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ぼくのコドモ時間08

时间: 2019-12-01    进入日语论坛
核心提示:よいにおい 悪いにおいボクの奥さんは、ボクより十歳コドモですが、もちろんホントウのコドモではありません。なにしろボクはも
(单词翻译:双击或拖选)
よいにおい 悪いにおい

ボクの奥さんは、ボクより十歳コドモですが、もちろんホントウのコドモではありません。なにしろボクはもう四十歳のオジサンですから、奥さんも三十歳のオバサンなんですね。その上、オバサンはボクのすることを、時々、
「コドモォ!」と言ってバカにしたりするくらいで、まァ、ボクよりもずっとオトナなんですね。
しかし、ボクのほうで時々、奥さんがコドモに見える時があって、そういう時にボクは奥さんを尊敬したりするんでした。それはボクの好奇心が鈍磨してしまった方面で、特に感じるのは嗅覚に関する好奇心です。なんでもにおいを嗅いでみるんですね、それがくさいとわかっているもんでも嗅いでみる。
ボクは、においに関してひどく臆病ですね。ちょっとでも、いやなにおいは嗅ぎたくない、と思ってるみたいです。これはちょっとボクの主義に反してます。
「好奇心に鎖はつけない、できるかぎり幅広く受け入れる」
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ところが、どうも�悪臭�に関しては、ひどく心が狭い人になっている。本当のところはボクは心が狭くて、自分がいままで知りえていないことは、すべてを拒絶してしまう臆病者なのじゃないか? と思えて、我ながらガックリしてしまうんでした。
コドモのころは、うすみどりのキレイなクサカゲロウを見つけてつかまえると、あとで手がとってもクサくなっちゃうのを知ってても、やっぱりつかまえて、しかもそのくさいのを嗅いだりしたもんでした。
冬の陽射しが、畳にたまっているのを見つけて、半ズボンにはきかえると、そこでじっと膝をかかえている。冬の間ずっと外気に触れていなかったその膝小僧のかすかなにおいを、さぐるように嗅いでいるなんてこともあった。
悪臭は悪いにおいだ、だから悪臭は嗅がないっていう考えを、ごくあたりまえだと思っているのは、情けないな、と、ボクは思っているんです。どうしてこんなことになっちゃったのかな? と考えて、あるいはアレが? と思い出したことがある。このことはなるべくなかったこととして、忘れたいと思っていたことで、だからあんまり書きたくないことだったんですが、なりゆきでしかたがない。
実は、小学校の二年生の時のことですが、ボクは授業中に「うんこしに行っていいですか?」と言えずに、とうとうガマンできずにズボンの中に、うんこをしてしまったことがあるんです。
みなさんご承知のように、うんこというものは、たいへんくさいですから、すぐにわかる。これが|おなら《ヽヽヽ》なら、出たあとにフワフワと移動をするものですから、すましているうちに犯人が迷宮入りになることもありますが、うんこというのはそうはいきません。そのままじっとそこに居を構えてしまいますから、誰のところから、くさいにおいが発生しているのか、はっきりしてしまうんですね。
「うッ!? くっせえ〜〜」と誰かが言い出します、で、みんながガヤガヤ、くさがり出します。ちょうど警察犬が四方八方から、ワンワン吠えながら、追いつめてくるみたいに、ガヤガヤするわけです。そうして、
「せんせい! 南くんがうんこもらしましたァ」というふうに、公式発表がなされてしまうんでした。
授業時間が終わると、便所へ行って、よごれたパンツはぬぎ捨てて、体を洗ってズボンを洗って、みんなのいる教室に戻ってくる。洗ってぬれたズボンをかわかさなくちゃいけないんで、きっとストーブのそばに行って、お尻を向けていたんだと思います。
「あー、くっせえなァ、あっちいけよォ」というような、正直な感想を、コドモというのは遠慮なく表明するもんです。少しは遠慮する気持もあるんだけど、なにしろ正直な気持ですから、ダレカが言ってしまえば、みんなもう、とめどなく正直になっちゃうんですね、みんなではやしたてるようなことになる。
「やめなさいよ! かわいそうでしょ!!」とその時、ちょっとお姉さんぽい声で、おこった女のコがいます。その一声で、男のコたちはまたもとの、遠慮する気持が呼びさまされたのでしょう、「しん」としてしまうんでした。
ボクは、この時の助け舟が、よほどうれしかった。そうして、そのやさしい女のコが大好きになったんですね、自宅のくもりガラスにぼくはその気持を表現したんでした。
「今成みつ子すきだ」
エンピツでそう書いてその横に、その女のコの絵が描いてある。助けられてうれしい、やさしいから好きだ、というだけでなく、今成さんの心の寛《ひろ》さを、ボクは尊敬したんだと思うんですね。でも、それが「すきだ」という方向に行ってしまったので、いわば、その本筋の考えかたがゆがめられてしまったのではないか? とボクは考えてます。
つまり、その後、ボクは気をつけるようになって〈授業中にうんこもらすのだけは、絶対にやめよう〉という考えかたになってしまったんです。実際、それからは一回も、うんこもらしてないです! って別にエバることないですが。これは失敗でしたね。なぜ授業中に便所へ行くのを、あんなに遠慮してしまったのか? 授業中にうんこしたらどうしていけないのか? いや、うんこをズボンの中にしてなぜいけないのか? というようなことを考えるキッカケをすべて放棄してしまったわけです。〈いけないからいけない〉と思ってしまった。
さらに、今成みつ子さんの、思いやりや、心の寛さに感動し、尊敬をした気持を、そのように思うことで、いわば「人間として、あたりまえのことをしたまでです」みたいな、外面的な形式的な思いやりややさしさと、同列のものにしてしまったんですね。これは大失敗だったと思います。
ボクが、悪臭に対して、世間一般的の、通り一遍の考えかたしかできなくなってしまったのは、この時の考えかたの失敗に始まっているのではないかと思ってるんです。
〈いけないからいけない〉いけないと言われているからいけないと考えて、その先へはあえてふみ込まない。っていう物わかりのいい考えかたです。
コドモが、どんどん大人になって、コドモの気持を忘れてしまうカラクリというのは、ここにあるんですね。つまり、物わかりがいいこと、物わかりのいいコドモというのは、早めにオトナになっている過程のコドモ、というのにすぎません。むろん、そのほうがオトナとして生きやすいんですが。
「コドモは残酷だ」というような言いかたがあるでしょう。なんにもわかっていないから、ストレートで、思いやりがない……と。でもボクはそう思わないですね、形の上はともかくそれなら大人だって同じです。イジワルになってしまう気持っていうのは、むしろ、そのようにして表面がとりつくろえるようになってから多く身についていくもんではないでしょうか? つまり〈悪臭とは悪いにおいである〉と考えるような考えかたが。
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