あっ、バッグがない。あの中には、宿題のノートも……。
夏休みの終わりごろ、学校の仲よしグループで一緒に旅行するのが毎年の行事になっていた。数は少なかったけれど、私にも同級生に仲よしの友だちはいた。その仲よしグループにそれぞれの母親が引率(いんそつ)するという小旅行で、母親同士も仲よしグループだった。
この旅行には、夏休みの宿題をお互いに見せ合い、写(うつ)し合うという、私たちにとって大事な目的もあった。
その年の行き先は、伊東(いとう)温泉(静岡県)のホテルサンハトヤだった。
夏休みの宿題の中に、休みの間、毎日一句ずつ俳句(はいく)をつくるというものがあった。四十日だから、全部で四十句。私にしてはめずらしく熱心に取り組んで、ほとんど完成していたが、いちおう、それまで書いたノートを持参することにした。
八月二十五日、集合場所は新宿駅。私と母は父の車で小田急(おだきゆう)線の代々木八幡(よよぎはちまん)駅まで送ってもらい、電車で新宿に向かった。ところが、一駅過ぎたところで、私のバッグがないことに気づいた。代々木八幡駅で座(すわ)ったホームのベンチに忘れてきてしまったのである。電車を待っている間にもほかのことを考えていて、乗り込むときには脇(わき)に置いたバッグのことなどすっかり忘れていた。空想好きと忘れ物は私の得意ワザ。
あわてて電車を降り、逆方向の電車で引き返したが、ベンチにはバッグの影(かげ)も形(かたち)もなかった。
「どうしよう、どうしよう。ねえ、ママ、どうしよう」
頭の中は真っ白、動転しておろおろするばかり。そのバッグの中には、お財布(さいふ)も入っていた。八月二十日の誕生日に父からお小遣(こづか)いをもらったばかりだったので、いつもの十倍近いお金が。でも、お金のことなんかより、宿題のことで頭がいっぱいだった。
だれかがお財布だけ抜き取ってあとは捨てていったかもしれないと、ワンワン泣きながらホームのゴミ箱まであさってみたが、とうとう見つからなかった。せっかくやった宿題が水の泡(あわ)。もう行楽(こうらく)どころではなく、最悪の旅行だった。
残りの五日間で必死になって俳句をひねったけれど、結局、十句しかつくることができないまま九月一日を迎(むか)えた。やむなく父に頼(たの)んで、紛失(ふんしつ)したことを証明する先生への手紙を書いてもらった。
「八月二十五日、小田急線代々木八幡駅のホームのベンチに宿題が入ったバッグを置き忘れ、紛失してしまいましたので……」
授業がはじまる前に職員室に行って、父が書いてくれた手紙を見せたときのM先生の言葉を、私はいまだに忘れることはできない。それも足を組み、ふんぞり返ってタバコをプカプカふかしながら、
「おまえは本当に卑怯者(ひきようもの)だな。親まで使って嘘(うそ)なんかつきやがって。どうせやってないんだろう。正直に言えよ、やってきませんでしたって」
私は思わずわが耳を疑った。あっけにとられて、弁解の言葉すら出てこなかった。出てくるのは、涙と鼻水ばかり。
まさか、そういう受け取り方をされるとは夢にも思っていなかったし、この先生ににらまれ、問いつめられたら、いくらそうではなくても、反論なんかできるものではない。
私は言葉より涙のほうが先に出るたちだった。なにも答えられず、涙と鼻水にまみれていると、
「やっぱり、宿題なんか最初からやらなかったんだな」
ネチネチしたいびりから、なかなか解放してもらえなかった。
同級生の中で、宿題を忘れたとか、なにかいたずらをしたとかで、この先生から私のような叱(しか)られ方をしたことがある生徒は、ほかにいなかった。
みんな全般的にお行儀(ぎようぎ)がよく、私は先生にとっては気に食わない目立ち方をしたかもしれないが、それにしたって……。私には、文字どおり、一生残る心のキズで、あのときのことを思い出すと、いまだに悔(くや)し涙をがまんすることができない。