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「みにくいあひるの子」だった私25

时间: 2019-09-22    进入日语论坛
核心提示:学習院の男の子を品定め毎朝、始業前の楽しみは、教室の窓から外を通る学習院(がくしゆういん)高等科の男子生徒の品定(しなさ
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学習院の男の子を品定め

毎朝、始業前の楽しみは、教室の窓から外を通る学習院(がくしゆういん)高等科の男子生徒の品定(しなさだ)め。
「ほら、見て見て、あの人、かっこいいね」
「あっちの人は?」
「えー、全然」
中学・高校の校舎は道路に面していて、二階が中学校。目白(めじろ)通りをはさんだ向かい側が学習院のキャンパス。こっちの窓は女子生徒の花ざかり。そんな見苦しいまねをするのはもちろん校則違反だけど、朝から大騒ぎ。学習院の学園祭に行くのも楽しみだった。
いくら校則でしばってみたところで、十代半(なか)ばのエネルギーを抑(おさ)えつけるなんて、とても無理な話。そのほうがよっぽど不自然だと思う。
“お嬢(じよう)さん校”として有名なその学校にも、複数のスケバン・グループのようなものがあったわけだし、生徒手帳の校則の端(はし)から端まできっちり守っていた生徒など、一人もいなかったはず。
学校が終わって帰るときなど、多くの生徒が目白駅のトイレで着替えたり、化粧(けしよう)をしたりしていた。そのまままっすぐ帰宅するはずはなく、みんなで新宿とか渋谷とかに遊びにいくことになる。
私は集団行動が苦手(にがて)だし、好きでもないから、そういうのには加わらなかったけど、ほかのみんなは下校時だけだったのに、私は朝、うちから化粧をして通学していた。このごろの中高生のような“ヤマンバ”ではなく、口紅(くちべに)なんかもごくマイルドなもの。自分のみにくい顔を少しでもやわらげるのが目的で、目立たなくするつもりでやっていた。
結果的には、学校で一人だけ口紅などをつけているものだから、よけいに目立ってしまったみたいだけれど。
朝、校門のところに竹刀(しない)を手にした男の先生が立っていて、登校してくる生徒を一人ずつ検査していた。スカートが短いとか、その髪はなんだとか、さらにはカバンの中身までチェック。私はよくそれにひっかかっていた。
私は校則の詳(くわ)しい内容もほとんど知らず(興味(きようみ)がない)、完全に無視して、自分のセンス(あるいは母のセンス)で服装や髪型などを決め、持ち物も自分なりに工夫(くふう)して通学していた。それは幼稚園のころからしていたことで、だれに迷惑(めいわく)をかけるわけでもないから、悪いことだという意識もなかった。
それほど規則がうるさかったけれども、不思議(ふしぎ)と退学させられる生徒はいなかった。退学者を出すと評判が悪くなる、ということだったのだろう。そのかわり、ちょっとした校則違反でも、たとえば、ポケットの中にアメ玉一個入っていても、親が呼び出しをくらい、始末書(しまつしよ)を提出させられることになる。
母には、規則に違反することを極度(きよくど)に嫌(きら)うところがある。それがいいとか悪いとかではなく、規則なんだから守らなければならない、という考え方。いかに自由を規制し、個性を殺してしまうような校則でも、私がそれに違反して親が呼び出しを受けたときなど、母はとても強く怒(おこ)った。
その母ですら、学校側に文句(もんく)を言ったことがあった。
中学二年生のころ、キョンキョン(小泉(こいずみ)今日(きよう)子(こ)さん)の影響(えいきよう)かなにかで、ベリーショートの髪がはやったことがあった。私は真似(まね)をして切ってみた。もちろん学校では禁止。当然、校則違反で呼び出し。このときは母も黙(だま)って引き下がることなく、
「三(み)つ編(あ)みよりショートカットのほうがよっぽど清潔でしょう。あなたがたは生徒が清潔ではいけないというんですか」
母は、呼び出しがあってもめったに学校に行こうとせず、かわりに父が行くことが多かった。父は仕事が不規則だから、「明日、学校に来るように」と言われても、都合(つごう)がつかないこともある。そんなときは、
「ぼく、ちょっと明日はだめなんで、明後日(あさつて)にしてください」
学校に断(ことわ)りの電話を入れていた。
呼び出しを受けたことで、父からきつく叱(しか)られたという記憶(きおく)はほとんどない。学校の規則には反していても、外に出たら、非常識どころか、ごくふつうに通用することだから、父は叱らなかったのだと思う。
私が早弁(はやべん)をして呼び出されたときなど、先生と父との間でこんなやりとりがあったとか。
「おたくでは朝ごはんをきちんと食べさせていないんでしょうか」
「食べさせてますよ。あのねえ、先生、そうおっしゃるけど、十四や十五の育ちざかりに、食欲旺盛(おうせい)なのは当たり前でしょうが」
母もそうだったし、父もこのとおり。だから、教職員の間では、「子が子なら、親も親だ」と言われていたようだ。
学校をサボると、すぐに家に電話がいって、やはり親が呼び出されることになる。それでは父に迷惑をかけることになるから、学校嫌いの私もとりあえずは登校していた。そのかわり、しょっちゅう具合が悪いと嘘(うそ)をついて、保健室に行ったり、早退したりしていた。
登校拒否(きよひ)の人は、朝、本当に吐(は)き気(け)がしたり、おなかが痛くなったりするらしいけど、私のは嘘ばっかり。嘘でもつかなければ、やってられなかった。
中学二年、三年と進むにつれて、私の行動はひどくなっていった。学校のなにもかもおもしろくなくて、授業が終わったあとも、気のあった二、三人の仲間と、連日のように渋谷あたりをブラブラしていた。お酒を飲み出したのも、中学二年のときだった。
私は自分が本質的に勉強嫌いだとは思わない。私にとって、勉強に意欲がわくような環境じゃなかったんだと思う。ちょっと弁解がましくなるけど。
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