六六 同じ村字飯《いい》豊《で》の今淵某の家では、七、八年前の春、桜の花の枝を採ってきて、四合瓶《びん》の空いたのに挿《さ》して仏壇に供え、燈明を上げたまま皆畑に出て、家には子供一人いなかった。しばらくしてふと家の方を見ると、内から煙が濛々と出ている。これはたいへんと急いで畑から馳け戻って、軒の近くへ来ると少し煙が鎮まった様子である。内に入って見れば火元は仏壇であった。燈明の火が走って位牌や敷板まで焼け焦げ、桜の花などはからからになっていたが、同じ狭い棚の中に掛けてある古峰原の御《お》軸《じく》物《もの》だけは、そっくりとして縁《ふち》さえ焼け損じていなかった。火を消してくだされたのもこの御札であろうと言って、今更のごとくありがたがっていた。こういう類の話は昔からいろいろあったようである。