皆さーん、お元気ですか。
私は今この原稿を、新居の仕事場で書いています〜。
生まれて初めて自分で考え、つくったおうち。このところずうっと、マンションだったから、一戸建てというのに住みたかった。嬉《うれ》しいか、って言われれば確かに嬉しいが、ローンのことを考えると複雑な気分である。引っ越す前にちょっとテツオと見に行ったら、あの口の悪い男がふーんと黙り込んだ。
「こんなもん建てて、いったいどうやって金を返すつもりなんだ」
友だちだと思って、心配してくれてるのね。ここはそう大きくはないけれど、細部にうんと凝っている。お陽さまのさんさんと当たるパティオ、応接間は白い大理石の床に、白いしっくいの壁。それからイタリアのB&B社の白いソファ。商売道具の本を収めるところは、廊下の両脇につくってもらった。
建築家の人や建築会社の人にうんとよくしてもらってこんなことを言うのは失礼であるが、私というのは実は元々住むところにあまり固執しない人間である。食欲と買い物欲にあまりにも多大なエネルギーをとられるため、住への欲望がぽっかり空いてしまったというのが正しかろう。
大学生の頃は四畳半のアパートに住んでいたが、それはそれで楽しかった。丸井のローンでベッドを買ったもののスペースがなく、足半分は押し入れの下段につっこんだ。そして上段に花模様の風呂敷《ふろしき》をかけ、小物入れにしたのが私のインテリアの第一歩かもしれない。
その後は六畳ひと間のトイレ付き、その次は風呂トイレ付きの1DK、その後は東麻布の1LDKマンション、原宿の3LDKマンションと、確実にステップアップをとげたが、どの住居にも共通していることはもの凄《すご》く散らかしていたことだ。床が見えていたことがあまりない。ひとりの男の人と長くつき合ったのも、このだらしない性格が原因ではないかと思っている。何ていおうか、こういう汚い部屋では、突発事故が起こらないのだ。イレギュラーの男の人に、突然君の部屋に行きたいようなことをほのめかされても断るしかないというひどさだったのである。
そして、私は気づいた。うちを建てる、インテリアを変えるというのは、それまでのその人の美意識、教養の集大成なのね。花模様の風呂敷をカーテン代わりに使っていた女にとっちゃ、むごいことだったのね。
しかし、私は頑張りました。
「インテリアスタイリストを紹介しようか」
という人もいたが、きっぱりと断った。これから私の住んでいくうちである。もし趣味が悪いと言われたら、それは私の趣味が悪いことに他ならない。が、それも私自身なのである。
それにしても、と私は思う。住むことに関して、どうして生まれつきセンスのいい人と悪い人がいるのであろうか。こう言っちゃナンだが、着るもののセンスというものはうんと努力して勉強すれば、ある程度のところまでいくと思う。が、住んでいるところのセンスというのは、大人になってからの付け焼き刃ではどうしようもない。
インテリア雑誌を開くと、若い夫婦がそうお金をかけていない小さなうちを建てている。あるいはマンションをリフォームする。が、配色だとか、家具がとても素敵だなあと思うことがしばしばある。あるいは若いクリエーターが、捨てられた家具を使い、自分で壁を塗ったりしている。これもとてもいい感じ。
昔、東麻布のマンションに住んでいた時のことだ。ここは当時、雑誌に何度も紹介されたぐらいしゃれた建物であった。働いている、しかもちょっと高所得の女性を対象につくられたもので、外側はコンクリート、ベランダは強化ガラスという、ひときわ目をひく外観であった。床はもちろんフローリングで、壁紙は白。収納がとてもうまく出来ていたうえに、西ドイツ製の皿洗いも付いていたっけ。まあまあ売れているタレントさん、テキスタイルデザイナー、外資系のOL、スタイリストなんかが住んでいた。どこも同じ1LDKの間取りだったのに、それぞれみんな個性的に住んでいて、私はふうーんとうなった記憶がある。中でも印象的だったのが、織物作家をしている女性の部屋で、彼女はリビングルームをいっぱいに使って、織機を置いていたのである。それがとても美しいフォルムをしていて、部屋を知的に引き締めていた。
この私は、どう暮らしていたかって……。六畳の寝室は洋服でいっぱいになり、それだけでつぶれてしまった。ベッドをリビングに移動したのが間違いで、それが後の惨状へとつながっていくのである。あの頃も私はネコを飼っていて、ベランダから出入り自由にさせていた。そのため泥棒に入られたことがあるが、あまりの散らかりように警察を呼んだのはそれから一週間後である。
私はずうっと長いこと考えていた。収納のいっぱいある自分のうちを持てたら、私は決して散らかすことをしないだろう。が、それが間違いだと気づいたのは、引っ越し二日目の今日である。ま、この家の詳しいことはいずれ「アンアン」の「インテリア特集号」で。