□志貴の部屋
そうだな、どうせ暇を持て余しているのなら翡翠の手伝いをする事にしよう。
さて、この時間だと翡翠は屋敷の掃除をしていると思うけど———
さて、この時間だと翡翠は屋敷の掃除をしていると思うけど———
□遠野家1階ロビー
□屋敷の廊下
□遠野家のキッチン
——————いた。
おそらく屋敷の中でもっとも不釣り合いな場所で、翡翠は黙々と何かをやっていた。
□遠野家のキッチン
——————いた。
おそらく屋敷の中でもっとも不釣り合いな場所で、翡翠は黙々と何かをやっていた。
「お邪魔するよー」
コンコン、と壁を叩いて呼びかける。
「ひゃ——————!?」
と。びくん、と背中を震わせた後、恐る恐る翡翠は振りかえる。
コンコン、と壁を叩いて呼びかける。
「ひゃ——————!?」
と。びくん、と背中を震わせた後、恐る恐る翡翠は振りかえる。
【翡翠】
「志、志貴さま……!? あ、あの、何かご用なのでしょうか……?」
「いや、暇だから翡翠の手伝いでもしようかなって。で、翡翠はここで何してるんだ?」
「いや、暇だから翡翠の手伝いでもしようかなって。で、翡翠はここで何してるんだ?」
【翡翠】
「……志貴さまにお話しするほどの事ではありません。
志貴さま。お気遣いは嬉しいのですが、どうかお部屋にお戻りください。志貴さまは遠野家のご長男なのですから、無闇にこのような場所に来られてはこまります」
スッ、とさりげなく背後の何かを隠す翡翠。
……気になる。すごく、気になる。
志貴さま。お気遣いは嬉しいのですが、どうかお部屋にお戻りください。志貴さまは遠野家のご長男なのですから、無闇にこのような場所に来られてはこまります」
スッ、とさりげなく背後の何かを隠す翡翠。
……気になる。すごく、気になる。
「そうか、分かった。翡翠がそう言うんなら大人しく部屋に戻るけど、その前に———」
【翡翠】
「お断りします。どうかこのまま、余所見などせずにまっすぐにお戻りください」
ススッとさらに巧みにこちらの視線を阻む翡翠。
「…………けち。何してるのか見せてくれてもいいじゃんか」
「————————」
翡翠は無言でこちらを牽制している。こうなるとどうやっても言い含める事はできないだろう。
ススッとさらに巧みにこちらの視線を阻む翡翠。
「…………けち。何してるのか見せてくれてもいいじゃんか」
「————————」
翡翠は無言でこちらを牽制している。こうなるとどうやっても言い含める事はできないだろう。
「わかった、それじゃ部屋に戻るよ。夕食になったら呼んでくれ」
【翡翠】
「かしこまりました。それでは、夕食までごゆっくりお休みください」
ぺこり、とお辞儀をする翡翠。ちゃんすだ。
ぺこり、とお辞儀をする翡翠。ちゃんすだ。
「ひょい」
いえーい、とばかりに体をズラして翡翠の背後を覗き見る。
【翡翠】
「あ———————!」
時すでに遅い。
きっかりばっちり、まな板の上に乗ったお魚さんを発見した。
時すでに遅い。
きっかりばっちり、まな板の上に乗ったお魚さんを発見した。
【翡翠】
「ど、どうしてそう大人しくなさってくださらないのですか志貴さまは……! 嘘をつかれるなんてひどいです……!」
よっぽどショックだったのか、翡翠はむーっと眉をひそめて見つめてくる。
「う———————」
ちょっと反省。まさかここまで嫌がられるとは思わなかった。
「いや、つい。隠されると見たくなるのが人情というものなのです」
ごめんなさい、と両手をあげて降伏宣言をする。
よっぽどショックだったのか、翡翠はむーっと眉をひそめて見つめてくる。
「う———————」
ちょっと反省。まさかここまで嫌がられるとは思わなかった。
「いや、つい。隠されると見たくなるのが人情というものなのです」
ごめんなさい、と両手をあげて降伏宣言をする。
「けど別に隠すほどのコトじゃないじゃないか。ここは台所なんだし、料理するのは当然だと思うけど」
【翡翠】
「はあ……それは、そうなのですが」
「だろ。俺だってたまに夜食作りに来るし、今この屋敷で使える台所ってここだけだし……って、あれ? なに、もしかして今日の夕食は翡翠が作ってくれるとか!?」
不安半分喜び半分で声をあげる。
「だろ。俺だってたまに夜食作りに来るし、今この屋敷で使える台所ってここだけだし……って、あれ? なに、もしかして今日の夕食は翡翠が作ってくれるとか!?」
不安半分喜び半分で声をあげる。
【翡翠】
……と。まずい、翡翠が本気で困ってる。
「あ、いや———そんなことないよな。食事当番は琥珀さんだし、翡翠は屋敷の管理が仕事だもんな! 適材適所っていうの? 翡翠は他に得意なコトがあるんだから料理なんて別にどうでもいいか!」
