もう半年も前のことになるであろうか。
若乃花の奉納相撲を見に、編集者のY川さんと明治神宮へ出かけたことがある。Y川さんはファッション雑誌の女王とも呼ばれ、そのおしゃれのセンスと知識といったら凄い。
私もY川さんの前に出る時はなるべく頑張るようにしているのであるが、その日は朝から雨がしょぼしょぼ降っていた。雨の中、神宮の砂利道を歩くことがわかっていたので、私はうんとボロい靴を選んだ。もう長いこと履いて、そろそろ�引退�かなあと思っていた靴だ。この際、最後のご奉公をしてもらおう。
ところがY川さんの足元を見て、私はそれこそびっくりした。私と同じようにいちばん悪条件なところを歩かなければならないのに、Y川さんはエルメスの革の黒いスニーカーを履いていたのである。しかも新品だ。私はつくづく反省した。
本当におしゃれな人は、雨だからこそピカピカの靴を履くという。どんな時にも手を抜いたり、だらしない格好はしない。これこそ、女にとっていちばん大切なことであろう。
そんなある日、テツオから電話がかかってきた。
「ジル・サンダーの新作スニーカーがすっごく可愛いから、買っといた方がいいよ」
普段は私のことを小馬鹿にしている彼であるが、こうしてこまめに情報をくれるのは有難い。
「白と黒の二色があるけど、両方予約しといてあげようか」
「サンキュー、よろしくね」
こういう時は、素直に礼を言う私である。そしてそのスニーカーを昨日、紀尾井町《きおいちよう》のショップまで取りに行ってきた。ついでにニットを二枚買う。今年の冬は、スポーティカジュアルという感じにしようかナと考えた。
ジル・サンダーのニットはとても可愛い。白くざっくりしたニットにグレイのスカートを組み合わせて、タイツとスニーカーでお出かけ。とっても素敵な私になるはずだったんだけど、なんかヘンだ。白いニットは私が着ると、とても太って見え、いっきにオバさん体型となっていく。
そこへいつものように、テツオがやってきた。
「何だか今日は、もっさりしてんなあ……」
「何言ってんのよ」
私は怒鳴った。
「これ、ジル・サンダーよ。ン万円もしたんだから。あんたの一ヶ月分の飲み代よ」
ところが、これが彼にバカ受けしたのである。ゲラゲラ笑いだして、しばらく止まらない。
「やあ、久しぶりのヒット、ヒット」
やたら喜んでいる。
「ジル・サンダーでも着る人によって、こんなになっちゃうんだなあ。いやあ、いい勉強させてもらったよ」
私はかなりがっくりきて、それからそのニットを二度と着ていない。こういうものは、どこへ行くか。前にお話ししたと思うけれども、親戚《しんせき》のコやまわりの友人たちのものになるのである。
そもそも私は、自分の買ったものをちゃんと把握出来ていない。そしてすぐに人にあげてしまうことが多いので、ほとんど記憶にも残っていないのだ。
つい先日のこと、担当の若い女性編集者が、それはそれは可愛いブーツを履いていた。
「あら、それ素敵ねえ」
「やーだ、これ、ハヤシさんからもらったものですよ。ミラノのプラダで買ったけれど、やっぱりきついからって一回履いたきりのを私にくれたんです」
「あ、そうなの」
そうか、こんなところで活躍していたのね。懐かしいような淋《さび》しいような気分。私とそのブーツって、なんてはかない縁だったんだろうか。私の思い出にもならないうちに、人さまのものになっていたのね。
でも彼女はすごく喜んでいる。
「プラダのブーツなんて、ハヤシさんからもらわなきゃ、ずうっと私には買えませんでしたよ」
彼女はとてもおしゃれが好きな賢い女のコで、仕事が早く終わったりすると必ず私にこう言うのだ。
「ねえ、ハヤシさん、どこか買い物に行きませんか」
彼女が言うには、外国ブランドの店というのはとても入りづらい。
「だけど、ハヤシさんと一緒なら平気です。行ったことのない店でもじっくりリサーチ出来ます」
そこで最新の流行をじっくり見る。そしてその後、青山や表参道の表通りにあるショップに入る。ここでは流行を取り入れながらも、若い人向きのぐっと安いものを売っているのだ。
「ハヤシさんのおかげで知識を仕入れて、私は五分の一ぐらいの値段のものを買います」
と彼女は言った。私も本当に人の役に立っているのだなあとつくづく思う。が、お役に立っている私の方が何かいつもさえない格好で、ご恩を感じている彼女の方がずっと流行の先端でカッコいいぞ。単に若さやスタイルの問題だけじゃない。私っていつも損な役回りをしているような気がする。貯金だってまるっきりないしさあ……。