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ぼくのコドモ時間12

时间: 2019-12-05    进入日语论坛
核心提示:音楽が苦手だった〈吉葉山に似てるなァ、ヘンデルは〉とボクは思ってそれを見ていたのでした。それは音楽室のカベに飾ってあった
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音楽が苦手だった

〈吉葉山に似てるなァ、ヘンデルは……〉
とボクは思ってそれを見ていたのでした。それは音楽室のカベに飾ってあった大音楽家の肖像画です。バッハ、ヘンデル、ハイドン、モーツァルト、ベートーベン、シューベルト、ショパン、シューマン……と、いまでも、その飾ってあった順番まで思い出せる。
なぜかというと、授業中にヨソ見をしていたからなんですね、授業には集中しないのにヨソ見にはばかに熱中してしまいます。授業がイヤだから、何か工夫して遊ぼうとしてるんですね、そこにいろんな顔したガイジンの絵が飾ってあるから、それぞれの顔の品定めなどしてるわけです。
ヘンデルは、右から二番目にいた。男のくせに、パーマかけて長髪で、なんかヒラヒラしたシャツ着てる。そのくせ顔は横綱の吉葉山に似ているのだ。
シューマンは水戸のオジちゃんに似てる、リストはコーリン鉛筆のマークだし、メンデルスゾーンは二年生までの担任の安念正子先生にそっくりだ。とそんなことを考えながら、しげしげと絵を見ているわけでした。
音楽の時間に苦手だったのは「レコード鑑賞」でした。音楽をきくだけならば、そんなにいやがることもなかったんでしょうが、きいたあとに�問題�が出るのが問題なんでした。
「ここのところで、何を感じるかな?」と先生が言って、指されると何か言わなくちゃいけない。何を感じるって、何だろう? と思っていると、
「ハイ、朝日が昇っていくような気がします」と答えるコドモがいて、そうだ、よくわかったな、エライぞといってホメられるんです。
なんで、そんなことがわかるんだろう?
〈ボクは音楽を当てるのがヘタだ〉とボクは思って、苦手になってるんでした。音楽を楽しくきく前に、問題として直面してしまったのがどうも敗因ですね。
音楽をきくのは、こんなふうにかしこまって、身がまえてきくか、行進曲「双頭の鷲の旗の下に」にあわせて校庭を行進させられる時くらいだった。家では蓄音機が、とうの昔にこわれたままになっていて、レコードをきくなんてしたことがなかったですから。
もっとも、それですっかり音楽がキライになってたのかというと、そうでもないなァ、と思い出すこともあるんです。その時のボクの後ろ姿が見えてくる。
ボクは、野球の帰りです。左手にグローブをはめたまま、板塀の前にしゃがんで、口を少しあけてじっとしている。
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板塀の向こうにはレースのカーテンが引いてある窓があって、そこから「エリーゼのために」が聞こえてくる。ボクはその、つっかえつっかえに弾かれるピアノの音に、まるでビクターの犬みたいに、きき入っている様子なんでした。
そうか、ボクは別に音楽が苦手だったワケじゃないんだな、ちょっと出会いそこねただけだったかもしれない。自分ではすっかり、音楽ぎらいだと思い込んでいたけど、不思議なことがもう一つある。
中学生のころに流行っていた、アメリカのポピュラーソング(フィフティーズとかオールディーズとか呼ばれている)が何かの拍子に聞こえてきたりする時です、ボクはその場でいきなり中学生になってしまう。
これが、気味の悪いほどに強烈な鮮やかさなんですね、中学校のお昼時、海苔弁《のりべん》のにおいや弁当箱のフタで飲んだお茶のにおいや、日向くさい学生服やら、理科室のアルコールランプ、新築校舎のセメントのにおい、ぞうきんがけしてる廊下のにおい、なんかがクッキリ思い浮かぶ。
薄暗い図書館や、渡り廊下を歩いていく上ばきのズックの自分の足や、チョークの粉の飛んだ教壇なんかを、アリアリとその場に見るような気がするんです。まるでタイムマシンかなんかみたいに。
〈懐かしい曲だなァ〉と思って、フト奇妙なことに気がついた。なんでボクはこの曲が懐かしいんだろ? ボクは一度だって、アメリカンポップスなんかに夢中になった覚えがないんです。ところが、不思議なことに曲名も歌手の名前もくわしく覚えている。
学校でそんな音楽が流れてるはずもないのに、思い出すのは学校の中ばかり、というのも奇妙です。まるで記憶喪失にでもなったような(覚えているんだからその反対でしょうが、つまり覚えたことを思い出せない)、不思議なことなんですが、不思議なだけじゃなく、とってもこういう時間、なぜだか懐かしい音楽をきいてる時間というのが、なんだかとっても甘美な、胸がときめくような気分なんです。
自分でレコードやテープを買うということをしなかったから、これは偶然ラジオできいたり、喫茶店で鳴っていたりの、ふいとおとずれる時間なんでした。
なんでこんなことが起きるんだろうと、考えていて、ボクが思いあたったのは、中学生のもっともたいせつな一瞬のことでした。その一瞬のあることで、ボクは学校に出かけていって、その一瞬のことで一喜一憂をしていたのだったなァ、と思い出したんです。
ボクはこのころ�恋する中学生�だったんですよ。�上級生のあこがれの人�と、屋上で、廊下で、図書館で、渡り廊下で、階段で、掃除の当番中や、理科室や、ゲタ箱のところなんかで偶然出会う(同じ学校なんだから偶然てことはないんですけどね)、いや、偶然じゃない〈運命的に出会うのだ〉とその時はそう思っていた。
運命的にゲタ箱のところで、バッタリ出くわしたりして、目があったり、笑いかけてくれたり、とそういうことが、もっとも大事なことになっていた時代なんでした。
それで、つまりボクはその運命的一瞬のことを、自宅に帰って反芻していたんだと思う。その時ラジオから「悲しき街角」や「ルイジアナ・ママ」や「グッド・タイミング」「カレンダー・ガール」「恋の片道切符」なんていう曲が流れていたのに違いない。
ボクはまるで、睡眠学習法みたいに、ウワの空でそうした曲をきいていて、ぜんぜんなんの抵抗もなしに、素直に気持よくそれを受け入れていたんでした。
音楽を好きになるのって、こんな気分の時なのかもしれないな、とボクは思います。そう思ってみると、グローブをはめたままの野球少年が「エリーゼのために」にきき惚れていた時も、なんだかそれに近いような気分だったのかもしれないな、とも思うんでした。
ボクはついに、あのころのミュージックテープを手に入れてしまった。でも、あんまり何度もきかないようにしています。何度もきいたら、あの奇妙なタイムマシン効果は、すり切れてなくなってしまいそうな気がするからです。
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