この本が出る頃には、すっかり古い話になっているかもしれないが、石井|苗子《みつこ》さんの話は面白かったなあ。
いや、面白いというのは失礼かもしれないが、いかに男とキレイに別れなくてはいけないかという、いい見本かもしれない。
あんなに頭が良くて美人で、しかもいい年をした女の人でも、男の人とつき合うことで失敗する。思わぬアクシデントが起きるから、女は常に学習を続けなくてはならない。
女というのは、劇的なものを欲しがる反面、男を自分の都合のいいように操りたいと思う気持ちがあるから始末に困る。自分が別れて欲しい時は、あっさりとキレイに別れてくれなきゃ困ると思うものの、それだとやはり物足りない。
たとえば、今、ストーカー行為が問題になっているけれど、以前つき合っていた男に、いつまでもつきまとわれるというのは本当に困る。私の友人の中には、
「今からナイフを持って、お前のところへ行くから」
と電話で脅かされたコもいる。殴られた揚げ句、難聴になったコもいる。
しかし、雨の夜、ずぶ濡《ぬ》れになった男が自分の部屋の前で待っているというシチュエーションを、夢見ない女がいるであろうか。ドラマの中のあのシーンみたいに、
「オレはやっぱりオマエが必要なんだよー」
と言われてみたい。
「もうそろそろやめにしよう」
と持ちだしたとたん、相手も�待ってました�と言わんばかりに、
「そうだね……」
と言われる屈辱と悲しみ。あれに比べれば、多少つきまとわれた方がいいかも、などと思うのはモテない女の発想で、執念を持った男のやり方というのはそりゃあすごいらしい。
私のまわりの若い人たちは、好きになるとすぐ一緒に暮らし始める。東京のちょっと華やかな仕事をしている女のコの同棲《どうせい》率というのは、かなりのものになるであろう。
「もうちょっと待ってもいいんじゃないのォ。一緒に暮らすと後が大変だよ」
と、私は一応忠告するのであるが、耳も貸さない。そしてかなりの確率で別れが来る。恋愛と違い、一緒に生活したとなると別れる時に大変だ。お金のこともからんでくる。それと男の人の面子《メンツ》というのも生じてきて、修羅場発生率もうんと高くなる。
梅宮アンナちゃんと羽賀《はが》研二クンなんていったいどうするんだ。二人で撮った「愛の証《あかし》」のヌード写真集はどうなるのであろうか。私はひとごとながら心配になるのである。
テツオに言わせると、
「別れた後もぐちゃぐちゃ言うような、めめしい男とつき合うのがまず間違っている」
んだそうだ。それまでの男のすごし方を見て、モテない男、人生にあんまり恵まれなかった男は、最初からパスしなければいけないと彼は言う。
が、私は思う。そりゃあ、テツオみたいにモテて遊んでいる男とつき合う分には、別れる時も簡単であろう。あっさりとキレイにバイバイ出来るであろう。が、男の誠実さを味わうことは出来ない。
男のまごころを楽しむのと、恐怖を味わうのとは、実は表裏一体のものである。最近の若い女のコは、男のことをなめきっているから、一回ぐらい殴られるのも人生経験というものかもしれない。
もちろんこの場合は、女側に大きな非がある場合に限られる。よく別れる話し合いに、新しいカレを連れていく人がいるけれど、ああいうのは最低ですね。それから男のことを一方的にののしったり、まわりに悪口をいいふらしたりする女も、殴られても仕方ないのかもしれない。
が、殴られても必ずモトはとれるというのは私の持論である。
「別れ話がもつれて、男に殴られた女」
というのは、やはり畏怖《いふ》の念で見られるからである。バカな女と思われることもあるが、
「そんなにいい女だったのか……」
とまわりから興味を持たれることは間違いない。そういう時はあまり多くを語らず、
「いろんなことがあったけど、まあ仕方がないこともあるし……」
くらいにとどめておく。
プレイボーイの評判の高い男の人ほど、女の人は群がっていく。あれと同じですね。色事のトラブルが絶えない女の人というのは、それこそフェロモンが発生していく。やたらモテていくのである。
が、ここでも問題が発生する。これまた私のまわりに多いタイプであるが、こういう女の人というのは、いろいろ過剰気味の、ちょっと薄汚れた感じの中年女になりやすい。いつまでも若い男とつき合っていることを自慢したりするのだ。
そういう人生を望むならいいが、ある時がきたら、結婚、出産というコースで、人生のアカをさっぱり落とす。そして再び色気やフェロモンを身につけていくと、すっきりと上品な女に仕上がるようだ。本当に女の生き方はむずかしくて奥が深いんだから。