▼大司教館での会談
「ムッソリーニは(四五年)四月、ミラノの一実業家を通じて解放委員会幹部に接近しようとしていた。解放委員会はこれを受けて協議ののち、シューステル枢機卿を通じてムッソリーニに一通のメッセージを送った。メッセージはムッソリーニが解放委員会に降伏し、捕虜として連合軍の到着を待つとの内容であった。
四月二十五日午後、ムッソリーニは大司教館で解放委員会のキリスト教民主党代表アキーレ・マラッツァ、パルティザン軍指揮官らと会談したいと申し入れてきた。
午後六時十五分に大司教館に入ったマラッツァとカドルナの二人は、ムッソリーニと会ってすぐ無条件降伏を決意していると確信していた。
しかし会談が進むにつれ、ムッソリーニは意味のない条件を持ち出した。解放委員会側は全面拒否した。このためムッソリーニはドイツ軍とも協議し、そのあとで再び会談したいと言った。それも断られると、一時間後に再会を約束して帰ったが二度と現われなかった。シューステル枢機卿が午後八時半に県庁に電話すると、ムッソリーニはすでに県庁から出発したあとであった。
マラッツァによれば、ムッソリーニは始めは間違いなく降伏する気持になっていたという。しかしそのうちに心変りしたとし、その理由として次を挙げた。
前のミラノ県知事であるファシストが、ムッソリーニが帰ったあと、ムッソリーニ直属のファシスト軍団の降伏提案を持参してきた。その時、解放委員会の社会党代表であるサンドロ・ペルティーニが部屋に入ってきた。厳格な人柄の彼は、ムッソリーニがこんど来たら即時、国民裁判で起訴すべきだと重ね重ね強調した。
この時点で、前知事は帰って行った。マラッツァはこの前知事がムッソリーニに、ペルティーニの発言を報告したと考えた。その証拠に、ムッソリーニはそのあと急遽、コモ方面に向けて出発した。
一方、別の責任ある証言によると、解放委員会首脳の蜂起委員アルペザーニ(自由党)、マラッツァ、ペルティーニ、セレーニ、ヴァリアーニが一斉蜂起の二十五日午前、サレジオ会寄宿舎でムッソリーニらファシスト党首脳の死刑を決定した。その席上、マラッツァの許にムッソリーニからの会見申し入れが届いた。このため、改めて話し合った結果、死刑の決定は取止め、ムッソリーニが降伏して来たら、蜂起委員会の別のメンバーであるその日に任命された新県知事リッカルド・ロンバルディと財務警察のアルフレード・メルジェーリ大佐の二人が統帥を逮捕し、連合軍に引き渡すまで拘禁するという意見でまとまったと、マラッツァは回想している。しかしこれについて、マラッツァ以外のメンバーは、そのような一致はなく、ムッソリーニの死刑は既定の路線だったと主張している」
四月二十五日午後、ムッソリーニは大司教館で解放委員会のキリスト教民主党代表アキーレ・マラッツァ、パルティザン軍指揮官らと会談したいと申し入れてきた。
午後六時十五分に大司教館に入ったマラッツァとカドルナの二人は、ムッソリーニと会ってすぐ無条件降伏を決意していると確信していた。
しかし会談が進むにつれ、ムッソリーニは意味のない条件を持ち出した。解放委員会側は全面拒否した。このためムッソリーニはドイツ軍とも協議し、そのあとで再び会談したいと言った。それも断られると、一時間後に再会を約束して帰ったが二度と現われなかった。シューステル枢機卿が午後八時半に県庁に電話すると、ムッソリーニはすでに県庁から出発したあとであった。
マラッツァによれば、ムッソリーニは始めは間違いなく降伏する気持になっていたという。しかしそのうちに心変りしたとし、その理由として次を挙げた。
前のミラノ県知事であるファシストが、ムッソリーニが帰ったあと、ムッソリーニ直属のファシスト軍団の降伏提案を持参してきた。その時、解放委員会の社会党代表であるサンドロ・ペルティーニが部屋に入ってきた。厳格な人柄の彼は、ムッソリーニがこんど来たら即時、国民裁判で起訴すべきだと重ね重ね強調した。
この時点で、前知事は帰って行った。マラッツァはこの前知事がムッソリーニに、ペルティーニの発言を報告したと考えた。その証拠に、ムッソリーニはそのあと急遽、コモ方面に向けて出発した。
一方、別の責任ある証言によると、解放委員会首脳の蜂起委員アルペザーニ(自由党)、マラッツァ、ペルティーニ、セレーニ、ヴァリアーニが一斉蜂起の二十五日午前、サレジオ会寄宿舎でムッソリーニらファシスト党首脳の死刑を決定した。その席上、マラッツァの許にムッソリーニからの会見申し入れが届いた。このため、改めて話し合った結果、死刑の決定は取止め、ムッソリーニが降伏して来たら、蜂起委員会の別のメンバーであるその日に任命された新県知事リッカルド・ロンバルディと財務警察のアルフレード・メルジェーリ大佐の二人が統帥を逮捕し、連合軍に引き渡すまで拘禁するという意見でまとまったと、マラッツァは回想している。しかしこれについて、マラッツァ以外のメンバーは、そのような一致はなく、ムッソリーニの死刑は既定の路線だったと主張している」