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ムッソリーニの処刑13

时间: 2019-11-21    进入日语论坛
核心提示: その頃、エッダは父に手紙をしたためていた(注1)。「ドゥチェへ今日まで私に多少なりとも人間的な気持を示してくれるものと
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 その頃、エッダは父に手紙をしたためていた(注1)。
「ドゥチェへ
今日まで私に多少なりとも人間的な気持を示してくれるものと、お待ちしていました。いまもそうです。
でももしガレアッツォが、私と一緒にスイスに行けないようでしたら、私が知っていることと、それを立証するすべてを暴露するつもりです。もし逆の場合、私達が静かに安全に出国できたら、二度とそうしたことは言わないつもりです。
                                                             エッダ・チアーノ」
 エッダはこの手紙を父に渡すと、チアーノの日記を体にしっかりと結びつけ、スイスに向った。この日記は『DIARIO 1937-1943』のタイトルで戦後、イタリアの有力出版社リッツォーリ社から刊行されることになる。
 翌十日。鉛色の雲がたれこめ、冷い空気が肌を刺した。ヴェッキーニ裁判長が長々と判決文を読み続けた。
「……七月二十五日未明の投票はあくまでも熟慮の結果に基づくものであり、単なる見解ではなかった。それはファシズムとドゥチェの排除、同時に和平と降伏を望んだものであった。被告らは反逆、利敵、国家の独立への侵害という重大な罪を犯したと断ぜざるを得ない……。よって、ここにいるチアーノ、デ・ボーノ、マリネッリ、パレスキ、ゴッタルディの五人はイタリア式による銃殺刑、チアネッティは懲役三十年。欠席裁判の十三人も銃殺刑……」
チアネッティは賛成票を撤回したことで死刑を免れたのである。銃殺刑を言い渡された被告らは一瞬、彫像に化したかのように見えた。マリネッリだけが一人とまどっていた。耳が遠かったため、聞き取れなかったのである。隣のチアーノに尋ねた。
「どうなったんだ?」
チアーノが大声で伝えてやった。チアネッティを指しながら——。
「あいつだけ助かった。われわれは皆、終りだ」
こう言うと、右手で十字を切った。マリネッリはヘナヘナと倒れるように椅子に座った。
午後一時四十分であった。
イタリア式銃殺刑というのは、椅子の背もたれに胸の前を着けて両股を開いて座らせ、両手を背もたれに縛りつけ、背後から銃殺する方法である。戦時下の犯罪人に対する極刑であった。判決ははじめから予測された通りのものであった。
 ムッソリーニはガルニャーノの執務室で、どのような判決が下されるのかと待機していた。ヴェローナとの連絡に当っていた秘書から午後二時前、判決の内容を聞くとつぶやいた。
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