六九 昔附馬牛村の某という者、旅をしてアラミの国を通ったところが、路の両側の田の稲が、いかにも好ましくじゃぐじゃぐと実り、赤るみ垂れていたので、種《たね》籾《もみ》にしようと思って一穂摘み取り懐に入れて持ち帰り、次の年苗代に播《ま》いてみるとオサ一枚になった。それは糯《もち》稲《いね》であったので、今年はどんなに好い餠が搗《つ》けるだろうと、やがて田植えをするとどのオサもどのオサも、青々と勢《せい》よく育った。ところがある日アラミから人が来て、この家の主人は去年の秋、おれの田の糯稲の穂を盗んできて播いた。この田もあの田も皆盗んで来た種だという。そんなことはないと言って争って見たけれども、それならばこの秋の出穂を見て、証拠をもって訴えると言って帰って行った。某はそれを心痛して、どうか助けてくださいと早池峰山に願掛けをして御山に登って、御参籠をして祷《いの》った。その秋ははたしてアラミの人がまたやって来て、共々に田に出て出穂を検《あらた》めてみようというので、しかたなしに二人で行ってみると、たしかに昨日まで糯稲であったものが、出た穂を見るとことごとく毛の長い粳稲《うるち》になっている。そこでアラミの人も面目がなく、詫びごとをして逃げるように帰ってしまった。これは全く早池峰山の御利益で、この稲は穂は粳だけれども本当は糯稲であった。それを生《おい》出《で》糯《もち》といって、今でもその種が少しは村に伝わっている。それからしてこの御山の女神は、盗みをした者でさえ加護なされるといって、信心する者がいよいよ多いのである。