あはは、と笑って誤魔化す。
あはは、と笑って誤魔化す。
【翡翠】
「……はい。魚一つ満足に調理できないようでは、使用人として調理場に立つわけにはまいりません」
ずーん、と翡翠の背中に見えない重しが積まれていく。
ずーん、と翡翠の背中に見えない重しが積まれていく。
「あー……いや、魚をサバくのって結構難しいし、別にそこまで悲観するコトはないんじゃないかな、とか」
「————————」
う、なんか根が深そうだ。もしかして今日一日、ずっと翡翠はお魚と格闘していたのかもしれない。
「————————」
う、なんか根が深そうだ。もしかして今日一日、ずっと翡翠はお魚と格闘していたのかもしれない。
「あのさ、どうしても出来ないんなら琥珀さんに教えてもらえばいいんじゃないか? 琥珀さんなら喜んで教えてくれるだろ」
【翡翠】
「いえ、その……もう十分に教えてもらっていますので、これ以上教える事はないらしい、です」
「—————————」
……そうか、翡翠も大変そうだけど、琥珀さんも苦労してるというワケか。
「—————————」
……そうか、翡翠も大変そうだけど、琥珀さんも苦労してるというワケか。
「———魚なんてコツを掴めばなんとかなるけどなあ。よし、その包丁ちょっとかしてもらえる?」
腕まくりをして、硬直した翡翠の横に立つ。
さて。それじゃあまあ、翡翠が見て解る程度にゆっくりとサバいてみますか。
□遠野家のキッチン
「——————」
はあ、と感心するように息を呑む翡翠。
まな板の上には骨と身に分かれた秋刀魚が数匹分。……バラすたびに翡翠が感動するものだから、つい調子にのってあるだけサバいてしまった。
「——————」
はあ、と感心するように息を呑む翡翠。
まな板の上には骨と身に分かれた秋刀魚が数匹分。……バラすたびに翡翠が感動するものだから、つい調子にのってあるだけサバいてしまった。
【翡翠】
「———志貴さま、すごく上手、です」
ほう、と嘆息しながらもパチパチと拍手をする翡翠。
まあ俺が得意なことって言ったら刃物の扱いぐらいだから、これぐらいならなんとかなるのだ。
ほう、と嘆息しながらもパチパチと拍手をする翡翠。
まあ俺が得意なことって言ったら刃物の扱いぐらいだから、これぐらいならなんとかなるのだ。
「はい、拍手ありがと。あ、でも俺だって料理はできないぜ。刃物の扱いとか解体するのは得意なんだけど、それ以外の事なんて知らないからさ」
「そうなのですか? わたしは逆に包丁をうまく扱えませんから、志貴さまが羨ましいです」
……うーん。もしかして翡翠、刃物とかそういうものがダメな人なのかもしれない。まあ、こればっかりは習うより慣れるしかないからなあ……。
「そうなのですか? わたしは逆に包丁をうまく扱えませんから、志貴さまが羨ましいです」
……うーん。もしかして翡翠、刃物とかそういうものがダメな人なのかもしれない。まあ、こればっかりは習うより慣れるしかないからなあ……。
「とりあえずこの包丁は止めたほうがいいんじゃないかな。俺には丁度いい大きさだけど翡翠には重いと思う。ほら、まずは果物ナイフでリンゴの皮剥きを練習してみるといいかもしれない」
「……はい。それでは、明日からは果物ナイフで練習いたします」
「あんまり無茶しない程度にな。そうだ、どうせ練習するなら秋葉も誘ってやってくれ。あいつにもリンゴの皮剥きぐらいやらせないと将来が不安で不安で仕方がない」
「……はい。それでは、明日からは果物ナイフで練習いたします」
「あんまり無茶しない程度にな。そうだ、どうせ練習するなら秋葉も誘ってやってくれ。あいつにもリンゴの皮剥きぐらいやらせないと将来が不安で不安で仕方がない」
はい、と使っていた包丁を翡翠に手渡す。
もちろん刃の部分を自分に向けて、握りの部分を翡翠に向けて。
「それじゃ部屋に戻るよ。また後でな、翡翠」
騒がせてすまなかった、と台所を後にする。
【翡翠】
「あ……お待ちください、志貴さま」
ん?と足を止めて振り返る。
ん?と足を止めて振り返る。
【翡翠】
「あの、つかぬ事をお訊きしますが、志貴さまはどのような料理がお好みなのですか……? ……その、初心者でも出来る程度の基準で答えていただけると助かるのですけど———」
「——————————」
もじもじとそんな質問をされて、参らない男はいないと思う。
「——————————」
もじもじとそんな質問をされて、参らない男はいないと思う。
“ははは、ぼかあ翡翠が作ってくれたものが好物なのさー!”
