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落語特選39

时间: 2019-09-22    进入日语论坛
核心提示:夢金欲深き人の心と降る雪は積もるにつけて道を忘るる 冬の雪のある夜。山谷堀の船宿「吉田屋」。「婆さん、ひどく降ったようだ
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夢金

欲深き人の心と降る雪は
積もるにつけて道を忘るる
 冬の雪のある夜。山谷堀の船宿「吉田屋」——。
「婆さん、ひどく降ったようだな、雨とちがって雪というやつはどこともなく世間が深々《しんしん》とするものだ。どうだえ、寝ようじゃァねえか……」
「あァーあ、百両欲しいッ」
「あれっ、またはじめやがった。二階で熊蔵のやつ寝言《ねごと》を言ってやがる。……静かにしねえかっ」
「二百両欲しいっ」
「静かにしろッ」
「……五十両でもいい」
「ちえっ、寝言で返事をしてやがる。どうも呆れ返《けえ》ってものが言えねえ。欲ばったことばっかり言やァがる。婆さん、早く寝よう。表は締めたか? そうか。こんな雪の降った静かな晩に、百両だ、二百両だのって寝言を言ってやがると、そそっかしい泥棒が金勘定でもしているのと間違《まちげ》えて、飛び込んで来ねえとも限らねえ。早えとこ寝ちまおう」
表の戸をトントン叩いて、
「おいっ、ちょっと開けろ。おいッ、ちょっと開けんか」
「そーれ、婆さん、言わねえこっちゃァねえ。とうとう泥棒を呼び込んじまった。まァ待ちな、おれが断るから……ェェもしもし、お門《かど》違いではございませんか。てまえどもはごらんのとおりしがない船宿渡世でございまして、金なんぞはございません。この先にまだいくらでも金持ちがおりますから、どうぞ他家《ほか》様へお当たりを願いたいのでございますが」
「これこれ、戯《たわ》けたことを言うな。盗賊と間違えるな。さような怪しい者ではない。少々用事がある、ちょっと開けろ」
「……なぞとごまかして、開けたら有り金を出せ、とおっしゃっても無駄ですよ」
「不埒《ふらち》なことを言うな。船を一|艘《そう》頼みに参った者だ」
「へえ、お客様でございますか。これはこれは、とんだ失礼をいたしました。……じつは、二階で若い者が百両だ、二百両だと大きな声で寝言を言っておりまして、もしもそそっかしい泥棒にでも入られては大変だと思い、とんだ粗相をいたしました」
「早う開けんか」
「いえ、ただいまお開けいたします。少々お待ちを願いまして……」
亭主《あるじ》がそっと土間へ降りて、臆病窓《おくびようまど》から覗いて見ると、雪の中に侍が若い女を連れて軒下に立っていた。……戸を開けると、
「許せよ。いや、雪は豊年の貢《みつぎ》とは申しながら、こう降られては困る」
「さようでございます。少しならば雪もまことにきれいでよろしいんでございますが、こうどっさり降りましては、始末に困ります。さあ、どうぞ、こちらへお入りくださいまして……あッ、お嬢さまも、どうぞこちらへ早くお入りください。いえ、濡れますでございますから。あたくしがあとを締めますから……お婆さん、手焙《てあぶ》りに火をどっさり入れて持って来な」
亭主がこう言いながら侍の様子を見ると、年ごろは三十四、五になるか……色の浅黒い目のぎょろッとした、小鼻の開いた口の大きな……見るからに一癖ありそうな人相で、身装《なり》は柔らかもの(絹)だが、もう襟垢《えりあか》がべっとりついた、嘉平次平《かへいじひら》の袴も……襞《ひだ》のわからぬ破れ袴で、これへ黒羽二重《くろはぶたい》の紋付《もんつき》……羽織というと体裁がいいが、地のほうが赤くなり、紋のほうは黒くなっているので……赤羽二重の黒紋付という服装《こしらえ》で、破柄剥鞘《やれづかはげざや》の大小を落とし差しにして、素足に駒下駄を履いている。
