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ムッソリーニの処刑42

时间: 2019-11-21    进入日语论坛
核心提示:▼四月二十八日の経過「ムッソリーニらファシスト党幹部は二十七日午後、ドイツ軍と共に敗走中、ドンゴでパルティザンにより一斉
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▼四月二十八日の経過
「ムッソリーニらファシスト党幹部は二十七日午後、ドイツ軍と共に敗走中、ドンゴでパルティザンにより一斉に逮捕された。武器は携行していたものの、全員がほぼ無抵抗でパルティザンに拘禁された。ムッソリーニとクラレッタ・ペタッチはその後、パルティザンにより惨殺されたが、これに関連して次の件は留意されるべきである。
二十七日夜、ムッソリーニの逮捕がミラノの解放委員会に報告されると、ヴァレリオとソラーリ両名は、財務警察大佐メルジェーリに対し、ムッソリーニを連れ帰るため解放委員会の名による派遣方を要請した。このあたりは不明瞭であるが、このあとヴァレリオは出発した。出発に当りヴァレリオはメルジェーリに〈ムッソリーニに逃げられようと、またムッソリーニが殺されても、誰もわれわれを非難、叱責することはできないことは分っているでしょうね〉と、念を押して行ったという」
 チャールズ報告は、チャーチルから要請を受けて、一ヵ月後の六月十三日付でロンドンに送付されている。
チャーチルがこの報告に満足したかどうかは不明だが、チャールズ報告は以上を総括して、さらに次の諸点を挙げている。
一、ムッソリーニは四月二十五日の段階で「降伏」を決意していたことはほぼ確実であった。しかし翻意して北に逃走した理由は前記「ペルティーニ発言」が大きな要因だったとみられる。同時に一部パルティザン(ヴァレリオ)にムッソリーニ処刑を決意させたのも、この「ペルティーニ発言」であろう。
一、ヴァレリオは自ら“志願”して北に向ったもので、明確な命令や指示によったものではなかった。しかも北に向う前に“殺害”を示唆していたことは重要である。
一、ミラノの国民解放委員会首脳部はあらゆる面で政策の一致を欠いていた。単に反ファシズム諸政党の寄り合い世帯に過ぎず、命令系統は混乱していた。
一、マラッツァは「降伏後のムッソリーニの逮捕を執行管理するのはメルジェーリ財務警察大佐であった」と述べていた。しかし他の解放委員会首脳は、財務警察が逮捕したら身柄が連合軍に引き渡されるのではないかと強い懸念を抱いていた。ところがドンゴのパルティザンからミラノの解放委員会に「ムッソリーニを逮捕し、財務警察舎屋に拘禁中」との連絡が入った。これで誰もがムッソリーニを財務警察が管理しているものと受け取り、処刑やむなしの空気を生んだ。
 バンディーニは以上のようにチャールズ報告を紹介したあと、論文の最後で私見として「ペルティーニ発言」がムッソリーニ処刑を促す“引金”的作用を果したとし、「ムッソリーニの運命を決めたのはペルティーニであった」と述べている。
なおこの論文はペルティーニが八五年六月、大統領の七年の任期を終えるのを待って発表された。ペルティーニはこの論文につき、ノー・コメントだったと言われる。
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