なんて返答をしたい衝動を抑えつつ、真面目に考えてみた。
「そうだな、雑炊とか好きだよ。梅そのものは嫌いなんだけど、梅の風味があると特に食べやすい」
なんて返答をしたい衝動を抑えつつ、真面目に考えてみた。
「そうだな、雑炊とか好きだよ。梅そのものは嫌いなんだけど、梅の風味があると特に食べやすい」
【翡翠】
「————はい、かしこまりました志貴さま。どれほど先になるかは判りませんが、精一杯努力させていただきます」
ぺこり、とお辞儀をする翡翠。
「あ………うん、待ってる」
そんな返答しかできず、台所を後にした。
□遠野家1階ロビー
「うふふふふふふ」
【琥珀】
—————と。
いつのまにか、人の後ろでそんな含み笑いをこぼす家政婦さんが一人。
「な、なんですか琥珀さん。後ろに忍び寄ってくるなんて趣味が悪いですよ」
「ふふ、うふふ、うふふふふふふふ!」
琥珀さんは笑いながら、ぱんぱんと人の肩を殴打する。
あ。なんか、イヤな予感。
—————と。
いつのまにか、人の後ろでそんな含み笑いをこぼす家政婦さんが一人。
「な、なんですか琥珀さん。後ろに忍び寄ってくるなんて趣味が悪いですよ」
「ふふ、うふふ、うふふふふふふふ!」
琥珀さんは笑いながら、ぱんぱんと人の肩を殴打する。
あ。なんか、イヤな予感。
「……あの。もしかして、見てました?」
【琥珀】
「はい、一部始終しっかりと見届けさせていただきました」
最後にハートマークがつきそうなぐらい嬉しそうな声だ。
……不覚。そういえば台所ってドアがないから、そりゃあ覗き見なんて簡単だった。
「琥珀さん。秋葉には、ないしょです」
「あははー、それは約束しかねますねー」
今度は最後に音符がつきそうなぐらい、琥珀さんの声は弾んでいる。
「はい、一部始終しっかりと見届けさせていただきました」
最後にハートマークがつきそうなぐらい嬉しそうな声だ。
……不覚。そういえば台所ってドアがないから、そりゃあ覗き見なんて簡単だった。
「琥珀さん。秋葉には、ないしょです」
「あははー、それは約束しかねますねー」
今度は最後に音符がつきそうなぐらい、琥珀さんの声は弾んでいる。
「……あの。もしかして、怒ってません?」
「いえいえ。それではわたしは夕食の支度がありますから。志貴さんがサバいてくださったお魚を有効利用させていただきます」
「———琥珀さん。もしかしてそれを夕食の時のネタにするつもりじゃないでしょうね」
「やだもう、志貴さんったらサトリみたい。ふふ、今日の夕食は秋葉さまに喜んでいただけそうです」
「いえいえ。それではわたしは夕食の支度がありますから。志貴さんがサバいてくださったお魚を有効利用させていただきます」
「———琥珀さん。もしかしてそれを夕食の時のネタにするつもりじゃないでしょうね」
「やだもう、志貴さんったらサトリみたい。ふふ、今日の夕食は秋葉さまに喜んでいただけそうです」
「ちょっ、ちょっと琥珀さん……!」
止める声さえ間に合わない。
ローラーブレードでも標準装備なのか、ザザーと高速で台所へと消えていく琥珀さん。
———後に残ったのは、呆然と立ち尽くす自分と影法師だけだった。
「……そうか。段々あの人のこと解ってきたぞ……」
はあ、と重苦しいため息をこぼして、トボトボと自室へと戻っていった。
「……そうか。段々あの人のこと解ってきたぞ……」
はあ、と重苦しいため息をこぼして、トボトボと自室へと戻っていった。