一三〇 佐比内に太田館という丘がある。昔石田宗晴という殿様が住んでいたが、気仙から攻められて滅亡した。その時館の主は白毛の馬に乗ったまま、丘の下の丸井戸という沼にはいって死に、その甲につけていた千手観音も、共に沈んでこの沼の底に在ると伝えられる。日露戦争の時、この殿様の後《こう》裔《えい》という太田初吉が出征することになり、神仏に無事を祈願したところが、巫女《みこ》の言うにはこの丸井戸の中に、観音様と大黒天とが沈んでいるゆえ、それを掘り出してから出陣せよとのことであった。すなわち人々に助けられて沼跡を掘りかえしてみると、大黒天の方は見当たらなかったが、観音様は見つけ出した。きわめて小さな八分ばかりの御像であった。今の沢口の観音堂の御本尊がそれである。