一六九 佐々木君の知人岩城某という人の祖母は、若い頃遠野の侍勘下氏に乳母奉公に上っていた。ある晩夜更けてから御子に乳を上げようと思ってエチコの傍へ行くと、年ごろ三十前後に見える美しい女が、エチコの中の子供をつげつげと見守っていた。驚いて隣室に寝ていた主人夫婦を呼び起こしたが、その時には女の姿は消えて見えなかったという。この家では二、三代前の主人が下婢に通じて子供を産ませたことがあったが、本妻の嫉《しつ》妬《と》がはげしくて、その女はとうとう毒殺されてしまった。女にはその前から夫があったが、この男までも奥方から憎まれて、女房の代わりだからと言って無慈悲にこき使われたという。岩城君の祖母が見たのは、たぶん殺されたこの下婢が恨んで出て来た幽霊であろうと噂せられた。またある時などは、この人が雨戸を締めに行くと、戸袋の側に例の女が坐っていたこともあったそうである。