連れの若い女は、年ごろは十六、七くらいか、色白の目元に愛嬌があり、鼻すじがとおって、口元の締まった、まことにいい器量で。頭髪《かむり》は文金の高島田、身装《みなり》は小紋|縮緬《ちりめん》の二枚重ね、黒縮緬の羽織、燃え立つような縮緬の蹴出《けだ》し、蝦夷錦《えぞにしき》の帯を締め、黒塗りの木履《ぽくり》を履いていて……侍とはまるで様子合いが違っている。
「じつはな、今日《こんにち》、拙者が妹を連れて浅草へ芝居見物に参ったところ、この大雪にあいなった。帰るに駕籠となると、二挺になってまことに面倒でいかん。いっそ船がよかろうと、これまで雪の中を歩いて参った。夜中《やちゆう》気の毒ではあるが、深川まで屋根船を仕立ててもらいたい」
「折角でございますが、この雪で、船頭がみんな出払っておりまして。へえ? いえいえ、船はございますが、肝心の漕ぎ手がございませんで。偶《たま》のこういう大雪でございますと、お客様もお駕籠よりも船のほうがよいというわけで、船頭がどこもございません」
「うーん、それは困ったな。船頭がおらぬか」
「百両ほしーいっ」
「おいおい、婆さん、おい、野郎起こしちまいな、騒々しいから……」
「二階にだれかおるのか? 船頭か……」
「いえ、あれはいけません。大変強欲なやつでございまして、万一、お客様に失礼があってはなりませんから……」
「いや、強欲な者はそのようにしてつかわせばよいのであるから、ちょっと様子を尋ねてくれんか」
「さようでございますが、もし粗相……へ、ェェただいま尋ねます……おい熊蔵……熊や」
「へ、へェ、はァふゥィ(目を覚まし)……あァあァ、いい心持に寝たかと思やァ、冗談じゃねえどうも……なんか親方ァ用ですかい?」
「これからなァ、深川まで行ってもらいたいというお客様があるんだが、屋根を一|艘《ぺえ》持って行ってはくれめえか」
「いやだいやだァ、この雪の中ァ深川くんだりまで持って行て、いくら貰えるんだ。えへッ、酒手《さかて》でも出なかった日にゃ目も当てられねえや。こういうときには仮病に限らあ……折角だがねえ親方、行けませんや。ェェこの雪で疝気《せんき》が起ったとみえて、どうも腰がみりみり[#「みりみり」に傍点]痛くって、それに足の筋が吊《つ》って、この塩梅じゃ櫓《ろ》につかまったところでとてもまんそく[#「まんそく」に傍点]には行かれません。済みません。断わっとくンないな」
「そうか、そりゃいけねえな……旦那、お聞きのとおり、野郎が少々加減が悪いと申しておりますので」
「いや、並《なみ》の晩ではない、かような雪の夜であるから、骨折り酒手は充分につかわすがどうじゃの」
「ェえ?……骨折り酒手は充分につかわす……ってやがったなァ。よォし……親方、ねえ親方ァ」
「なんだ?」
「ほかに船頭はねえんだろうねえ」
「それだからいま困ってるんだ」
「それじゃァ、無理をして行きゃあ、行けねえこともありませんけどもねえ」
「行ってくれるか?」
「えッへ、行ってもようがすけれども……そこがそのなん[#「なん」に傍点]で……」
「なにがそこだ?」
「そこが�魚心あれば水心�……�読みと歌�てえやつでねえ。�阿弥陀《あみだ》も金《かね》で光る世の中�……えへッ、金|次第《しでえ》……」
「なにをばかなことを言やァがるんだ。いいかげんにしろ。お客様のまえでそんなことを言うやつがあるか。並の晩じゃァねえ。こういう晩に乗るのだから、骨折り酒手は充分にくださるとおっしゃる」
「充分にくださる?……行くよ」
熊蔵は飛び起きて、たちまち支度をして、梯子段を蹴立《けだ》って降りてきた。
「へい、旦那、お供いたします」
「加減の悪いところを気の毒じゃのう……」
「いいえ、とんでもねえこって、酒手ということを伺ったんで……すっかりもうよくなりまして、旦那のまえですが、酒手は疝気の薬でがす」
「なにを言ってやがる、しょうがねえ。こういう失礼なやつでございますので、どうぞご勘弁を……」
「いやいや、なかなか面白いやつだ。それでは船頭、早場《はやば》にな」
「へい、よろしゅうございます」
これから河岸《かし》へ飛んで行って、業《わざ》は慣れているからすぐに船の準備も出来上がる……。
