最近いろんな理由があって、急に痩《や》せた。こんなことは、私の人生始まって以来初めてである。何しろ食べることにまるっきり興味を失くしてしまったのだ。
痩せるといいことがいっぱいあるが、そのひとつは昔の服が着られるようになったことであろう。昔の服、といっても五、六年ぐらい前のものだ。おととしのものもある。
自分でも不思議なのであるが、私には小さめのサイズを買うという習癖がある。
「ダイエットをしたら、これを着よーっと」
という希望的観測のもとに購入するのであるが、うまくいったためしがない。おまけに最近某ブランドのファミリーセールを友人に頼むことが多くなった。
このファミリーセールは、私のよく着ているブランドが、半額から七割引という夢のようなバーゲンである。
「でもすごい混雑だから、あなたは行かない方がいいわよ。このあいだは女優の○○子が髪ふり乱して買ってたけど、あそこまでしなくってもって、みんなひややかだったわよ。私があなたの好みのものを買ってきてあげるから、任せて」
ということで頼んだことが何度もあるのだが、やはり女同士の気の使い方がある。あんまり大きいものは失礼だと、彼女はいつも小さめのものを買ってきてくれるのだ。私のサイズはセールに出ないということもあるのかもしれないが、おかげでうちは着てないジャケットやワンピースがごろごろしていた。
ところが最近試しに袖《そで》を通したところ、ぴったりではないか。私はいっきに衣裳持《いしようも》ちになった。今年買ったグレイのジャケットやスカートに、おととし流行《はや》った茶色をどう合わせていくか。これがコーディネイトの妙技というものではなかろうか。知り合いのスタイリストも常々、洋服はすぐに捨てるべきではないと言っている。
「お洋服は何年か置くと発酵してきて、いい味を出してくるのよ」
なるほど、おしゃれと呼ばれる人に、それ、どこで買ったの、と尋ねると、
「五年前のアルマーニよ」
「三年前のプラダ」
という答えがかえってくる。そりゃそうだ、お金持ちのタレントさんじゃない限り、上から下まで最新のものを着られるわけがない。
私が今まで、いまひとつアカぬけないといおうか、ファッションに自信がなかったのは、このコーディネイト能力に欠けていたためである。普通の人より多少小金を持っている私は、シーズンごとにいっぱい買いまくって、過ぎた日のことなどすっかり忘れてしまっていたのである。
当然のことながら、着なくなったものが増えていく。こういうものは宅配便で田舎の友人や親戚にあげた。ほとんど使っていないバッグや靴は、女性の編集者にプレゼントした。
が、今回の体型の変化をきっかけに、私は衣裳棚を点検したのだ。まあ、出てくること、出てくること。革のジャケットだけでも、エルメス(パリの本店で特別オーダーしたもの)、グッチ(ニューヨークで購入)、ロエベ(バルセロナで購入)と三着あった。
しかし、昔のものがすんなりと着られるとは限らない。いちばん大きな問題は、肩パッドである。皆さんもお気づきのように、五年前の肩パッドと今年の肩パッドでは、天と地ほどの差がある。あの頃のパッドは、とにかく大きくて四角いのである。自分ではずしたのであるが、シルエットが大きく狂ってしまった。こういうのは、田舎行きにすることにしよう。
それから、私は以前よく○○○のニットを着ていた。あそこのニットは、ちょっとしたセーターでも当時十万円近くした。クリーニング屋の袋に入ったままのそれらのものが、何枚もある。やはり今見ると、パッドが大きくて型が古い。そうかといって、インナーには着られない。これは友人に頼んで、そのうちフリーマーケットに出すことにしよう。
さてある日のこと、私は原宿でタクシーを拾った。運転手さんは女性である。彼女はバックミラーで私のことをちらちら見て、こう聞いてきたのだ。
「お客さん、ファッションメーカーの人でしょ」
「いいえ、違いますよ」
「だけどさ、着るものがまるっきり違うじゃないの。すっごくおしゃれでさ、普通の人じゃないわよ」
私は嬉《うれ》しくて、この話をさっそくテツオに話した。テツオは嘘だと怒鳴った。
「サイモンさんはホテルに行こうとして、タクシーの運転手に、従業員入り口につけられたんだよ。あんたが、そんなこと言われるはずないでしょう」
でも本当のことだったら。このところ、真夜中にやっているコーディネイトごっこ、着せ替えごっこの成果が上がってきたということではないでしょうか。やったね。
が、さすがのテツオも私が痩せたことは素直に認めた。そして久しぶりに「アンアン」の取材を依頼されたのである。
当日はうんといいカメラマンとヘアメイクの人をつけてくれるそうだ。お洋服は私の手持ちの中から選ぶことになった。よーし、日頃の成果を見せようじゃないか。
なにしろ、私は原宿の真ん中に住んでいるのに、若い人から声をかけられたことがない。誰も私に気づかず、とても淋《さび》しかったの。