二二 附馬牛村東禅寺の常福院に、昔無尽和尚の時に用いられたという大釜がある。無尽は碩《せき》徳《とく》の師家であって、ふだん二百余人の雲水が随従していたので、いつもこの釜で粥《かゆ》などを煮ていたものであるという。初めには夫婦釜といって二つの釜があった。東禅寺が盛岡の城下へ移された時、この釜は持って行かれるのを厭がって、夜々異様の唸《うな》り声を立てて、本堂をごろごろと転げまわった。いよいよ担ぎ出そうとすると、幾人がかりでも動かぬほど重くなった。それでも雌釜の方だけはとうとう担ぎ挙げられて、同じ村の大萩という処まで行ったが、後に残った雄釜を恋しがって鳴り出し、人夫をよろよろと後戻りをさせるので、気味が悪くなってしばらく地上に置くと、そのまま唸りながら前の淵へはいってしまった。それでその一つだけは今でもこの淵の底に沈んでいるのだそうな。