二七 早《はや》池《ち》峰《ね》より出でて東北の方宮《みや》古《こ》の海に流れ入る川を閉伊川といふ。その流域はすなはち下閉伊郡なり。遠野の町の中にて今は池の端といふ家の先代の主人、宮古に行きての帰るさ、この川の原《はら》台《だい》の淵といふあたりを通りしに、若き女ありて一封の手紙を托す。遠野の町の後なる物見山の中腹にある沼に行きて、手を叩けば宛名の人出で来たるべしとなり。この人請け合ひはしたれども路々心にかかりてとつおいつせしに、一人の六部に行き逢へり。この手紙を開きよみて曰く、これを持ち行かば汝の身に大なる災あるべし。書き換へてとらすべしとてさらに別の手紙を与へたり。これを持ちて沼に行き教へのごとく手を叩きしに、はたして若き女出でて手紙を受け取り、その礼なりとてきはめて小さき石臼をくれたり。米を一粒入れて回せば下より黄金出づ。この宝物の力にてその家やや富有になりしに、妻なる者欲深くして、一度にたくさんの米をつかみ入れしかば、石臼はしきりに自ら回りて、つひには朝ごとに主人がこの石臼に供へたりし水の、小さき窪みの中に溜りてありし中へ滑り入りて見えずなりたり。その水溜りは後に小さき池になりて、今も家の旁《かたはら》にあり。家の名を池の端といふもそのためなりといふ。