二五一 あだ名の類もまたはなはだ多い。法《ほ》螺《ら》を言うから某々法螺、片目であるから某々メッコ、跛だから某々ビッコ、テンボであるから某々テンボなどいう例は、この郷ではどこへ行っても普通である。新助爺という老人はヤラ節が巧みであったために、新助ヤラとばかりいって他の名を呼ばなかった。いたって眼が細い女をお菊イタコ、丈が人並はずれて低かったのでチンツク三平、その反対に背高であったから勘右衛門長《なが》、また痩せっぽちの男を打ち鳥に見立てて鉦打ち長太などという例もあった。盗みをしたためカギ五郎助、物言いがいつも泣き声なのでケエッコシ三五助、吃《ども》りであるからジッタ三次郎、赭《あか》ら顔が細いのでナンバンおこまなどと言った例の他に、体の特徴をとって、豆こ藤吉、ケエッペ福治、梟《ふくろう》留、大蛇留などともいった。歩き様をあだ名にしたものには、蟹《かに》熊《くま》、ビッタ手桶、カジカ太郎、狐おかん、お不動かつなどがあり、おかしかったのは腕を振って歩く小学校の先生を腕持ち先生、顔の小さな小柄の女先生を瓜《うり》子《こ》姫《ひめ》子《こ》などといった例のあったことである。