいいから当分しがみついていようと思うのね。
 けれどもこのマチガイは私だけでいい。
 他の女たちがこのマチガイを享受しているのは嫌なのだ。
 少女時代、アミダのおまけでズルをして、いちばん大きなラムネ菓子を手に入れた。けれども他の子が私と同じやり口をつかって同じ菓子をとった時、ムカッときて駄菓子屋のおばさんにつげ口した。あの心境に非常に似ているような気がする。
 それでも私は生まれつき気が小さく、非常に優しい性格なので、自分ひとりいい思いをしていることにかなり後ろめたい思いをするのはたびたびだ。だから私は貧しい青少年たちにおごることによって、社会に還元しようとしてきた。ホントにかなり身ゼニをきって、コピーライター志願やカメラマン助手の若い男の子たちにかなりおごりつづけてきたのよね。だからそういう心の「とがめ」なしに、もうけまくって、遊びまくって、飲みまくっている女たちを見るとかなり頭にくるのだ。
 その筆頭がスタイリストといわれる人種。あの人たちが一回の仕事でもらうギャラの額をいったら、定年まぢかの経理のオジさんなんか憤死してしまうであろう。
 たとえばあるポスターの仕事で、私は二十万円のギャラをもらう。多いと思うでしょ、私だって多いと思うもん。世間さまに対してホントに後ろめたい。
 だけども私と全く同じギャラが、スタイリストにも支払われているのよ!
 私なんか四、五回打ち合わせをやって、担当者にさんざん嫌味をいわれる。このお金をいただくために、かなりつらいめにいろいろあっているのだ。それにいくらヘタなコピーだって、一応「無」からなんかこさえてるわけ。店に並べてある商品をスタジオに移動するだけのスタイリストとはわけが違うのだ。
 怒り狂う私に、デザイナーはこういう。
「仕方ないじゃん。○○(ここには有名スタイリストの名が入る)の感性はすごいんだもん」
 この感性という言葉について少々解説したい。
 黄門さまの葵《あおい》の印籠《いんろう》のごとく、このふた文字は広告業界において絶大なる力をもつのだ。感性が鋭いということは、イコール才能ということになって、他のすべてが許される。
 ある有名スタイリストのごうまん無礼の行い、ドッ派手のファッション。そういうのも、ちょっと名が売れると感性がピカピカしてる証拠みたいに思われるからいいのよねん。
 なぜ私がこんなにスタイリストの悪口をいうか。だって何回もいじめられてきたんだもん。
 私って、ほれ、わりと若く見られるのと、礼儀正しいでしょ。この業界において礼儀正しいつうことは、負けの要素になることが強いんだから。
 最初の打ち合わせがあるとするでしょ、
「イトーちゃん(ディレクターとかカメラマンの名)元気ィー、最近飲んでんの」
 といいながら登場してくるヒトと、
「ハヤシです、はじめまして」
 と登場するヒトとでは、後者の方がなんか下手に出るはめになるのよね。
 そのためにスタイリストつう人種にずいぶんえばられました。
 それに彼女たちはカメラマン、そうでなかったらデザイナー、そうでなかったら編集者とたいていデキているから、彼らと手ひとつ握ったことのない私はかなりどころか、相当不利である。
 あげくのはては、彼女たちのお茶までいれたりする状況にいつかおい込まれていくのだ。
 何度もしつこく例にあげるようだが、スタイリストで原由美子さんという人がいる。人格、才能とも非のうちどころがない人らしい(「アンアン」にそう書いてある)。
 このあいだ某ブティックですれ違ったけれど、後ろにアシスタントをしたがえて女王のような貫禄《かんろく》である。私などハハァーッと下にひれ伏したいような感じ。
 ある意味では彼女こそ、現代スタイリストの頂点であり、ひとつの象徴であろう。スタイリストのようなあやふやなものに、キンキラの価値観をつけたのはやはり原由美子とその仕掛人たちである。
「原由美子の本」つうのは(私まで買った)ベストセラーになったらしい。だけどあれ絶対におかしいと思うのよね。「原由美子の世界」といったって、全部あれは他のデザイナーがつくったもんでしょ。コーディネイトする才能とかなんとかいったって、上も下もコム・デ・ギャルソンじゃない。あれは「原由美子が借りてきた服の世界」というべきじゃないだろうか、絶対に。
 それに彼女が白百合、慶応出の良家のお嬢さんっていうのはよーくわかりました。だけどなんで彼女のお母さんの若い時の写真や、彼女のクラスメイトの旦那が三井物産にお勤めだということまで私が知らされなきゃいけないんだろ。
 服を選ぶ感性あれども、恥ずかしさを感じる感性というのはないのかしらん。不思議ですぅ。
 この疑問をその筋の人がこう解説してくれた。
「スタイリストってそもそも高卒か洋裁学校出の子が多いでしょ。その中にあって原由美子っていうのは、名門とか慶応とかいう条件が揃っているのよね。だから彼女をもちあげることによってスタイリスト全体のクオリティをいっきに押しあげようってことじゃない」
 ふーん、なるほどねえ。
 でも決して皮肉や嫌味ではなく、「アンアン」とか「クロワッサン」とかはすごいと思う。本をつくっている自分たちを前面におしだして、自分たちをその本によってスターにしてしまうんだから。またそれによって読者たちも喜ぶという、雑誌の宝塚の世界をつくりあげて定着させてしまったのだから頭が下がる。
 これらの記事によって、私は「アンアン」のスタイリストたちの部屋の内部から、コレクションの内容まで知りぬくことになってしまった。
 なんか他人のような気がしないのです。
 だからパーティーなんかで彼女たちに会って、
「コピーライターしてんの、ふうーん」
 なんて煙草《たばこ》の煙をふきかけられても仕方ないかな、なんて思う今日この頃です。
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