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美女入門21

时间: 2019-07-30    进入日语论坛
核心提示:たまらんボディ フィギュアスケートを見に、長野オリンピックに行ってきた。 ああいう一流アスリートたちを見ると、私はいつも
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 たまらんボディ
 
 
 フィギュアスケートを見に、長野オリンピックに行ってきた。
 ああいう一流アスリートたちを見ると、私はいつも悲しくなる。同じように人間として生まれ、どうしてこんなに肉体が違ってしまったのであろうか。それもアメリカ人とかロシア人とかいうのならまだわかる。民族の差ということで仕方ないと思う。
 ここでちょっと話が変わるが、三年前にミラノコレクションを見に行った時のことだ。コレクションが終り、ファッションセンターの中を歩いていると、スーパーモデルたちが私のすぐ前を歩いているではないか。ずっと前に見たパリコレの時もそうであったが、モデルたちはすぐに次の会場に移動するため、お客と一緒にどどっと歩く。お客といっても、みんなプレスの人たちで、ファッションジャーナリストや編集者たちだ。みんなプライドがあるため決してミーハーなことはしない。わりと無視した態度をとる。
 わたしゃ、そりゃあびっくりした。エスカレーターで降りる際、私のすぐ目の前にナオミ・キャンベルとシンディ・クロフォードが談笑しながら立ってるじゃないの。私はよっぽど写真を撮ろうかサインを貰《もら》おうかと思ったのであるが、同行のジャーナリストがそれだけはやめてくれと必死で言うので諦《あきら》めた。その代わり彼女たちのモデル・ウォークというのを本当に間近で観察した。長い脚をすっすっと前に出し、ややヒップを左右に振る……。さっそく人気《ひとけ》のないところでやってみた。が、まるっきり違うぞ。仕方ないか、脚の長さと全体のバランスというものがあるか……。
 さて、美しい肉体を持つオリンピック選手たちを見て思った。こういう肉体のエリートを今さら目指しても仕方ない。生まれついての才能というものもあろう。近くで見たから断言出来るが、ナオミ・キャンベルみたいな体に生まれ、ああいう風に体をデザイン出来る人というのは何万人にひとりである。それに彼女の体を、本当に男の人が好きかどうかというのは、はなはだ疑問である。
 私がつくづく羨《うらや》ましいのは、エッチっぽいカラダというやつですね。モテるのをいいことに、三十八歳の今日まで好き勝手し放題をしているテツオがつくづく言う。
「顔がジミで、カラダが派手というのがいちばんいい」
 私のまわりの若いコで、それにぴったりの女の子がいた。顔は普通っぽい童顔なのであるが、バストが八十六、ウエストが五十五センチという数字を誇った。彼女がセーターを着ていると、同性ながら目のやり場に困ったものである。
 ここまですごくなくても、男の人が誉める女の人のカラダを見ていると、女のそれとかなり違っているのがわかる。私の男友だちは、ノースリーブの袖《そで》からのぞくぽっちゃりした二の腕とか、ミニからのぞくピチピチの太ももを見ると�たまらん�そうだ。パンツ姿の後ろのちょっと下がり気味のヒップも可愛いと言う。つまりモデルタイプの完璧《かんぺき》なボディなどあんまり望んでいないのである。
 エッチっぽい、というのは、だらしない、という要素も含んでいる。もちろんぶくぶくぜい肉がついているのは論外であるが、若さゆえの多少のお肉は誰もが大歓迎なのである。
 が、こんなことは十年以上前から言われてることだ。男が考えるいいボディと、女が欲しがるボディとはかなり違うということは、いろんな人が書いたり言ったりしている。それでも女の方は、頑としてその考えを変えない。このあいだも身の上相談で、
「百六十七センチなのに、五十四キロもあって死にたくなる」
 という投書を見て、私は、
「こんなのは餓死しろ」
 と怒鳴ったものである。
 どうしてこんなに世の中の女は、違う方向へいくのであろうか。私が考えるに彼女たちの恋人が誉めないせいではなかろうか。
 外国人とつき合っている女性に聞くと、欧米の男、イラク方面も含めてあちらの国の方方は、それこそ言葉を尽くすのだそうだ。何て素敵《すてき》な胸、何てキレイな脚なんだ……とかいうような、女を喜ばせるようなことをいっぱい言う。そこへいくと日本の男のコというのは、いまいちボキャブラリイが少ない。つき合い始めの頃は、さんざんおいしいことを言うのであるが、二人の仲が安定するやいなやとたんに毒舌家になる。相手の女をこきおろすことが愛情表現だと思っているのは、オヤジから十代の男のコまで、この国の男に共通している特徴なのである。
「お前のウエストよォ、何とかならないのかよ」
「○○キロになったら別れるからな」
 とか早くも亭主風を吹かせる男というのはとても多い。こんなのはいっさい無視──と言いたいところであるが、そうもいかないのが女のつらいところである。
「彼がさ、お前のここの肉、夏までにどうにかしろって言うの」
 なんて惚気《のろけ》るのも、ステディの証《あかし》だもんね。今日もエステに行っていたら、カーテンごしに気配がした。どうやら紙パンツ一枚になって採寸しているらしい。
「まあ、こんなにほっそりしてるのに」
 エステティシャンの声。
「ダメなの。お腹をへっこめたいの。彼に叱られちゃう」
 ま、これも幸福のひとつの型か。必要もないのに愛する人のために必死になるのってさ。
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