「へい、お待ちどおさまで……。あァ、姐《あね》さん、済みませんが河岸《かし》を見てあげておくんなさい。桟橋が凍っているので上《うわ》っすべりがして足が止まりません。……お嬢様は木履《ぽつくり》でござんすね。お転びなさるといけませんよ。下ァ凍ってますからこうしましょう。あっしの肩へおつかまンなすっておくンなさい。……へ、上からちょっと手を押えますがね、あっしの手は黒いけども、芯《しん》から黒いんですから、決して触って染まるようなこたァねえから、ご安心を願います。姐さん、提灯をもう少し下にさげておくんなさい。上のほうへ持って行かれると足元が見えません。もう少し下へ……え、そのくらいでよろしゅうございます。お嬢さましっかりつかまっていらっしゃい……なにもなさらねえとみえて、お柔《や》ァらかなお手々でござんすな、えへへ、いい匂いがぷんぷん……」
「なにを言っているんだよ」
「姐さん、叱言を言っちゃいけねえやね。ここらが船頭の役得じゃァねえかな。……桟橋ァ撓《しな》っても折れる気遣いはござんせんから、大丈夫で。あッ、船に乗るときに気をつけておくんなさい。頭のほうからうっかり乗ろうとすると、お頭《つむり》をぶつけるといけませんよ。大事《でえじ》な櫛《くし》をぽきっとやるといけませんから……全体、屋根船の乗りかたは難しいもので、屋根裏へ手をかけて、着物の裾《すそ》をちょいとはさんで、矢立の筆じゃァねえが、尻《けつ》のほうからすッと入《へえ》らなくちゃァいけねえ。山谷堀《ほり》の芸者衆なんざァ屋根船へ乗る稽古をするくれえのもんで……お素人《しろうと》のかたはなおさらでげす……よろしゅうがすか、中に炬燵《こたつ》が入《へえ》ってますから、それでお手を温《あつた》めていらっしゃい。旦那もようございますか……姐さん、この雪じゃァたまらねえや。帰《けえ》って来てちょっと一杯《いつぺえ》やりますが、親方に内緒で二合ばかりお頼ゥ申しますよ」
「あいよ」
熊蔵は蓑笠《みのかさ》を被《かぶ》り、水竿《みさお》を一本ぐいと張るときに、船宿の女将《おかみ》が舳《みよし》へ手をかけて、
「ご機嫌よろしゅう」
と、突き出すやつはなんの助足《たそく》にはならないが愛嬌のあるもので……。
船は山谷堀から隅田川へ出て、棹《さお》を櫓《ろ》に替えて漕《こ》ぎ出した。雪はますます激しく、綿をちぎってぶつけるようで、寒いの寒くないの……。
「おッそろしく……降って来やがったなァどうも。あァ……うう、うう、おう寒……小寒ときやがった……あァ、山から小僧が泣いて来るてえが……あァァ、小僧どころじゃねえや、こう降った日にゃァ大僧《おおぞう》が泣いてくら、こりゃ。あァあァたまらねえなァこりゃ、この雪の降る中ァ夜夜中《よるよなか》、船を漕がなくちゃなんねえとは何の因果だい。金という剽軽《ひようきん》ものが欲しいばっかりだ。稼業なら愚痴も言えねえ。こうして船を漕ぐやつがあるから乗るやつもあるんだ。乗るやつがあって漕ぐやつがあるんだ……いつまで行ったって果てしがねえ。�箱根山駕籠に乗る人担ぐ人、そのまた草鞋《わらじ》を作る人�てえからなァ……そのまた草鞋を拾って歩いているやつもあるんだ。上には上、下には下のあるもんだ。上ェ見ても下ァ見てもきり[#「きり」に傍点]がねえてえなァ、これだい、どうも……旦那、だいぶ降って来やしたな」
「おゥ、さようであるか……」
「けッ……なにを言ってやンでえ。『さようであるか』だってやがる、おさまるな畜生、ェえ? さようであるかッて面じゃァねえや、鏡と相談しろい。『(蟇《がま》の油売りの口調)あいあいさようでござい、あちらでも御用とおっしゃる』てな面ァしてやがって……あの旦那、提灯が暗くなりましたら、拳固で下からちょいと軽く叩いて頂くと、芯が落っこって明るくなりますが、ええ。あんまりひどくやりますと灯《あか》りが消えますから、ええ。軽く下からちょい、ちょいとやって頂くと……へ? えェえ、へへへへへへ、どういたしやして……あァあァ、こんなことまで酒手のうちに入《こも》っているんだい、冗談じゃァねえな。どっこいしょ、どっこいしょ……吾妻橋にもう近いてえのに、出すものがあるなら、早く出しゃァいいじゃァねえかなァ、いつまで暖《あつた》めといたってしょうがねえじゃァねえかなァ。