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「みにくいあひるの子」だった私78

时间: 2019-09-23    进入日语论坛
核心提示:二回目の危機ほかのあひるたちは、飼いならされた家畜(かちく)の立場に満足していたけれど、つまはじきにされたみにくいあひる
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 二回目の危機

ほかのあひるたちは、飼いならされた家畜(かちく)の立場に満足していたけれど、つまはじきにされたみにくいあひるの子は、そんな現状にあきたらず、外の世界に飛び出していく。そして、いろいろな試練(しれん)の末、やっと本当の仲間である白鳥の群(む)れに戻(もど)ってくる。
わが家にも、やっと、もとの家族らしい会話が戻った。
そのあと、急にはふんぎりがつけられず、多少の揺(ゆ)り返しもあったけれど、最終的には、二〇〇〇年七月、名実(めいじつ)ともに両親のもとに戻ることになった。二十一歳で家を出てから、七年ぶりの里帰りということになる。
もとの家には私の部屋はないから、完全な同居(どうきよ)というわけではない。偶然(ぐうぜん)、両親のマンションの部屋の隣(となり)が引っ越したので、私がそこに移り住んだというわけ。
小学校一年生のとき、そのマンションに引っ越して以来、その部屋に住むのが私の希望だった。いつか独立することになっても、あまり遠くに離ればなれになってしまうのは寂(さび)しい。よく、スープが冷(さ)めない距離というけど、これほどいい場所はないと思っていた。
「今度、お隣さんが引っ越すことになったの」
五年間の同棲(どうせい)生活にピリオドを打ったあと、二年間、目黒区のマンションで独(ひと)り暮(ぐ)らしをしていたけれど、母からその話を聞いたときは、私は迷(まよ)うことなく飛びついた。
家を離れても、両親とは頻繁(ひんぱん)に会っていた。でも、一緒にごはんを食べていても、家族らしい会話はほとんどなかった。昔(むかし)は、うれしいこと、楽しいことをあんなに語り合ったのに、私の口から出るのは泣きごとばかり。彼の前では口にできないグチを、両親にぶつけていただけ。
両親もそんな話にはあきあきしているから、
「だからやめとけと言ったじゃないか」
当たり前だけど、相談にのるという態度ではない。私が、口は開けていても、耳をふさいでいたのだから、お話にならない。とくに母は、楽しいことが大好き、悲しい話、苦しい話、とりわけ泣きごとが大嫌(だいきら)いなたちで、一刀両断(いつとうりようだん)、
「そんなにピーピー泣くんなら、やめちゃえばいいでしょ!」
たしかにやめるのは簡単。でも、やめたら自分の負けを認めたことになると、井の中のカワズは精いっぱい突っぱっていた。
中学卒業を前にして、私が高校には進まないと宣言したときを第一回目とすると、このころは、わが家における二回目のファミリー崩壊(ほうかい)の危機。
愛情の問題、男と女の問題について、両親とお互いに耳を傾(かたむ)け合い、真剣に話し合うようになったのは、彼と別れたあと。二十一歳から二十六歳という、もっとも必要な時期に、私はもっとも身近な相談相手を見失(みうしな)っていた。自分から殻(から)を閉ざしていた。
この五年間は、父にしてみたら、「する必要のない経験だった」ということになるけれど、いまさらそんなことを言ってもしようがない。もうあんなことは二度とないだろう。それだけでも、私には大切な体験。
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