二八 始めて早池峰に山路をつけたるは、附馬牛村の何某といふ猟師にて、時は遠野の南部家入部の後のことなり。その頃までは土地の者一人としてこの山には入りたる者なかりしなり。この猟師半分ばかり道を開きて、山の半腹に仮小屋を作りてをりし頃、ある日炉の上に餅を並べ焼きながら食ひをりしに、小屋の外を通る者ありてしきりに中を窺ふさまなり。よく見れば大なる坊主なり。やがて小屋の中に入り来たり、さも珍しげに餅の焼くるのを見てありしが、つひにこらへかねて手をさし延べて取りて食ふ。猟師も恐ろしければ自らもまた取りて与へしに、嬉しげになほ食ひたり。餅皆になりたれば帰りぬ。次の日もまた来るならんと思ひ、餅によく似たる白き石を二つ三つ、餅にまじへて炉の上に載せ置きしに焼けて火のやうになれり。案のごとくその坊主けふも来て、餅を取りて食ふこと昨日のごとし。餅尽きて後その白石をも同じやうに口に入れたりしが、大いに驚きて小屋を飛び出し姿見えずなれり。後に谷底にてこの坊主の死してあるを見たりといへり。