こっちだって貰うものを貰っちまわなきゃ、きまりがつかねえやなァ。さっきは『酒手は充分につかわす』って、そ言ってやがったじゃねえか。つかわすもんならこの辺でつかわさなきゃ、つかわすとこァないよ、銭遣いを知らぬサンピンはこれだから困るよ。くれるものをくれると仕事に張り合いがあるが、そいつが出ねえと思うように力が入らねえ。いよいよ出ねえとなると、こっちだってほんとうに疝気が起こるよ。気のせいだか腰の骨が少しみりみり[#「みりみり」に傍点]いってきやがったよ。……旦那、ひどく寒うございますね」
「さようであるか」
「……大束《おおたば》な挨拶をしやァがるな、面白くもねえ。……おやおや、なんだい、女ァくたぶれたと見《め》えて、炬燵《こたつ》へ寄っかかって寝ちまいやがった。野郎、穴のあくほど見とれてやがる。さっき聞いたには妹だと言ったが、てめえの妹なら家にいて、欠伸《あくび》をした面も、べそをかいた面も、てえげえ見飽きていそうなもんじゃァねえか。珍しそうに見ているところを見ると、怪しいな、これァ。ふざけちゃァいけねえぜ、そんならそのように、こっちへ渡るもんせえ渡っていりゃいいじゃァねえか。唖にでも聾にでも盲目にもなんにでもなろうじゃァねえか。くれるものもくれねえで、戯《ふざ》けちゃァいけねえぜ。変なことをしやがると、船ェひっくり返《けえ》しちまうぞ、ほんとうに、船が穢《けが》れらい、冗談じゃねえ……�鷺《さぎ》を烏《からす》と言うたが無理か……�てなァ、�場合《ばやい》じゃ亭主を兄と言う�へへ……なにを言ったって感じねえや、畜生め。癪《しやく》にさわるから、ひとつ船を揺《ゆ》すぶって、女を起こしてやろうかなァ。そうすれば野郎と酒手の相談でも始めやがンだろう。『船頭もだいぶ疲れてきたようですが、あなた酒手はおつかわしになりましたか?』とくる。『まだやらないよ』『早くおやり遊ばせ』『このくらいじゃッ、どうだ』『それでは少ないから、もっと余計おやり遊ばせよ』かなんか……言うか言わねえかわからねえが……とにかく、女を起こさねえことにゃァ、仕事にならねえ。どうしやがったんだい、これだけ揺らして……目が覚めねえか、死んじまったんじゃねえんだろ!」
「船頭、これ、だいぶ船が揺れるな」
「ええ、揺れますよ。出るものが出ねえと、いつでもこのくれえっ揺れるんでござんすから……なんなら、ぐるぐる廻そうか」
「戯けたことをするな!……そのほうも疲れたであろう。これで一服せい」
「ご催促申して相済みません。……やっぱりねェ、頂くものは頂いちまわねえと……こっちも張り合いのねえ仕事てえものは、どうもはか[#「はか」に傍点]がいきませんで……へへへ、有難うござんす」
「こっちに来い」
「まことに相済みません……旦那、どちらに(きょろきょろ見廻しながら)……ございます」
「なにが?」
「これで一杯やれ、とおっしゃったのは、酒手じゃァないんで……」
「ふっ……粗忽なやつだ。一服せい……煙草を吸えと申したのだ」
「あ、煙草ですか……酒手じゃァねえんで、なんだ、へへへへ……あっしァまた酒手を頂くんだろうと思って礼を言ったんですが、えへへ、そうですか、煙草ですか」
「そのほう、煙草は喫《の》まんか」
「いえ、嫌《きれ》えってこたァありませんがねェ。お先煙草[#「お先煙草」に傍点]なら尻《けつ》から脂《やに》の出るほど吸いますが、手銭《てせん》じゃァむやみに吸いませんよ」
「そのほう、ずいぶん欲が深いの……」
「欲のほうじゃァ他人《ひと》に引けを取ったことァありませんでねえ、山谷堀《ほり》から吾妻橋へかけて船頭の熊蔵より欲の熊蔵といえば知らねえ者はねえぐれえなもんで」
「その欲の深いところを見込んで、拙者《せつしや》少々相談がある。金儲けだがどうだ、半口乗るか?」
「へッ? 金儲け……ええ、ええ、金儲けとくりゃァ半口どころじゃァねえ、丸口《まるくち》乗るよ」
「艫《とも》へ出ろ」
「え?」
「艫へ出ろ」
「ええ、ええ。どこへでも出ます……なんでげす?」
