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ぼくのコドモ時間09

时间: 2019-12-01    进入日语论坛
核心提示:じーっと見ているボクはコドモのころから、よく惚《ほう》けたように一つのものをジッと見てる、ようなところがありました。それ
(单词翻译:双击或拖选)
 じーっと見ている

ボクはコドモのころから、よく惚《ほう》けたように一つのものをジッと見てる、ようなところがありました。それも昆虫や草花の観察というような、それをずっと続けていれば学者になれるようなりっぱなもんではなく、どうも、どうしようもないようなものが多かった。
たとえば、床屋さんの看板、あのガラス管の中に赤と青の、アメン棒をとじこめてあって、それがクルクルクルクルクルクルクルクル回っているアレ。あのクルクルをジッと見ている。あの装置というのは、よく見てると不思議な感じのするもので、次から次に、あの赤白青の三色旗の帯のようなもんが、まるで湧いて出てくるように見えるんですね。で、次々に湧いて出てきたもんが上のほうへ行くとどういうわけか、どこへやら吸い込まれていってしまう。一方でどんどん湧いたものが一方でどんどん蒸発していくみたいに見えるんです。

もちろんコドモといっても、バカにしてはいけないんで、そのように見えるからといって、そうなってると思っているワケではないんです。電気が通っていなくてアメン棒が回っていないところもちゃんと見てますから、どうもあれは�そう見える�だけなんだ、というのは知っている。しかもあれは駄菓子屋さんの軒先につるしてある、ブリキのリボンをねじってある、アレとどうも似たようなしくみらしいというのにも気がついているんです。
しかし、気がついたからといって、見るのをやめないんですね。じっと見てるのは、そのしくみを知りたいからじゃない、もちろん最初はそれを知りたいとも思ったんでしょうが、見ていると、その�際限のないさま�がおもしろくなってしまうんでした。
湯呑茶わんも、同じことです。そのころウチにあった湯呑には中に勢いのいい渦巻きが描かれてあったんですが、空になったこの湯呑を畳の上で回すと、その渦巻きがクルクルとこちらに向かってくる、ように見える。止めて逆に回してみると、こんどはクルクルと畳のほうへ吸い込まれていく……ように見えるんです。それを見ている。茶わんをハンドルのようにクルクル回しながら、それをいつまでもやっている。ボクが親なら、ちょっと心配になってしまう。このコは、どっか足りないのではないか?
メリーミルクの缶を、じっと見ているところ、というのは、そういうことでは親に心配をかける気づかいはなかったですね。どうしてかというと、それが置かれてあったのは、完全個室の中だったからです。メリーミルクというのは、粉ミルクで、その缶のデザインがちょっと奇妙にできていたんですね、S字にカーブしている道があって、そこに青いワンピースを着た女の子が立っている。女の子の名前がおそらくメリーなんでしょう。で、その女の子は両手で大きな粉ミルクの缶をかかえているんですよ。ところがそのかかえてる粉ミルクの缶が、メリーミルクの缶なもんで、その中にまた、さらにメリーがいて、メリーミルクの缶をかかえている、ということは、そのメリーミルクの缶の中にメリーがいて、さらにメリーミルクの缶をかかえ、当然そこにはメリーがいて、しかもメリーミルクの缶をかかえている、というわけです。
昔は、便所のおとし紙というのは、新聞紙を切りそろえたものを使っていたもんですが、これをつまり、うちではその粉ミルクの缶の中につっこんであったわけでした。
「ノブヒロは便所が長いな、中でいったい何をしているんだ?」とオヤジがいぶかったとしても、大便の姿勢のままで、「紙」入れの缶を、じーっと見ている、ところまでは想像がつかなかったハズで、早く出なさい、と言えば出てくるワケで、まァ心配はかけないですんだ。
すんだけれども、ボクはともかく大便のたんびに、この際限のないメリーを追いかけていたというわけなんです。どんどん小さくなって、バイキンみたいに見えなくなってしまうメリーを想像して、見えなくなったところで、この缶をほんとに持っているメリーを想像すると、こんどはとてつもなく巨大なメリーを想像したりしていた。小さくなって見えなくなっても、大きくなって見わたせなくなっても、メリーが際限なくいることに違いはない、というのが、とても不思議で、最後は自発的に頭を振って、その想像を中止して出てくるんでした。
ところでボクは、こんなコドモのころの考えかたの外に立っているかというと、全然そうではないんで、このことを考え出せば、また、コドモの時と同じ時間に戻ってしまうんです。まだ勤めに出ているころですから、あれは十年くらい前だったでしょうか、十年前だから、ボクは三十歳のオトナです。
駅のプラットホームで電車を待っていると、レールに西日があたって、反射をしている。しばらくそれを見るともなしに見ていたんですが、じっと見ていると、太陽の形がハッキリ見えてきた。西日が反射するというのは、レールに太陽が映っているということなんだな、とアタリマエのことに気がついたんですね。で、ボクは横バイにちょっと立つ位置をズレて見たんです。そうすると、この位置からも太陽が一ヶ見える。もう少しズレるとそこにも太陽が一ヶある。
そうすると、あの三メートル先にいる、ハゲチャビンのおじさんも、レールに映る一ヶの太陽を見ているし、そのとなりのデブなおばさんも太陽一ヶを見ていることになる。ということはこのレール上にはそれを見る人の数だけ太陽があって、いや見る人が際限なくふえていけば、太陽の数は無数にふえていくことになる。
レールにすきまなくボタンを並べたように無数の太陽が映っているところ、無限に伸びているレールに、無限に置かれている小さな太陽、をボクは想像していたんですね。
ホームに電車が入ってきて、ボクはそれに乗り「社に戻る」気分になったところで、その想像はやめてしまった。ちょうど、家族に便所の明け渡しを求められた時のようなもんです。
結局のところ、コドモのボクもオトナのボクも、大もとの根っこのところの�考え�は、なんにも変わっていないようなんでした。
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