一〇〇 青笹村の某という者、ある日六角牛山に行ってマダの木の皮を剥《は》いでいると、出し抜けに後から呼ぶ者があるので、驚いて振り向いて見ればたけ七尺もあろうかと思う男が立っていて、自分の木の皮を剥ぐのを感心して見ていたのであった。そうしてその木の皮を何にするかと訊くから、恐る恐るその用途を話してきかせると、そんだらおれも剥いですけると言って、マダの木をへし折り皮を剥ぐこと、あたかも常人が草を折るようであった。たちまちにして充分になったので某はもうよいというと、今度は大男、傍の火であぶっておいた餠を指ざして、少しくれという。某はうなずいて見せると、無遠慮に皆食うてしまった。そうして言うことは、ああうまかった。来年の今頃もお前はまた来るか。もし来るならおれも来てすけてやろうから、また餠を持って来てくれと言った。某は後難を恐れてもう来年は来ないと答えると大男、そんだら餠を三升ほど搗《つ》いて、何月何日の夜にお前の家の庭に出しておいてくれ、そしたらお前の家で一年じゅうだけのマダの皮を持って行ってやるからと言うので、それまでも断わりきれずに約束をして別れて来た。その翌年の約束の日になって、餠を搗き小餠に取り膳に供えて庭上に置くと、はたして夜ふけに庭の方で、どしんという大きな音がした。翌日早朝に出て見れば、およそ馬に二駄ほどのマダの皮があって、もうその餠は見えなかったという。この話は今から二代前とかの出来事であったというが、今の代の主人のまだ若年の頃までは、毎年の約束の日に必ずマダの皮を持って来てくれたものであった。それがどうしたものかこの三十年ばかり、いくら餠を供えておいても、もうマダの皮は運ばれないことになったという。