六一 同じ人六角牛に入りて白き鹿に逢へり。白《はく》鹿《ろく》は神なりといふ言伝へあれば、もし傷つけて殺すことあたはずば、必ず祟《たた》りあるべしと思案せしが、名誉の猟人なれば世間の嘲りをいとひ、思ひ切りてこれを撃つに、手応へはあれども鹿少しも動かず。この時もいたく胸騒ぎして、平生魔除けとして危急の時のために用意したる黄金の丸《たま》を取り出し、これに蓬《よもぎ》を巻きつけて打ち放したれど、鹿はなほ動かず。あまり怪しければ近よりて見るに、よく鹿の形に似たる白き石なりき。数十年の間山中に暮らせる者が、石と鹿とを見誤るべくもあらず、全く魔《ま》障《しやう》の仕業なりけりと、この時ばかりは猟を止めばやと思ひたりきといふ。