大人のカッコいい女といえば、やはりユーミンの名が真っ先に挙げられよう。
私はそう親しい、というわけではなく、大スターとファンの関係であるが、それでも仕事上何度か会うことがある。四年前は彼女のラジオ番組のゲストに招《よ》ばれて、金沢で一緒に過ごしたこともある。あの時のユーミンも素敵だったなあ。立ち居ふるまいが、私ら庶民クラスの女とはまるで違うのだ。前に魔性の女ナカセが言ったとおり、
「十五歳の時に、女のポジションでどこいらへんにいたかで、すべてが決まってしまう」
という法則は、彼女を見ていると真実だなあとつくづく思う。
経済的に恵まれたおうちに生まれ、目立っていて、才能があって、というユーミンは、少女の頃から六本木の「キャンティ」に出入りし、多くの有名人に可愛がってもらっていたみたいだ。いわば女王となるべく帝王教育を授けてもらっていたわけである。
お姫さまから王女、そして女王というコースをたどった人は、いい意味で高慢でクールである。ごく自然に人を無視し、必要以上にベタベタしない。礼儀正しく愛想は悪くないけれど、なんとなくヒヤッとした感じは一朝一夕には出来ないものであろう。
ほら、私みたいにいろいろ下積みが長いとさあ、やたら人に気を遣い、かえって相手になめられる、という結果になってしまうの。だけどユーミンは違う。まわりの人たちが、彼女を仰ぎ見て、彼女に対して心をくだく。聡明《そうめい》なユーミンは、そういう人たちにきちんと接しているが、内心はどうもわからない。このサジ加減がものすごくカッコいいのである。
ま、それはともかくとして、今年もユーミンのコンサートへ行ってきた。柴門ふみさんも一緒だ。共に「恋の教祖」と呼ばれた人である。待ち合わせて代々木の体育館へ行く。いつものことながらあの体育館が満員だ。舞台はプールがしつらえられて、何かが始まるぞと期待でわくわくする。
そしてコンサートが始まった。「シャングリラ」と名づけられた今回のステージは、ロシアのサーカスを呼んで、空中ブランコ、シンクロナイズドスイミング、水を使ったショウなど、それこそめくるめく世界である。
途中でイルミネーションの輝く輿《こし》に乗ったユーミンが登場する。水中の光の輪の中を進むユーミン。紅白の小林幸子の百倍、いや千倍ぐらいの派手さである。おおっと息を呑《の》むようなロシア人の美形が、ユーミンのために豪華な世界をつくりあげるのだ。
「さすがよねぇ、すっごいわよねぇ……」
傍らのサイモンさんも、ため息をついた。が、私は別のところを見、別の感心をしていた。ユーミンは私と同い歳なのであるが、この体型は何ていったらいいのだろう。若いコーラスのコと、ステージ狭しと踊り歌うのであるが、すらりとしていて適度に筋肉がついた肢体は、ほれぼれするような美しさである。
「よし、私も頑張る。ユーミンに負けないような体になる」
と、私は強く誓ったのである。が、ここでテツオから茶々が入った。
「『負けない』っていうのは、図々《ずうずう》しいんじゃないの」
彼はこのあいだ私が、
「目指せ、藤原紀香」
と言った時も、同じように注意をした。
「目指せ、って言ったってさあ、あんたの場合、まるっきりレベルも進む路線も違うんだからさあ」
「じゃ、何て言えばいいのよ。目標にする、って言えばいいの?」
「目標っていうのもどうもねぇ。とにかく全く違う次元の話なんだからさ」
じゃ、羨《うらや》ましがらせていただいてます、って言えば文句はないんでしょ。
私はとにかく、ダイエットを始めることにした。実はこのあいだの引っ越しで、ダイエット食品、ならびにダイエット器具が山のように出てきたのである。中には通販の箱に入ったまま封を切っていないものもあった。どうして私はこうずぼらなのか。どうしてこう長続きしないのだろうか。
このところわりと続いているのが「階段ダイエット」というやつだ。どんな小さな用事でも階段を上がってその都度取りに行く。わが家は、階段、廊下を通って向こう側の仕事場へ行く仕組みである。下を通ってもいいのだが、私はわざわざ階段を上がる。爪先を立てるようにしてリズミカルに上がる。おかげでこの数日、ずうっと膝《ひざ》がガタガタしている。
「そんなのよりもさ、最近出たテレビゲームでいいものがあるのよ」
サイモンさんが教えてくれた。
「ダンスに合わせて、床に敷いたビニールの上のアルファベットを、指示通り踏むんだけどさ、汗びっしょりになって、すっごく体重が落ちるよ」
私が次の日、キディランドへ行ったのは言うまでもない。それは一式、わが家にある。が、動かしていない。わが家の電気係である夫が、怒って接続してくれないのだ。
「またこんなもの買ってきて。君の場合、三日ボーズどころか一日ボーズなんだぞ。いったいどうするつもりなんだ」
そんなわけで今も私の手元にある。可哀想な私の向上心。いつもこうやってつぶれてしまうのね。