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ムッソリーニの処刑52

时间: 2019-11-21    进入日语论坛
核心提示: あとがき「こんな戦争は止めてしまえ。国民が犠牲になるばかりだ!」と、イタリア軍参謀本部の若き将軍がイタリアの第二次大戦
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 あとがき

「こんな戦争は止めてしまえ。国民が犠牲になるばかりだ!」と、イタリア軍参謀本部の若き将軍がイタリアの第二次大戦からの離脱を実現させた大戦秘史を記述した私の前著『ムッソリーニを逮捕せよ』(一九八九年・新潮社刊、講談社文庫に所収)が、まったく思いがけず講談社ノンフィクション賞(第十二回)受賞の栄に浴したのは一九九〇年十月のことであった。
それから間もなく、当の講談社から「続篇を是非……」との依頼があった。続篇といえば当然、ファシストの統帥ベニト・ムッソリーニの処刑に到るイタリア現代史の中のもっとも凄絶な反ナチ・ファシズムのパルティザン戦争のことになる。これは前著と共に私の主要研究テーマであり、日本にはほとんど知られていないことだけに、これを次に書こうと早くから心に期していた仕事であった。幸いこうして生れたのが本書である。
第二部第八章にも触れたように、私は一九五六年の初夏、ムッソリーニが処刑された北伊コモ湖畔のジュリーノ・ディ・メッツェグラの現場を尋ね歩いた。そしてとうとう彼がパルティザンの銃弾を浴びて倒れ伏したその場所に立った。
「そうか、イタリアの戦後はここから始まったのだな!」、私は思わず言い知れぬ感動を覚えた。私の脳裏にはその時、ロベルト・ロッセリーニ監督のネオリアリズム映画「戦火のかなた」や「無防備都市」などでしか知らないイタリアの反ナチ・パルティザン達の姿がよぎっていった。あの第二次大戦中、日本にはついぞ現われることのなかったパルティザン達である。イタリアのそれら戦士達はナチ・ファシズムと戦い、遂にその手でナチ・ファシズムを打倒したのである。「これは日本とイタリアの文化の違いを知るためにも研究に値する。どうしても調べてみよう」と、その地で深く胸に刻んだのであった。
その時から早いもので三十五年が過ぎた。その間、私はたびたびイタリア暮しを重ねて当時のことを調べていたが、一九八〇年代にはムッソリーニ生誕百年、休戦四十周年、ナチ・ファシズムからの解放四十周年などが相次ぎ、当時の事実の発掘や研究もあらかた出揃った。私は幸いその頃、イタリアに暮していたため、イタリアの現代史研究者達と取材や史料収集に当る機会に恵まれた。それ以前にもすでに多くの人に会い、元パルティザンだった人達からも話を聞き、街や村も歩き回った。そうした歳月のメモ帖やノートを基に書き綴ったのが本書である。
私の手のとどかなかった部分についてはイタリアの知人の研究者からも教えを請うた。あくまでも具体的に、事実を基礎として、あの時代のイタリアを総括的に描くことに努めたつもりである。日本における基礎研究、ひいては日本とイタリアの文化、社会の相違、さらには日本をみつめるための一助ともなれば幸いである。
しかし書き終えたいま、あまりにも血なまぐさい事例を書き過ぎたのでは——と気になった。だがあの一九四三年から四五年にかけては、それこそがイタリアの現実そのものであった。日本が体験もしなかった壮絶な内戦の悲劇の中で、当時のイタリア国民はナチ・ファシズムの恐怖と日常化した殺戮と戦う日々を送っていた。そうした試練の歴史の上に今日のイタリアがあるのである。
このイタリアの反ナチ・パルティザン精神は、イタリアではいまもなお広く語り継がれている。それは現代イタリアの背骨となっていると言ってよい。だからと言って、私は手放しでパルティザンを賛美するわけではない。ナチ・ファシストの残酷さと同じように、パルティザン側にも行き過ぎがあったことは否めないからである。戦後、その点についても糾弾された事例は多く、刑に服した者もいることは、本書の中にも述べた通りである。
 本書を書くに当っては、実に多くの人々にお世話になった。イタリアでの取材対象者は数え切れないほどであった。嬉しかったのは、ムッソリーニ研究者のジャーナリストの一人フェルナンド・メゼッティ氏が、イタリアの有力紙ラ・スタンパの東京特派員として来日、本書執筆中の私の相談相手となってくれたことである。彼はムッソリーニの最期に関する一書(巻末主要文献参照)を著わしており、その著書はイタリアのファシズム史の書籍にも数多く引用されている。本書をまとめるに当っても、メゼッティ氏はその著書からの引用を快諾してくれた。そうした引用を許可して下さった内外の出版社、著者、当局者にここで感謝の意を表したい。
また日本国内でも、話をうかがったり資料提供を受けたりした、次の方々に厚く御礼申し上げたい。
石井彪、小野紀美子、金倉英一、佐々木凜一、清水三郎治、田澤美智子、野上素一、藤井歳雄、三澤晴子、光延トヨ、宮崎光子、山仲生子(五十音順・敬称略)。
一方、どうしても連絡のとれない方も二、三おられた。歳月の経過を思わせる。
そして本書の出来上りまで最初から最後まで御面倒いただいた講談社学芸図書第二出版部の松岡淳一郎氏、ならびに菅紘氏にも心から御礼申し上げる
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