一〇一 これとやや似た話が二《にの》戸《へ》郡の浄法寺にもあったそうな。遠野の事ではないがこのついでに書いておくと、浄法寺村字野田の某という者、ある日山へ行くとて途中で一人の大男と道づれになった。大男はしきりにお前の背負っている物は何だといって、弁当に持って来た餠をなぶりたがってしょうがなかった。これは餠だと言うと、そんだら少しでいいからくれと言う。分けてやると非常に悦《よろこ》んで、お前の家でははや田を打ったかと問うた。まだ打たないと答えたところが、そんだら打ってやるから何月何日の夜、三本鍬といっしょに餠を三升ほど搗いて、お前の家の田の畔《くろ》に置け。おれが行って田を打ってくれると言うので、某も面白いと思うて承知した。さてその当夜餠を搗いて田の畔へ持って行って置き、翌朝早く出て見ると、三本鍬は元の畔の処にあって、餠はもうなかった。田はいかにもよく打っておいてくれたが、甲乙の差別もなく一面に打ちめしたので、大小の畔の区別もわからぬようになっていたという。その後も某はたびたび大男に行き逢った。友だちになったので山へ行くたびに、餠をはたられるには弱ったということである。大男が言うには、おれはごく善い人間だがおれの嬶《かかあ》は悪いやつだから、見られないようにしろとたびたび聞かせたそうである。これも今から七十年ばかりも前の事であったらしい。