「あれに寝ておる女……」
「へえへえ」
「最前、身どもが妹と申したが、じつは偽《いつわ》りだ」
「へへへへ、そうでござんしょう、ええ。どうもご兄妹《きようでえ》にしちゃご様子が違うと思っておりました。(小指を出して)じゃお楽しみで……」
「戯けたことを申すな。さような者ではない……じつは最前、拙者、花川戸の河岸《かし》を通り合わした折に、雪の中で癪で苦しんでいる様子、介抱してやろうと、親切ごかしに懐中《ふところ》へ手を入れてみると、七、八十両、かれこれ百両足らずの大金を所持いたしておる。だんだん欺《だま》して様子を聞くと、本町辺のよほど物持ちの娘らしいが、店の者と不義を致し、そいつが如何さま両親に知れてその者が暇にあいなったらしい……。そのあと慕うて、彼女《きやつ》、有り金をさらって家出をなしたものとみえる。親の許さぬ不義いたずらをする不孝者、その場で殺《ばら》して金を巻き上げてやろうとは思ったが、行《ゆ》き来《き》の提灯《ちようちん》が妨げにあいなって思うように仕事もできん。よって相手の男のいる処へ連れて行ってやる、と欺《たば》かって、船へ連れ出した。よんどころなくこの船のうちでと考えたが、どうだ、この女を殺せばまとまった金が手に入る。そのほうにも相当に分配してやるから、人殺しの手伝いをしろ」
「じょ、じょ、じょ、冗談言っちゃァいけねえ。そんな、あたしァ、いくら欲が深くっても、人を殺してまで金を取ろうなんて、そんな太《ふて》え了見はねえんで……ただ、あっしのはむちゃくちゃに欲しいだけなんですから……」
「しからば、いやと言うのか」
「まっぴらご免くださいまし。どういたして、とんでもねえことでげす」
「いやとあらば是非がない。武士がいったん大事を明かした以上、口外されては露見の恐れだ。そのほうから殺《ばら》すから、覚悟をしろ」
「旦那、少し待っておくンなさい。じゃァ、なんですか、手伝わなきゃあっしが殺されるので?」
「いかにも……」
「落ち着いていちゃァいけねえ……手伝やァあっしに金ェくれるんですか……じゃァ、ま、待っとくンないよ。いま考えるから……殺されるよりゃァ殺して金ェもらったほうが割りがようがすから……やりますけど。うまくいったら、あっしにいくらくれるんです?」
「そのほう、なかなか欲張っているな。震えながら値を決めようとは、よい度胸だ。首尾よくまいらば二両つかわす」
「え?……二、二両? たった二両かい、おい、え? ただのリャンコかい? へッ、言うこたァ大束《おおたば》だが、するこたァしみったれで、太くて図々しいというのはおまはんのこッたァ。だれが二両ばかりの目腐《めくさ》れ金《がね》で笠の台[#「笠の台」に傍点]の飛ぶような危ないことができるもんか、冗談じゃァねえや。あっしゃ、こうやって震えていると思うだろうが、りょ……了見が違うんだ、ただ体躯《からだ》が細かに動いてるだけなんだから……まごまごしやがるってえと、川ン中へ飛び込んで、この船をひっくり返しちゃうぞ」
「これっ……船をひっくり返されてたまるか」
「おっ、この野郎、顔色が変わったところを見ると、さては、泳ぎを知らねえな……へへ、陸《おか》じゃそっちが強《つえ》えか知らねえが、水へ入《へえ》りゃこっちァ鵜《う》なんだ、まごまごしやがると引きずり込むぞ」
「これ……つけ込むな、それでは不足と言うか……」
「当たりめえじゃねえか、四分六とか、山分けとか言うんなら危ねえ橋も渡ろうじゃねえか、二両ばかりの端《はし》た金でだれがこんなことをするもんか」
「よし。しからばこういたそう、百両あったら五十両つかわすから手伝え」
「へ? じゃ、なんですか、や、山分けで、ほんとうに? おまはんがね、話がそんなに早くわかろうたァ知らねえから、嫌なことも言ったんです……ご勘弁をなすっておくんなさい。それじゃァ、早く……」
「なぜ手を出す……いま手を出してもない。あの女の懐中にある」
「いくらか手付け……を」
「ばかなことを言うな。武士に二言《にごん》はない」
