一三八 遠野の町に宮という家がある。土地で最も古い家だと伝えられている。この家の元祖は今の気仙口を越えて、鮭《さけ》に乗ってはいって来たそうだが、その当時はまだ遠野郷は一円に広い湖水であったという。その鮭に乗って来た人は、今の物見山の岡続き、鶯《うぐいす》崎《ざき》という山《やま》端《ばた》に住んでいたと聞いている。その頃はこの鶯崎に二戸愛宕山に一戸、その他若干の穴居の人がいたばかりであったともいっている。この宮氏の元祖という人はある日山に猟に行ったところが、鹿の毛皮を著ているのを見て、大《おお》鷲《わし》がその襟《えり》首《くび》をつかんで、攫《さら》って空高く飛び揚がり、はるか南の国のとある川岸の大木の枝に羽を休めた。その隙に短刀をもって鷲を刺し殺し、鷲もろとも岩の上に落ちたが、そこは絶壁であってどうすることもできないので、下著の級《まだ》布《ぬの》を脱いで細く引き裂き、これに鷲の羽をない合わせて一筋の綱を作り、それに伝わって水際まで下りて行った。ところが流れが激しくてなんとしても渡ることができずにいると、折よく一群の鮭が上って来たので、その鮭の背に乗って川を渡り、ようやく家に帰ることができたと伝えられる。