花には水、女にはお世辞
世の中には、はっきりとした基準がある。動かすことの出来ない断固たる基準だ。それは何かというと、美人と自慢話の関係である。
例えば中山美穂さんのような美女が、
「私はモテるの。私って、男が寄ってきて大変なのよ」
と言ったとしても、誰が咎《とが》めることがあろうか。ああ、そうだろうなあと、みんなおとなしく納得するはずだ。が、許せないのは、
「このレベルの女が、なぜ!!」
というようなのが、自分はモテると口にし、それがまんざら嘘ではないということであろうか。
女の物書きの中にもいる。思えば私はずうっと謙遜《けんそん》の人生であった。自慢したいことだっていっぱいあったのに、分をわきまえて決して口にしなかった。ところがどうであろう、びっくりするような容姿の女の物書きが、
「最近、私はモテる」
なんて、ぬけぬけと書いているじゃないか。
今までの私の人生を返して欲しい! と口惜《くや》し涙にくれることが、最近多い。
まあ、私憤はこのくらいにするとしても、私の友人の中に、このテの女がいる。どう見てもどうってことのない女だと思うのだが、男の人に言わせると「かわいい」とか「チャーミング」なんだそうだ。
私の男友だちも彼女に憧《あこが》れるひとりで、彼女にこう尋ねたそうだ。
「○○さんって、子どもの頃からモテたでしょう」
「ええ、凄《すご》かったわね」
と彼女。
「ずうっと、順番待ちしてもらっていたわね」
私は思う。こういう風にぬけぬけと言えるところが、モテるコツなのだ。
この年になってわかったことであるが、たいていの男にはM的気質が備わっている。特に最近の若いコはそうだ。イジメられたい、言葉でなじられたい、という妄想が強いのだ。ここで気が強くて、性格のちょっと変わった女のコの登場になる。モテる女の傾向を見ていると、他人に決して気を遣わない、お金も決して遣わない、この二つに絞られる。よって相手の男が気とお金を遣うことになるのであるが、これは女に対する執着を募らせる結果になるようだ。私のように、男と食事をするたびに、
「あのー、割りカンにしてください。そんなの悪いからー」
などというのは、すぐに男にナメられる。
「この女、モテなかったな。男に金を遣ってもらったことがないな」
と過去を見抜かれるのだ。
今でも思い出すことがある。大人になってからのことであるが、当時つき合っていた男性が、
「何か買ってやるよ」
と宝石店に連れていってくれようとしたのだ。あの時は本当にあせった。彼もそんな年ではなかったから、買ってくれるといっても安物の指輪か何かだったろう。が、私の中で、
「そ、そ、そんな大それたこと」
という声がし、思わず後ずさりしてしまったのである。私は本当にバカだった。どうせ別れることがわかっていたんだったら、指輪の一個か二個買ってもらえばよかった。
男の財布のことを心配するような女は、ずうっとモテないままだ。うんと我儘《わがまま》で、うんと驕慢《きようまん》でしかも嫌われない女になるには、長年の訓練が必要なのである。しかし、これは何とむずかしいことであろうか。一週間や十日で驕慢さは身につくものではないのである。ここはひたすら自己トレーニングしてみようではないか。まず朝起きてベッドの中で(起きててもいいけど)、
「私はモテる。私はすっごくモテる女なのよ」
と繰り返し、自分に言い聞かせる。
「二年前のあれはフラれたんじゃないわよ。私のゴージャスさと私のオーラに、相手の男がついてこれなかったのよ」
とマイナスの過去はひたすらプラスに変える。そして恋人とのハイライトシーンだけを思い出そう。迫ってこられた時のこと、愛していると言われた時のこと、初めてそういうことをした時のこと。思い出を上手に編集していけば、誰だってモテる女の過去を持つことが出来る。
後は、誉め言葉専用の男をひとり確保出来たら最高だ。つまり白雪姫のママの、鏡の役ですね。
「○○ちゃんって、モテると思うよ」
「君って、男がほっとかないタイプだもんね」
こういう言葉をしょっちゅう浴びせてもらうわけだ。花には水、女にはお世辞。するとどうだろう、たちまちいきいきと素敵な女になることが出来る。そしてもしそういう話題になった時は、はっきりとこう言おう。
「ええ、私はモテたわよ。今でもモテると思うわ」
が、女の敵をわざわざつくることはないので、こうつけ加える。
「私は美人でもスタイルがいいわけでもないけど、なぜだか昔からモテるの。いろいろ努力しているせいかしら」
あくまでも毅然《きぜん》としてこれを言う。すると女たちも、一目置くようになる。そして本当に「モテるらしい」という噂が立つのだ。男はこういう噂に弱く、アリンコのように寄ってくる。こうなったら、しめたもんだ。