「へッ、武士に二言はねえなんぞ、あんまり当てにゃァならねえや。あとで褒美をくりょう、金は延べ金……(首を切る形)すぽり、なんざ流行《はや》りませんぜ、旦那。ようがすかい? 大丈夫ですかい? で、どこで殺《や》るんです」
「幸い、この船で……」
「冗談言っちゃいけねえやな、血糊《ちのり》をつけた日にゃァ明日っから飯の食い上げだ。こうしやしょう、向こうに見えるのが両国橋ですから、あの橋間《はしま》を抜けて、一つ目の中洲へ船を着けますから、そこへ引っ張り上げて、そこで殺《や》っておしまいなさい、ね? 潮が上げて引くときにゃァ、沖へ死骸が流れるから足がつかなくて、こいつが一番ようがす」
「うんッ、よいところへ気がついた。急いでやれ」
「へ、よろしゅうがす」
熊蔵は、恐いのと欲と両方でせっせと船を中洲へ漕ぎ寄せる。侍のほうは襷《たすき》十字にあやなし、袴の股立《ももだち》を高々に取り上げて、腰の刀の栗形《くりがた》(鞘についている下緒《さげお》を通す金具)のところに手をかけて裏と表の目釘《めくぎ》を湿《しめ》し、舳端《みよしばな》へ立った。
「旦那、そこに立っていては舵《かじ》が重くっていけません。先ィ上がっとくンねえ。あっしァあとから女を引っ張り上げるから」
「よろしい」
雪明かりで河岸《かし》がよく見える。侍がひらりと中洲へ跳び上がる途端に、一つ目の河岸で、わッという人声、それに一瞬気を取られた隙に、熊蔵が棹を逆に返してぐいッと突くと、着きかかった船が二間ばかり岸を離れた。すぐに早具をかけて櫓とかわり、もと来たほうへ舵をぎィッと廻して……。
「ざまァみやがれっ、はは。いい塩梅《あんべえ》に跳び上がりゃァがって……間抜けめ、やーい、ばかァ」
「これ、船頭、船をどこへやる」
「どこへやろうと大きなお世話だ。おれの船をおれが勝手にやるんだ。てめえの指図をうけるかい。なにを言っていやァがる、擂粉木《すりこぎ》め、斬るの殴《は》るのと野戯《のだ》ァ言《こと》ォ吐《つ》きゃァがって、人間がそうぽかぽか斬られてたまるものか」
「おのれ、けしからん」
「なにを言ってやんでえ、けしからん、だってやがら。芥子《けし》が辛《から》くッたって、唐辛子《とんがらし》が甘くったって、おれのせいじゃァねえや畜生め。これからだんだん潮が上がってくらァ、なァ? てめえェ泳ぎを知らねえだろ。浮かぶとも沈むとも勝手にしろい、土左衛門|侍《ざむれえ》、ざまァみやがれ、ばかッ」
散々悪態をついて、船を間部《まなべ》河岸《がし》に着けて、娘に家を訊いてみると、本町一丁目のこれこれ[#「これこれ」に傍点]。……家では一人娘がいなくなったというので、八方手分けをして捜して……ごった返しているところへ、熊蔵が娘を連れ込んだから、両親は大喜び……。
「有難う存じます。あなたのようなかたがおいでくださればこそ、娘の危《あや》ういところを助かりました。あなたは娘の命の恩人でございます。なんともお礼の申し上げようもございませんで……、ひと口差し上げたいとは存じますがごらんの通り、もう取り散らしてございますので召し上がったところでお身になりますまい……で、いずれ明日、改めてお礼には伺いますから……どうした? うん、出来た……あァあァ、こっちィ出しな、ェェ、これは娘の助かりました身祝い、ほんのお酒手でございますので、どうかひとつ、お納めのほど……」
「冗談言っちゃァいけねえよ、旦那、そんな心配《しんぺえ》しなくったってようがすよ、ねえ、こっちも殺《や》られちまうところを共々にこうして助かったんですから……え? さいですか……へへへ、こんなことをされちゃァ困りますが……お嬢様の身祝いとあれば頂戴いたします」
と、旦那の目を盗んで、脚の間にはさみ、貰った奉書の紙包みをピリピリ破いて、中を見ると、ぴかりと光った小判が百両……。
「こいつは豪気だ。有難てえ。うゥん……百両ッ……うーんッ」
熊蔵は、金包みをぐうゥッと握り込め……あまりの痛さで目が覚めた。気が付くと船宿の二階で夢を見ていて、自分の睾丸《きん》をぎゅーっと握っていた……。
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