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「みにくいあひるの子」だった私75

时间: 2019-09-23    进入日语论坛
核心提示:飛躍のチャンス「梅宮(うめみや)アンナ、だれ、それ?」一連の騒動の中で痛感させられたのは、雑誌のモデルとして、ちょっとば
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 飛躍のチャンス

「梅宮(うめみや)アンナ、だれ、それ?」
一連の騒動の中で痛感させられたのは、雑誌のモデルとして、ちょっとばかり有名になったのなんて、広がりがほとんどないということ。
その雑誌を読んでいる人たちの間では、アイドルであったかもしれないけど、それはほんのかぎられた範囲(はんい)でのこと。早い話、中年以上の人にとっては、よくてもせいぜい「ああ、梅宮辰夫(うめみやたつお)の娘ね」。
記憶(きおく)をなくすまでお酒を飲んで、青山(あおやま)の歩道で寝てしまったことがある。飲んだのは友だちと一緒だったけど、いつのまにか私一人だけになっていて、だれかに揺(ゆ)り起こされて、気がついたら、路上で朝を迎(むか)えていた。
「きみ、大丈夫(だいじようぶ)か」
サラリーマン風の中年の人が心配そうにのぞきこんでいた。考えてみれば、あぶない話だけれど、そのときも私の素性(すじよう)はバレなかった。
それが、この騒動があってからは、どこに行っても指をさされるようになった。私にしたら、まさに人生の大転換。自分から望(のぞ)んでいたわけではないけれど、この騒動で私の名前が売れたのは、まぎれもない事実。
芸能リポーターや週刊誌の記者の人たちとの付き合いも、初めてのことだった。かたくなに距離をおいていたころは、一方的に悪く言われるばかりだったけど、毎日のように追いかけまわされているうちに、私もだんだんと慣(な)れてきて、少しずつ話をするようになる。向こうもこちらの知らなかった一面に気づいてくれるようになり、お互いに理解しあえる。逆に仲よしになってしまった人もいる。
いま、雑誌のモデルばかりでなく、テレビ・ドラマやバラエティの仕事もするようになったし、大きなCMの仕事もくるようになったけど、それもこれも、彼との付き合いと、その後の騒動がなかったら、絶対にありえなかっただろう。
そう思うと、すごく不思議(ふしぎ)な気分になる。
雑誌のモデルは、あくまでもしゃべらないで表現する仕事。それが、しゃべるほうの現場からも声がかかるようになれば、表現方法にも幅が出る。私には苦手(にがて)の部分だけれど、その意味でも、私にとっては、人間として成長し、さらに飛躍するための大きなチャンスをもらったことになる。
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